さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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カジュアルでもOK!クラシック鑑賞に相応しい服装とは「何でもいい!」【クラシック音楽】

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 ポイントは、ほかのお客さまに不快感を与えない格好であること。女性の場合、洋装であれば、ワンピースやデザイン性のあるスーツなど、ドレッシーなものを選びます。また、靴はミュールではなく、かかとの覆われたパンプスを履くのが正式スタイルだそうです。靴のヒールが細いと足音が響くため、要注意です。

 男性は、スーツが無難とのこと。

 Twitte上でクラシック音楽ファン間で話題になっているこの記事についてですが、大いに異論があります。この「マナーコンサルタント」という、都会の匂いがプンプンするのに実は徳島在住という実はのほほーんカツオおいしそう〜僕も同じ田舎でも海無し田舎だからうらやましい〜!のですが。

 

この件に関して、沢山の意見が述べられておりますが、自分が一番共感したのはこちらのTweetです。

 

森山広さんという「ツィンク」という楽器のプロの奏者の方です。

この方は、おそらく筆者が超絶地方に在住だとは、まさか思わなかったのでしょう。仕方ないです。サントリーホールや、NHKホール、オペラシティ、東京文化会館、そんなそんなところに気軽に行けないところに、住んでいるなんて、思わなかったのでしょう。

仕方ないのです。今、東京から離れてしまって、地方に住むいま、「文化の格差」を日々ひしひしと感じています。まあ島を離れているほど隔ててはいないからか、私のところでは、定期的に文化的なコンサートは開催されています。

 

地方を差別しているわけではありません。しかし、はたして「正装でいくべきというマナー」と「マナーコンサルタント」さまが表しているのであれば、「それは違うよ」とはっきり申し上げるのが正しいマナーだと私は思うのです。実態を知らなさすぎる

 

クラシック音楽は高尚で上品であるべき」とは、それは演者にとってそうなのかもしれません。試験や演奏会の際は、ピアノ奏者は女性は白いシャツ(ドレッシーw)黒の衣装(スカートに限定はされていませんでした)男性は、黒の礼服のスーツに、蝶ネクタイと規定されていました。ドレッシーです。

 

しかし、聴く方に関してはそのような規定はもちろんありません。どこにもありません。ないのです。なぜ、ないのか。

高尚な音楽である、かもしれないクラシック音楽ですが、その歴史を辿ると、たしかにクラシック音楽は「貴族のために作られた神イエス・キリストのため」の音楽でした。

ほんとうにそのためだけ。そしてそれを作曲することで生活の糧としていた人たちも沢山いました。

 

彼らは、「神のため」「貴族のため」「お金のため」それらに支配された音楽を作り続けていることに、苦悩を感じていたのでしょう。口にはできません。殺されますから。そして曲の中に、音楽のことなど知りもしない人にはわからないように、本当の気持ちを込めたのです。

有名なのがヨハン・セバスチャン・バッハです。

バロック音楽時代の最後に、それまでの音楽の理論体系をまとめ上げた偉大な人です。バッハは「宮廷音楽家」でした。要するに、貴族のために音楽を作っていた。それは神のため、そしてお金のためでもありました。

しかし、彼が作った作品は後の作曲家達に大きな影響を与えました。音楽を自由に表現する、出来ることを彼の作品から学び取ったからです。続いての古典派においては、一部の作曲家、モーツァルトベートーヴェンなどが筆頭に値するのかもしれませんが、ほとんど作曲家がその影響にありました。その彼らは、「自分のため」の音楽を作った最初の人たちだった。バッハが作り上げた音楽を元にして音楽を作った結果、大衆に大きく支持されてそれだけでお金を得られるようになったからなのです!つまり、現代の音楽と同じになったのです。

そして、クラシック音楽には、それまでにあまりなかったもの、だけれども重要な「音楽」が加えられるようになりました。それは「民族音楽」です。古より伝える伝説や民謡など、聖書など、イエス・キリストの発祥のもの、聖書からのものだけではないものが、取り入れられるようになりました。

それが、どんなに大きいことなのか、キリスト教徒ではない自分にでも理解できます。音楽だけではありません。西洋美術でも同じだったと思います。

 

19世紀後半にあった「ロシア5人組」(リムスキー=コルサコフムソルグスキーボロディンなど)がその筆頭です。彼らはそれまでになかった民族的なものを彼らの作品に取り込むことによって、新しい、しかし大衆にとっては馴染み深い音楽を想像しました。その結果、大きく支持されました。ロシアという特殊な状況によって迫害を受けることもありましたが、彼らは貫いて、そして後輩にもそれは引き継がれて、チャイコフスキーラフマニノフスクリャービンなど、クラシック音楽の歴史にはかかせない音楽を作る結果になったのです。

 

つまり、「クラシック音楽」は「貴族的」なものとの戦いであり、本日、わたくしども平民がそれらを聴けるようになったのは、先輩方の努力のおかげなのです。

 

「クラシック鑑賞に相応しい服装」が、「貴族的な正装」でなければいけないなんて!笑止千万なのです!バカげたマナー違反です。わかってほしいです。それを。

 

EUの国家をご存知でしょうか。

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ベートーヴェン作曲「交響曲第9番」です。第4楽章が歓喜の歌(An die Freude)として、1985年に「欧州の歌」として制定されました。そして1987年に東西ドイツの「ベルリンの壁」が崩壊しました。その直後にヘルベルト・フォン・カラヤンによる指揮によってこの曲は演奏され、その後のEU発足時にも自然と国歌となったのです。この曲は、それぞれの国歌の歴史の大事な端境期に演奏されてきた曲です。

 

つまり、ベートーヴェンは大衆のための音楽であり、クラシック音楽の代表ともいえるこの曲を聴く時に、服装なんて気にしなくていいのですから、クラシック音楽自体にもそういえます。格好はごく平凡、一般大衆の格好で問題ないのです。

 

私事ですが、イタリアのローマにてクラシック音楽を鑑賞する機会がありました。その滞在で2度だけでしたが、1度目のオペラ座でのバレエ公演には「相応しいかもしれない服装」でこわごわと現地に行きましたが、現地の方たちは普通の格好でした。

そして、数日後のオーケストラのコンサートは、よりどりみどり、色んな服装の方がいました。日本でも実はそうなのです。サントリーホールポリーニのコンサートでもそうでした。正装ではなくてもいいのです。

 

間違っていることを間違っていると伝えるということが「大人のマナー」だと思いましたので、書いた次第でございますが、「マナーコンサルタント」という大変すんばらしいご職業であられますから、失礼が何かございましたら、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。

  

最後に、「マナー」に最も程遠いかもしれないけれども、人間にとっては大事な部分を表現してしまった曲を紹介いたしますね。

それはロシアのアレクサンドル・スクリャービン作曲「Le Poème de l'extase」です。

日本語では「法悦の詩」とされていますが、英語タイトルだとわかりやすいのです。

The Poem of Ecstasy

ポエム・オブ・エクスタシーー!!


A. Scriabin : The Poem of Ecstasy - Le Poème de l'Extase op. 54 (Boulez)

エクスタシーだなんて、まるで小泉元首相がバラードだけお好きなことで有名な「X Japan」さまを彷彿させるような言葉です。極めて非PTA的であり、非マナーな曲です。それは音を通して伝わってくるのです!でもそれは避けては通れない道なのです。無いと人類は途絶えてしまう。神に向けてのメッセージの曲でもあるのです。

猥雑なもの、下品なものこと、それは人間の本質であります。それを前にして正装を気にするだなんて、大衆は気にしなくてもよいのです。そうするために先達は苦労してきた。それをわかってくださいね!わからないだろうなあ〜

 

おわり

隠していたナイフを遂に見せた。 ゲスの極み乙女。「影ソング」

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今月発表予定の「達磨林檎」の収録曲から1曲、新しくPVが発表された。

その曲は、とても優雅で、聴きやすい。棘のない曲のように聴こえた。

しかし画面右側に表示される歌詞は、そんな曲調とは対を成す、攻撃的かつ、意味深というにはわかりやすすぎる、殺伐したもののように覚えた。

そして、その怒りは強い嘆きと共に表される。

 

弱いから強がるんじゃない

弱ってるから強がるんだ

 

 今までに彼の歌詞は、攻撃的なものもあったと思う。しかし、「弱ってる」とまでいったのは初めてなのではと考えてみた。

 

PVはモノトーンに占められて、まさに「影」の世界。

さきの見えないこの先に対しての歌なんだろうか。

 

しかし、どこかサビのメロディなどのほほんとしていて、余裕のようにも見える。

それはそうだろう。彼らは犯罪集団ではないのだから。何も悪いことをしていないのに、当事者としたらどんな気持ちになるんだろうか、僕には想像もできないようなことがあったに違いない。

それに対しての、公式の弁明などは必要なかった。

けれども、このような形で表明をしたんだと思う。お前らふざけんなよ!

・・みたいな。わかりやすすぎる解釈だけど、僕もゲスだから仕方ない。

 

本当に品がないな 君たちは

量り売り言葉で傷つけて

まともだと思いこんでいるだけ

 

 

ほんとうに、そう思っていたから。つまらない人たちに。

バックのメンバーも最大限の表現をここでしている。普通のバンドではできないこと。

遂に、隠していたナイフを見せた。でも、それは彼らの思うとおりじゃない、優雅な姿だった。

 

 

それが最大の攻撃だと思う。

【随筆】NHKの集金

今日、夜の20時頃に、自部屋のインターホンがなった。

安いアパートだけれども、オートロックになっていて、受話器にて対応をする。

 

嫌な予感がした。

嫌な予感と思ってはいけないのだけれども。

 

今日は祝日。荷物の配達の予定はなかった。

 

僕は出ないことにした。僕の部屋は一階で、道路と建物の入口に接している。

だから、電気を消して、カーテンを閉めた。

意味がないかもしれないけれど、テレビの音も消した。

 

そうすると、オートロックのドアが開く音が聴こえた。そして、隣の部屋の前から話し声が聴こえてきた。

 

そーっと、そーっと、その話し声を聞いた。

最初は、何を言っているかは、わからなかった。男の声と女性の声。

隣の住人は女性だった。僕のアパートは1階に2部屋。向かい合わせで、おそらく、逆になっているのだと思う。間には上の階への階段があるので、お互いの声はきこえない。

一度、玄関を出た時に、鉢合わせしたのだ。おとなしい感じの女性だった。

 

その人と男が話している。

僕はドアに耳をつけた。音をたてないように。

 

「まだケーブルがつながっていないので」みたいな声が聴こえた。

ああ、そうだ。これは「NHKの集金」だ。

 

その後「支払う」「支払わない」というやりとりが聴こえてきた。

 

僕は、その場を去って部屋に戻った。

 

その現場を聞きたくなかったし、今更外に出るつもりもない。後で手続きしようと思う。

なぜ、聞きたくなかったのか。それには理由がある。

 

僕はずっとずっと、その集金から逃げていた。

それは、逃げられたからだ。

長野から出て住んだ最初の埼玉県のマンションには、オートロックがあった。そして「とにかく何でも」インターフォンの呼びかけには応じなかった。ので、捕まらなかった。

ただ、新聞の勧誘の人が中に入り込んだ時に、僕が「もうインターネットの時代だからいりません」と言ったにもかかわらず、しつこく迫ってきて、揉めた事はあった。

 

そして、東京に引っ越した時は、やはりオートロックで、しかもモニタ付きだった。

「とにかく何でも出ない」ということは継続されたが、今度はモニターが、部屋の呼び出しをすると、映し出された。だから、鳴ったときは一応それを見ていた。

配達便の人だと、すぐわかるので、「はいはい」とすぐに「解除キー」を押した。

 

なんだかよくわからない人だと、出なかった。ただし、変な宗教の勧誘の人に捕まって、でてしまって、延々と話をされて「宗教なんて全く信じていません。何もいいことがないから。あなたはどうかしてくれるのでしょうかあなたはどうせお金がほしいのでしょう?そういうのを仏教では畜生というのをしりませんか?あなたと同じような創価学会会員だった高校の同級生が教えてくれましたよ!!」

とか早口でいうと逃げていった。

 

そうこうして、僕は引っ越した。

「モニタ付きのインターホン」なんて無い、木造のボロアパートだった。

今までと、違う生活になるとはわかっていたけど、その違いは大きなものだった。

 

そのボロアパートでも1階だった。やつらはすぐにやってくる。

新聞の勧誘も、2週間だけと言っていたはずがその後も送ってきた。断りきれなかった。断るスキルを養成しなかったからだと思う。

その他、いろいろいろいろ、逃げてきたものがやってきた。

 

そして、それがある日やってきた。NHKだ。

やってきたのは、比較的若い、男の子だった。

「すみませんね。契約してらっしゃらないですよね」と言ってくる。

僕は、その時は本当にお金がなかった。

だから、払えなかったけど「テレビないんですようち」と言ってしまった。

よくある言い訳なんだろう。

「いや、でもお願いします」

 

そんな、やり取りが続いて僕は激昂してしまった。

 

しかし「悪い」と思い、「ごめんね」と謝罪した。

「ごめんね。寒いよね。中、玄関に入ろうか」

その日は凄く、凄く寒かった。玄関のドアを開けて話していた。彼はずっと外にいたのだろう。寒さにふるえていたようだった。

「カイロあるかもしれない。探してくる」

「あ、あの・・・。そういうの、ダメだって言われてるんで」

「え?そうなの?帰るまでに捨てればいいんじゃないの?」

「でも・・」

「待ってて」

部屋に戻って探したけれども、あったはずだけど見当たらなかった。

「ごめんね。なかったみたい。」

「いいんです。」

部屋のドアは閉められていてまた開けて話した。

「中に入らない?玄関だけでもいいから」

「いや、それも禁じられているんです。入れないです。」

「そうなんだ。でも、玄関だけだよ。だめなの?」

「だめなんです」

「・・・」

結局、僕はクレジットカードがあるということで、それで決済するということで落ち着いた。

そうすると、彼は泣きだした。

「こうして、優しくされてすごく嬉しかったです」

「そうなんだ。つらいめにあってるんだね。ぼくもつらいことをしてしまった。ごめんね。」

僕も泣いてしまったかもしれない。

「でも、最後に優しくしてくれる人が他にもいて。。僕、ありがたくて。。」

「・・・」

 

「学生さん?」

僕は聞いてみた。

「いえ、前は学生でした。中国に留学して、今は仕事を探しています」

「中国に留学だなんて、中国語が話せたらすごいスキルになって就職できるんじゃない?」

「そんなにうまくないので」

「でもさ、こんな仕事よりもっと良いしごとあるんじゃないかな?つらいめに遭わないようなさ。。」

「はい・・・」

 

そして、彼は名刺を置いて、帰っていった。

「元気でね」と言う僕に振り向いて力なく笑顔で手を振った。

 

つらい、東京時代の中で、最後の思い出になったのはこれだったのかもしれない。

なんというか、人生において苦しみだけの人たちもいるということをわかってしまった、東京の生活の終わりだった。

 

彼の名刺も、後日失くしてしまったことがわかった。今更僕が話すことも無いのだから、良いのだけれども。名前だけでも覚えていたかった。

今でも、元気で、なるべくあの時より幸せになっていること祈ります。

僕もね。

 

今日、これを思い出してしまった、のが出なかった理由です。

 

 

おわり

【随筆】カウントダウン

それが始まっている。

始まってはいないのだけれども、それは心の中だけのことだから、きっと始まっていると言っても構わないのだろう。

自分自身が、カウントを開始し始めた。その事を認識しているのだから、たしかに始まっているのだ。

 

しかし、その現象、カウントダウンを実感していることは、もしかしたらまだ己が正常であるということを証明する手がかりなのかもしれない。

 

では、どうだろう。心の中の自分を「できうる限りに、素直に」してみようとする。

すると、どうだろう。心の中に「茶色いもや」が表れてその霧が心を包み込む。

僕は、心のどこかが痛くなる。心なのか、身体なのか。身体のどの部分が何というのか、わからない。人体図を見ても、わからない。胃なのか、膵臓なのか、腸ではないということだけはわかるけれども。

自分のこともわからないし、人体についても理解できていない。

 

僕が聞いているカウントダウンが何か。それは簡単だ。

それは、自分の人生の終わりを告げるカウントダウンだ。

意外と、普通でしょ?ありきたりでつまらない考えだ。

僕は「ありきたりでつまらない」ことが嫌いな人間だったのに。

それを今や大きく肯定している。

ああ、惨めだ。惨めな人間になってしまった。だから、

カウントダウンのカウントを聞き逃せず、じっとじっと、照明が怖くて点けられない暗い部屋で、ひとりで一点を見つめるようにしている。

実際には、テレビをなんとなく付けて、どうでもいい事を思ったりしている。呑気な状況だ。呑気な状況になりたいからだ。本当は、こうしてこうして自分の気持ちを他人に伝えようと、必死に必死にキーボードを打っている。

 

全てが空回りだ。

価値の無い空回り。

僕にとっても、誰にとっても価値の無い空回りだ。

誰もいない場所で、動き続けている古時計のようだ。

誰も聴いていない、くそへたくそでおっさんのストリートミュージシャンのようだ。

会社からの帰り道の駅で、くそへたくそなおっさんが、ギターを弾いてうたっていたのを見た。「きたなくそが」と身構えると、そのおっさんは、ワンコードでメロディは「ラーラーラーラー」だけで、しかも調子外れ、ずっと同じフレーズを繰り返していた。ばかじゃないのか。なぜ俺がお前のような低レベルな音楽を聞かされなければいけないんだ。くそだ。くそだ。東京のさわやかまえむきストリートミュージシャンのほうがまだマシだよ。ほんとうに長野はくそだくそだ。

さらに、駐輪場でそのおっさんはいた。ギターのケースをもって、なんとなんと、サングラスをかけていた。弁護のしようがないダサさ。なんであんな人間になってしまったんだろう。かわいそうだかわいそうだ。

僕も、かわいそうだ。心の片隅とはいえ、ここまで人を馬鹿にできるなんて。

 

そんな、馬鹿な街で。

僕は頭がおかしくなりそうなっている。

しかし、そうなのだろうか。僕はおかしくなっていない。この文章も、驚くべき速さでうたれている。大した時間はかかっていない。しかも今はメガネもしていない。メガネは嫌いなんだ。ださいから。レーシックにしたいよ。

 

もう、そのような事も、考えてはいけないような、貧しい生活になってしまった。

まだ、仕事は決まっていないけれども、どのみちここにいる限りは、もうかつてのような生活は望めない。

そうなってくると、自分はもう、全てをあきらめました〜!ルンルンなんて言いたいけれども、全くそうではない自分がいる。

また、いい生活をしたい。。

また、豊かな生活をしたい。

また、サントリーホールで海外の演奏家、本物の一流の演奏家の音楽を聴きたい。

また、ローマやらミャンマーやら、バンコクやら、そして、行ったことのないフランス、行ったことない、ところへ行きたい。

 

僕の中で鳴り続けるカウントダウンは、死へのカウントダウンではない。

そう、そう思っている。そういうふうに思わないと、本当にやらかしかねない。

 

無価値な悲しみは、無価値に消費される。

そして無価値に放置される。無価値なもの。

僕は、感情のままに、文章を綴っている。こんなことははじめてなのかもしれない。

僕には、「何か」が起こってしまったのだ。

そうだ。起こってしまった。

 

空の青さの中に、階段が続いている。

僕はそこに踏み出して、一歩一歩、階段を上がっていく。

足がおかしくなってしまった僕は、途中であがるのを止めてしまう。

途中で腰をおろす。

すると声が聴こえる。

「カウントダウンは、始まってしまったんだ。最後まで責任を果たせ」

その言葉の意味がわからない。

僕の目からは涙が溢れた。

もうずっと、毎日のように泣いているから、もう何も思わなかった。

階段から、僕は降りようと思う。

足がまだ、動かないから、転んで落ちてしまうかもしれないけれど。

 

 

【未練タラタラ】GACKT、もうMALICE MIZERの名を挙げることはやめてくれ!!

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18年前の今日。
ボクがバンドからソロに復活した記念すべき日だ・・・。
と言っても
この日に辿り着くまで
そしてこの日から全国ツアーをスタートするに至るまで
恐ろしいぐらい紆余曲折したあの一年を
未だにはっきりと覚えている。
 
いや
今日ここに来るまでずっと波乱万丈だ。
ボクの人生は常に波乱万丈。
色んなことが脳裏に蘇る。
MALICE MIZERのメンバーそしてあの当時の女社長に突然
なんの相談も前触れもなく
MALICE MIZERは解散する』
と告げられたあの日のことも。
あのミーティングで最後は喧嘩のような状況になったことも。

前々からずっと思っていたことなのですが、なんなのでしょうこの男。

散々にMALICE MIZERの名を挙げて、亡くなられたkami様の名を持ち出して、お墓参り、そこにはカメラも共に。

また、そこで自己弁護ばかりを繰り返す。もう終わったことなのに。

これに対して、MALICE MIZERのメンバー達が発言したことは、ありません。

 

なのになのに、また自身のことにかこつけて、上記のようなブログに「MALICE MIZER」の名前を持ち出して、また自己弁護。ブログの後述には

誰がいいとか悪いとか
今更そんなことには興味がない。
こうやってここまで走って来れたこと
そしてこんなボクを支えてくれた多くのファンのみんなに対し
感謝の気持ちで一杯だ。

 と、きれいに占めています。

今更興味がないなら、わざわざそんなこと言わなくていいのに。なんて未練タラタラなんでしょう。MALICE MIZERが解散する。と、事務所社長に言われたことは、「あなたがいなくなったらMALICE MIZERは解散する」ということなのかもしれません。それだけ大きい存在だったのに、あなたは逃げた。

逃げたことは、事実なのです。

でも、逃げたとしてもいいでしょう。そういう時は誰にもでもある。

 

しかし、逃げておいて、片方からだけ発信力が強くなってしまった状況にて、高らかに何度も何度も、同じことばかり、本にまで書いたりして、本当に惨めです。

 

彼は、今クアラルンプールにて、マレーシア進出の日本人の手助けをするビジネスを行っているようです。またもやテレビ番組にて、豪華絢爛で品のない自宅を公開していらしゃいました。

これ見よがし。という言葉がぴったりに感じました。誇らしいのでしょう。お金があることが。しかし、お金では手にはいらないもの、を彼は得ていない、ということも、僕は感じていました。

彼には、音楽をやる上で、自分名義で音楽をやる上で、一番重要なもの、そしてmana様Kojiさまが保有していたものが、無い、ということを感じていました。

それは「作曲の才能」です。

 

彼が作った曲を全て聴いたわけではありません。しかし、MALICE MIZERで「僕が作曲した曲が一番売れたからメンバーと微妙な関係になった」という曲、唯一の曲は、MALICE MIZERの史上唯一の駄曲だと、僕は思っていました!

 

その後のソロ活動の曲、いきなり未練タラタラなタイトルのソロデビューシングルあたりはまだ聴けましたが、その後は凡庸の名に相応しい、ひどい売れ筋の曲ばかりだったのかと思います。「この人には、何かが足りない」と思っていました。それは、作曲の才能だった。

ルックス、歌唱力、これは全くもって問題がなかった。でも、作曲能力がないことを本人は自覚していなかった。

まさか、あれだけピアノが弾けるのに、と思うのかもしれません。ピアノを弾くことと、作曲の能力は全く別です。ピアノの腕は、確かに横浜アリーナででKamiさまとデュエットにて披露したドビュッシーの「ピアノのために」第1楽章は、見事でしたが、

あの曲は音大生の間では「難しそうに聴こえるけど実は簡単な曲」として知られていた曲なのです!名曲ですが!

それがわかっていたので「GACKTってピアノがうまいな」とは僕は思いませんでいた。ただしそんな曲を選んでくるのは「うまい」とは思いました。

 

MALICE MIZERではそれが他のメンバーによって十分に補完されていた。だから素晴らしい作品が出来ていた。それが誰のおかげなのか、彼は気づくことがその時はできなかったのだと思います。

 

もしかしたら、心のどこかでそれを思っているのかもしれない。

だから、一連の未練タラタラ発言になってきたのではと、勘ぐります。

 

彼のひけらかしている華やかで金持ちの世界も、羨ましいなんて全く思わないです。

それよりも、自分の音楽性とキャラクター、ヴィジュアルを今でもずっとずっと貫いている、mana様とその仲間たちのほうが、ものすごく羨ましいです!

 

mana様もアニバーサリーに向けて、最近は親近感溢れるTweetや、未だに冷めないMALICE MIZERへの「愛」に溢れた、Tweetをしていらっしゃいます。

そして、それに対して、ファンもmana様、MALICE MIZERへの消えぬ熱い思いを伝えます。

そういうものが、本当の音楽のあり方だと思うのです。

 

今後はビジネス活動と、アーティスト活動を並行していくようです。がんばってくれたらいいです。お好きなようにどうぞ。ただし、もうMALICE MIZERのことには触れないでほしい。もう満足でしょう?お金もあって、活動もしてまだファンもたくさんいる。

何がこれ以上ほしいのでしょう?

わからないです。

 

ヴィジュアル系の始祖的なバンド、AUTO-MODのジュネ様が、過去に一緒に活動していた元BOOWY布袋寅泰さんのことをインタビューで聴かれて「あいつらはもう天上界に行ったから関係ない。俺たちは地下で別々にやっている」と言い切っていました。

 

もう、あなたはきらびやかな「芸能界」の世界、そして金満であることが恥ずかしくない「ビジネス」の世界に行かれたのです。

己の芸術のためにになら、なんでもやるような世界にはもういないのですから、触れないでください。お願いします!!

 

manaさまkoziさまYu-kiさま、MALICE MIZERよ永遠に・・・


Malice Mizer - 記憶と空 ~Kioku to sora~ (sub rōmaji+español) HD ☆☆☆☆☆

 

 

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