さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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【アイドル】80年代のえりすぐりの「愛すべき歌ヘタアイドル」たちをサラっと紹介しますよ

みなさんこんばんわ。さわやかまえむきです。

先日は原田真二さまについて、長文1万文字好き勝手に書いてすみませんでした。まったく面識のなかった方たち、リアルでずっとファンだと思しき方たちからも反応があってとてもうれしいです!

そんなことは、今まで…ありました。それは「Sexy Zone」の時です。あれは凄かった。。懐かしい思い出です。

そんな思い出に浸るほど、過去が愛しいのです。また美味しい思いをしたいできた。でもまだまだ僕は満ち足りていない!満足していないのです。

 

このブログにおいて最も「自分なりの達成感」が得られた記事があります。

これです。

maemuki.hatenablog.com

 だーれも知らないだろう小出広美のことなんて、だったら書いてやろう!という目的で書いた記事です。そしたらまあ、「小出広美」で検索をすると、すぐ上の方、一時期はトップ1番目に出てしまい、「TOP10」にもたまーに下位に顔をだすほどになりました。自分でもよく読み返したりします。

そしたらこんなことが書いてありました。

ずっとブログを書いてない期間、何を考えていたかというと、ずっと80年代のB級アイドルの事を考えていたんです。実はおじさんおじさん言ってますけどまだまだ30代なんですよ!

おいもう40代じゃないかクソ、とかまず思ったのですがそうではなくて、「ずっと80年代のB級アイドルのことを考えていたんです」とありました。そうでした。それは40代になっても変わらない自分がそこにいた…。

ので、えりすぐり、えり村主(チカアイラビュー)の、「歌ヘタ」アイドルを紹介しますね。あくまでサラッと。1万文字とかありえません。ああ、もう700まで行ってしまった。さらっとさらっと。

 

愛すべき歌ヘタアイドルその1 三井比佐子 

www.youtube.com

デビュー曲「月曜日はシックシック」まさに愛すべき歌ヘタというか、なんというか破壊的デストロイゲリラオンチすぎてひたすらに参ってしまう所存でございます。しかも私、彼女の再発されたアルバムまで買ってしまったほどにシックシックなので、後日またレビューしますね。彼女は「歌ヘタアイドル界」においては皇后陛下のような位置づけなのですよ。

愛すべき歌ヘタアイドルその2 北原佐和子


Sawako Kitahara - Monna Lisa ni Yuwaku [J-POP 1983]

名曲歌ヘタなのに名曲が多すぎてこちらもベストアルバムを買ってたまにこわごわ聴いたりする北原佐和子さま。先程の三井比佐子とあと真鍋ちえみという3人、同じ事務所「オスカー」所属の3人組で謎のユニット「パンジー」を組んでいた中のお一人。今も芸能界で活動中。ですが、最後は介護でご苦労されたようでその講演活動が主なようです。せっかくだからテレビ東京の年寄り向けの懐かしの歌番組にでてくれないでしょうか。デビュー曲「マイ・ボーイフレンド」の素晴らしさと言ったら…「パンジーのセンターはわたし!わたしよ!」みたいな自信満々さ、しかし崩壊している歌唱力が、本当に愛しいです。この「モナリザの誘惑」は「ニセ明菜」路線に行こうとしていた、センターでミスヤングジャンプなのに売れなかったからです。かわいそうな佐和子。上福岡市出身の佐和子。同じ「歌下手アイドル」の裏殿堂いりの「新田恵利」も上福岡市出身です。なんてことだ!上福岡…こわい子!

愛すべき歌ヘタアイドルその3 横田早苗


横田早苗(Sanae Yokota) - Fuantaji Night (不安ダジー・ナイト) 1983

「83年はアイドル不作の年」と言われているんですよ。つまり宝庫ということです。僕にとっては。しかし先程の二人は「アイドル豊作の年」で更に有名な前年1982年デビューなのです。「豊作の年」も変なのが沢山うまれるということです。横田早苗さんは史上初そして最後になった「ニセ松田聖子とニセ中森明菜」をミックスしたという稀有な逸材です。この動画の太川陽介さんの紹介のナレーションの素晴らしさといったら…「数限りなくある歌の中で…このデビュー曲はかけがえのない1曲になるでしょう。大切に歌ってください…」

ときて、「不安・タジー・ナイト」ですよあなた!ふあんたじー→ファンタジーですよグーグル変換だとそうでました。またこの曲この歌唱の素晴らしさ。常人である自分にはさっぱり理解できません。なぜこの人がソニー一番の推されとされて売り出せたのか。さっぱりわかりません。が、ふあん ふあん ふあん ふあんたじーないと、というサビのきめメロディをついつい口ずさんでしまいます。不安だから。ファンタジーナイトになればいいなって。横田早苗に出会えてよかった。ちなみにセカンドシ
徳丸純子 PICA-PICA

「歌ヘタ」とはもしかしたら言えないかもしれない。違いますでしょうか。僕の耳はやはり腐っているのでしょうか。彼女の特筆すべきはこの「PICA-PICA」という阿久悠大先生作詞のわりにほんとうにひどい曲に対してアイドルらしく元気!さわやか!でなくて「なにこの曲〜ねむいだるいつらい」という雰囲気を醸し出していることです。他の曲は、名曲が沢山なんですよ。歌手活動最後の方は、またやる気が感じられませんでしたが、ニーズに応えたのだと思いたいです。

愛すべき歌ヘタアイドルその4 森尾由美


morio yumi - onegai

出ました!やっと出た有名人!よかったですね。早く起きたのかおそく起きたのかわからないまま終わった番組にも出てましたよね。磯野貴理子松居直美で。そんな由美ちゃんはあの有名事務所「スターダスト」の煌めく星として名を連ねています。さすがといった貫禄の歌ヘタふり。それにしてもこの曲、なんて素晴らしいのでしょう。完璧なソフトロックです。おしゃれ…さすがです。あまりに素晴らしくてアルバムをアイチューンズで買ってしまいました。「口唇緊張あと5センチ」という曲が気にいってまた聴こうかなと、itunesで再生しようとしたら、なんとメールアドレスのアカウントの承認が必要とでました。それはとっくのとんまに辞めた会社のアドレスでした…。つまり再生できないのです。かなしい「お・ね・が・い」も聴きたいのに。そしてそのアドレスはなんと takagi@会社のドメイン.jp でした。そんなこともあるんですねー…ないでしょう。大丈夫なんでしょうかその会社><

愛すべき歌ヘタアイドルその5 


武田久美子  シャワーホリデー

またまた有名人で申し訳ありません。ほんとうに申し訳ないのですが、歌い出し。それだけで全てがわかってしまうと思います。この映像はまだマシな方です。過去にもっと驚愕の「シャワーホリデー」がありました。しかし、自信満々なのはいつも共通です。今でも「貝殻ビキニ」の話をする時は自信満々。くみこはいつでもじしんまんまん!っていうのをキャッチコピーにしたらよかったのに。デビュー曲の「噂になってもいい」の陶酔歌ヘタっぷりも必見ですよ!くみこきみはうつくしい!仕方ないよね。


武田久美子 S

愛すべき歌ヘタアイドルその6 川田あつ子


川田あつ子  秘密のオルゴール

伝説、というもの、歌ヘタアイドルの伝説といえる人はこの御方なのかもしれません。この動画もひどいのですが、伝説になった「ドリフ大爆笑」での名唱が忘れられません。もう消えてしまったのですが、ドリフ大爆笑は、もちろんバックは生演奏そして生歌です。過去のことながら「だいじょうぶなのかあつ子」と思っていたら、なんと歌を間違えたのかなんなのかよくわからないそもそもよくわからないのですが、バックとずれてしまいました!曲がとまりそう!でもバッグバンドが天才的にオケをあわせて、なんとか乗り切った!おいおいそれって「NHKのどじまん」の超高齢者出場の時みたいじゃないか!と感動したのですが、この動画のような比較的、まともな動画しかなくて哀しいです。

 

以上です。サラっとどころか3320文字になってしまいました。

でも、まだまだかきたりなくて恥ずかしいです。ごめんなさい。はずかしくても頑張って歌っていた彼女たちを見習って、僕もなんとかががががんばります。

 

ボーナス・トラックです!

歌ヘタ会の皇后陛下三井比佐子」と歌ヘタ会永遠のセンター「北原佐和子」の夢のデュエット悪夢のデュエットの至高の動画です!

なんというかなんとかなんとかなんというのか。いやー歌ヘタアイドルって素晴らしいそれだけです。勘弁してください。

おわり

原田真二の知らなかった世界!「Feel Happy」【祝デビュー40周年の天才天才ヴォーカリスト作曲家作詞家編曲家天才何もかも】

 

Feel Happy 2007~Debut 30th Anniversary~

Feel Happy 2007~Debut 30th Anniversary~

 

 

原田真二 - Wikipedia

Shinji Harada – Official web site

 

出会いは突然に…。

僕は最近、財布を落としてそのまま盗まれたり、それでお金がなくなっても、JAバンクからの再発行のカードがなかなか届かず、三井住友銀行は窓口で速攻発行してくれて助かったありがとうさすが都市銀行それに比べて、くそ農協銀行!農協!農業協同組合!のうぎょうきょうどうくみあい!なーんて田舎臭い名前なんだろう。くそ田舎はくそだ。俺は農民じゃねーぞくそ…。

 

そんな感じで、長野に押しつぶされがちでした。ガチです。しかしー!あるアーティストの音楽をふと聴いたところ、あんまりの素晴らしさにすっかりまえむきさわやかまえむきになってしまいました!

こんなことはあまりないことです。結構雑多にいろいろ聴いてしまう性分なのですが、ここまでの感動を覚えたのは久々でした。

そのアーティストは「原田真二」さまです!

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このアーティスト写真がおいくつの頃かはわかりませんが、本日現在59歳と思えないくらいに若々しくてそして可愛らしいです!ハートマークだしちゃうほどです♥♥♥

しかしですねー大事なところはそこではない!そこだけではないのです。

大事なところは原田真二のヴォーカルはめちゃくちゃカッコよくてかわいいそして上手い歌唱力が凄い!魅力的!」だということです!

 

原田真二のヴォーカルのどこがそんなによいのか

・ハスキーだけど細くなくて太くもある

ハスキーボイスのボーカリストは多数いますが、大体の場合ハスキーになるのは全てにおいて、それが個性です。しかし原田真二はそうではありません。場合によって、またはフレーズに合わせて、ハスキー非ハスキーを使い分けているのです!つながるメロディの中でも、「ここはハスキーな方がいいかも」と思うようなところは見事にかすれています。上手いのです。歌が上手い。

・高音低音自由自在

 僕は現在の音楽シーンに溢れに溢れて掃いて捨てたいほどにもいる「カエル声ハイトーン男性ボーカル」が本当に嫌いなのですが、原田真二さまのデビュー作にて名盤、じゃっかん19歳にして全作曲ほとんどの編曲も共同クレジットでこなした「Feel Happy」収録「Sports」にて、Bメロサビ前の「サアーーー」という母音の響きを最大限に活かしたC、ドの音のハイトーン!に耳を貫かれました!なんでなのかわかりませんが「原田真二ギャル」集結のコンサートでの「キャーーー」も同時に聴こえてくるような。それほどまでにかっこいいいいのです!ボーカルがかっこいいなんて思ったのは久々です。低音ももちろんのようにカバーしております。そしてファルセットも絶品。絹のよう。やさしいファルセットでちっとも苦しそうではありません!

ということもあってか、「1人多重録音コーラス」もこなしています。すごい…。

・音程リズム感表現力全てよし完璧

 彼の音楽を最初に聴いたのはベストアルバムでした。

GOLDEN☆BEST OUR SONG~彼の歌は君の歌~

GOLDEN☆BEST OUR SONG~彼の歌は君の歌~

 

 この1曲め「OUR SONG」素晴らしすぎる生のストリングスとピアノから始まるベタなバラードなのですが、初めて聴いたときから、衝撃を感じました。全てをおおらかに包んだかのような曲調ですが、どこか幼さも感じさせます。それもそうでしょう。この曲は19歳単独公演では最年少史上初の武道館公演のドキュメンタリーのために作られた曲だった。しかし、この曲を初めて聴いたときにはそんなことは知りません。でも、感じたのです。この人は天才だと!歌というものは、その人の素質に委ねられるものです。この人はそれを満たしていると感じました。音感、リズム感、表現力、全てを兼ね備えていると。歌に説得力がある、説得させられた。

 前述の「Sports」おいてはリズム感の良さが表れています。高速16ビートという唄うのも演奏するのも至難なものをちょろちょろ〜っとこなしています。「こんなの楽ちんだよ♪」みたいな意識がみえるような。驚くべきはこの曲、のみならず全曲自分で作曲、作詞は松本隆が全曲クレジットに入っていますが、もともと彼の原案だったようです。あまりに内容が高度すぎて年齢にそぐわないという理由で、お互いディスカッションをして、松本隆が歌詞を書いた。凄いです。デビューにて松本隆とやり合うなんて。

それにしても10代ですよ10代!この歌唱力で当時10代だなんて。「カラオケ歌ウマ小中高生バトル」みたいなのが溢れていますが、レベルが違います。音楽に本当に必要なものを全てをこの人は10代にてデビュー時にて持っていた。と感じます。

 

◯信じられない早熟のスキル

原田真二Wikipediaを見て、驚くべきことがたくさん書かれていました。

フォーライフに送った応募テープは、一人で多重録音をしていたといわれ[、ピアノの他、ギターシンセサイザーもこなし編曲も自分でやったといわれている。セカンド・アルバムをセルフ・プロデュースしたように最初から音楽的すごさ・才能のずば抜けた"早熟の天才"であった]。デビューアルバムに参加した鈴木茂が、「ほとんどやることはなかったよ」と言ったという

今でこそ、そんなこと普通なのかもしれないですが、1970年代後半にそんなこと、多重録音をしていた、しかも高校生!信じられません。70年に産まれた僕は90年代にカセット4トラックMTRがやっとでしたよ!どうなっているのでしょうか。DTMなんて一般的ではなかった時代です。そんなことがもしできたとしても、それで出来たもの、すなわち1stアルバム「Feel Happy」の出来栄え。それがほんとうに凄い!まさに天才です参りました。ほんとうに凄いです。聴けばわかってくれると思うのです。ほんとうに。

◯またまた脅威驚愕戦慄のその作曲編曲能力

1st Album「Feel Happy」がリリースされたのは1978年2月25日。約40年前。「デビュー前から書き溜めてきた曲が中心」とのこと。つまり、19歳以前に作曲された曲たちということです。

そんな「若書き」がまったく感じられません。このアルバムのプロデューサーは大先生吉田拓郎大先生なのですが、あきらかに彼と同じくらいの年代の人が作ったかのような風格さえ漂わせても仕方がないのですが、やはり10代の若さは隠せない笑ってしまう程に隠せない!驚きです。40年前というジェネレーション・ギャップを感じさせない。そのコード進行とメロディは正しい音楽理論に基づいたもの。その上で、独自の展開を見せている。素人では扱えない複雑なコードを自由自在にあやつり、それが若々しい音楽に結実している。そのように感じました。スタンダードな音楽はいつまでも色あせない。現状このような音楽をやっている、と言えるのは僕が思いつく限りではやはり「キリンジ」くらいでしょうか。

「ロックを含めたポップス」という立場でその後塵となった人は、いないと言ってもいいかもしれません。どちらか、ポップスかロックになってしまう。つまり彼は「40年先を行っていた」ということです。脅威です。

 

◯当時の納得せざるをえない熱狂的な共感

原田真二のデビューは1977年のシングル「てぃ〜んず ぶる〜す」。いきなりオリコン最高順位は6位!CMソングになったテレビドラマ等への出演があったなどの記録は、見受けられません。そういうものでの売り出しは当時もあったはずですが…。そして「良い曲だらけ過ぎてもったいない」という理由で連続3ヶ月のシングルリリースが続き、デビューアルバム「Feel Happy」は初登場1位!この「男性ソロでデビューアルバム初登場1位」は未だに破られていないとのことです。女性では宇多田ヒカルの「First Love」とのこと。当時の衝撃度がよくわかるでしょう。わかりました。よくよく…。

やはり当時は熱狂的な人気を得ていたようです。当時幼児だったから知らなくて当たり前…だったのかもしれません。wikipediaにはそのあたりも非常に詳しく書かれています。

その特徴あるカーリーヘアーと少女マンガの世界から飛び出したような可愛いルックスとハスキーボイスが、女子中・高校生を中心に絶大な支持を受けロック・アイドル的人気を博した 

すさまじい人気は本家・男性アイドル新御三家郷ひろみ西城秀樹野口五郎)を完璧に食い、洋楽アイドル、ベイ・シティ・ローラーズらにも対抗した

当時アイドルの最大のステータスともいえた「月刊明星」(1978年3月号)の表紙や「TVガイド」の表紙をニューミュージック系、ロック系ミュージシャンとして初めて飾るなど、極めて歌謡曲的な売り方、話題先行型のプロモーション戦略をとり、これが見事に的中した

なんということでしょう。僕が産まれたのは原田真二のデビューの1年前のことです。だから知りませんでした。でも、その頃にデビューしていた人たちで「売れた」人たちがどのように活躍して、どれだけ人気があったのかは、なんとなく知っていた。知っているつもりでした。 でも原田真二さんについては、なんとなく名前を知ったのは松田聖子のプロデュースをして恋愛の噂になった(双方否定していました聖子ちゃんは原田真二熱狂的なファンでした)その時、でしたが、まさか…こんなに凄い実績があった、それよりもこんなに素晴らしい音楽をやっていて、圧倒的な支持を得ていたなんて!知らなかった。まさに知らなかった世界です。当時にこの世に生きていても幼児だった。でもそんなに人気があったのであれば、もっとその後知られたはずです。これは、自分のせいではないと思います。明らかに過去の栄光実績が、世の中、マス・コミュニケーションには無視されていたのです。なぜなのかは、わかりません。

アミューズ原田真二のために創設された

これもしらなかった。今や上場企業の一流芸能事務所「アミューズ」ですが、そもそも原田真二のマネージメントのために創設された。おそらく僕もそうだったように「アミューズといえばサザンサザンサザンだからサザンのため」という見識だと思います。しかし違いました。それどころか原田真二によってもたらさられた利益によって、彼らの売り出しがされた。そのような事実は、テレビで語られることなどありませんでした。別に圧力があったわけではないと思います。それは隠しようがないからです。だから別に触れなかった。めんどうくさかったのでしょう。しかし圧倒的な事実はそこにある。彼がその後独立をしてアミューズを離れた。「芸能界的な売り方」を拒絶した。それもあったのでしょう。 

だとしてもだとしても、あまりにもせつないです。現状が…。

 

◯しかし音楽の説得力が全てのつまらないことを打ち消すほどに素晴らしいので1st Album「Feel Happy」を解説しますね

何十年前の音楽を聴いて古臭いとは思えない、ということで「スピッツ」が今聴いてもあんまり古臭くないと賞賛されていました。そんなスピッツ草野マサムネもカヴァーして、そして彼のフェイバリット・アーティストの1人が、原田真二です。

そのように影響を受けている、というか、このアルバムが40年も前にリリースされていたということに、冷静に驚きを感じてしまいます。自分が産まれた1年後の音楽が、これほどまでに色あせないという事実に、呆れてしまいます。

70年代後半にリリースされた音楽と、それ以降、80年代中盤くらいからのポピュラーミュージックは大きく変わってしまった、ということは僕も認識していました。つまりこの「Feel Happy」は日本のポピュラーミュージックが変わってしまう前、最後のあたりの音楽なのです。

このアルバムを聴いて、今の音楽シーンが失ってしまったものがここにはたくさんある、と気づきました。

それは「お金のかかった音楽」です。今では、いろいろ進歩をしたという理由にて、なくなってしまったもの。それがここに詰められています。

生の音楽、生の演奏、生の楽器、生のストリングス(哀しいほどに豪華に入っています。僕は生のストリングス大好きなのですああたまらない)生のコーラス。そして高度なレコーディング技術、ミキシング、マスタリング、編集、全てが省力化にて、省かれてしまった。それをここに感じました。

wikipediaにおいて「原田真二創作ノート(明星1978年4月号付録より)」として各曲のセルフライナーノーツが記載されていましたので、引用して各曲うっとりと解説しますね

アルバム「Feel Happy」

SIDE A

1.ビギニング 作曲・編曲:原田真二

このアルバムの巻頭の曲だが、インストルメンタルで、歌詞はない。好みのイメージを荘厳に表現してみたかった。原田真二

お一人で700万円のシンセサイザーを操って録音をしている。このアルバムのプロデューサーは吉田拓郎大先生なのですが、彼がどのようにこのアルバムをプロデュースしたのか、極めて個人的な音楽、フォークらしいといえばそうなのかもしれませんが。なんだか色々夢、ドリーミーに始まります。Dream、日本では「夢を叶えよう〜♪」なんて曲が溢れていますよね。そこに「幻想」はありません。イヤですね。この曲は幻想的です。それだけです。それでいいのですそれだけでいいのです。

2. Curtain Rise 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:原田真二瀬尾一三 

 ボクもこれからがスタート。男女の愛のスタートにむすびつけて作ってみた原田真二

 自分をここまで大きく演出できるなんて。分厚いクワイアに、控えめながら存在感が大きいストリングス。伸びやかで少ない音符の数が壮大さを引き立てます。そして響き渡る原田真二のボーカル!ゆっくりゆっくり歌っています。なんて美しく力づよい。ああこれは天使の声だ!と思いました。カーテンが徐々に上がっていきます。舞台は明けられた。イントロのアカペラ。明らかにBeach Boys、または山下達郎か。19歳なのに。19歳なんて、冠が逆に可哀想になってきます。でもそんなことはほんとうにどうでもいいんだ、という説得力のある音楽です。若いとはやはり素晴らしきもの。

3.Sports  作詞:松本隆/作曲・編曲:原田真二

 ステージでこの曲を演奏するたびに、汗をびしょびしょにかいて、まるでスポーツのあとのよう。それでこのタイトルにした。原田真二

この曲はできるだけ大きい音で聴きましょう。頑張りましょう。その名の通りスポーツの曲なのですから。頑張りましょう…。Sports苦手…。若者のスポーツの世界。リアルの若者の世界。 驚くべき躍動感、そのバイタリティ溢れすぎている、本人のいうとおりびしょびしょ、だったとしてもそんなことを感じさせないくらいさわやか!さわやか!「さあーーー」というHiCが素晴らしいなんてことはどうでもいいのです。最後は「だきーしめーてるぅぅっぅ」で締められるのです。普通「あーー」で高い音を伸ばすのですが、喉をしめざるをえない「う」で伸ばすなんて。そんなこともどうでもいいのです。そしてこの曲の編曲クレジットは彼1人だなんて。悪夢としか思えないです凄いです負けました!頑張る気になれました!Sportsをがんばろう!なげるとべるころぶ!およぐ!ゆれる!よえる!???元気だ元気だ元気があればなんでもできる!そんな曲です。

4.キャンディ 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:原田真二・阿部雅士 

この曲の当時の歌番組、観客入りの歌番組を見たのですが、その観客の熱狂振り。デビューしたてだと思うのですが、完全にイカれてます。無数のギャル(死語)の嬌声…原田真二さまはやはり「愛くるしい人形のよう」に華麗なたたずまいで、ピアノを弾き語りします。「キャンディー アイ・ラヴユー めざめてよ」「しーんじー!」と嬌声たちが叫びだします!その最初のフレーズが繰り返さえるたびに「しーんじー!」「きゃーあ」

・・・なんて楽しそうなんだろう。しかも「真二クン本心イヤなんじゃないのかな」と思っていたら、「しーんじー!!」のあとに一瞬ニコっとするのです!ニコッと!ニヤっとではありません。観客には見えなかったのかもしれませんが、カメラには映っていました。もし、それを観客が見ていたとしたら…失神。失神したことでしょう。ほほえみのきこうしシンさま… ああ、なぜそのように思考が至ったかというと、僕も「きゃーー」「しーんじー」「…(失神)」をしてみたかった。でもこの時僕は1歳だった。なんて哀しい。

ちなみにその動画はこちらです

www.youtube.com

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熱狂的な「しーんじ!」コールに一瞬の笑顔で応えています!神対応!笑顔サービスこそ神対応!さすがアイドル的人気!アイドル!

5.Plastic Doll 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:瀬尾一三

男女関係のひややかな部分を、プラスティックの人形にたとえ、せつなく歌ってみた(原田真二

 サビから始まる非常に軽やかな曲です。ボーカルもなめらか。ソフトロック的ではありますが、Bメロあたりから「原田真二」が炸裂してしまいます。唸って唸って目立ちまくって、彼より目立とうとする感のあるベースが印象的だなと思っていたら、後藤次利大先生(嫁は河合その子!)ではないですか。そしてこの曲の聞きどころのひとつは「フェイク」です!原田真二は、ライブでもフェイクが得意好きなようで散々かましています。「フェイク」は歌がうまくないとできない。声がでないと出来ない。即興的に音楽を奏でられるような才能がなければできないのです。しかし彼はそれを「完璧にしかもかわいく!」やっているのです。あああ。見事です。しかしこの曲は哀しい曲、プラスチックの人形みたいな女の子だった!チェ〜みたいな。哀しいほどに少女漫画的、だということも本人はきづいてはなさそう。そんなところが魅力的ですね。

6.Good Luck 作詞:松本隆/作曲・編曲:原田真二

アメリカ・ニューヨークの大都会をバックに、コンクリート色の恋を歌った。(原田真二

 この曲が「A面」の最後の曲です!A面ですよA面…。もう無くなってしまった言葉ですよね。念のために説明しますと、昔は音源は主にレコード、もしくはカセットテープでリリースされて、それぞれ収録時間に制限があるので、「A面」「B面」にわかれていたのですよ。今みたいにCD、音源ファイルで永遠に…なんてことはなかった。わけなくてはいけなかった。だから、A面とB面の始まりと終わりの流れは考えられたりしていた。そんな時もあったのです。「5曲ごとになんかちょちょっと変えるだけじゃない」とか、そんなことは思わないでください。レコードをひっくりかえして、また針を載せる。それがどんなに手間なのか…。

すみません。この「Good Luck」は上記のセルフライナーノーツを観ると、なんだか顔が赤くなってりんごのように。でも真ちゃんだから…なんて思ったりするのですが、嘘みたいなことですが、この曲を初めてきいた時にこの「アメリカ・ニューヨークの大都会バックに…」なんて文章は読んでいませんでした。でも、見えていたのです。ニューヨークかどうかはわかりませんが、都会…愛しい都会…とと東京(涙)のキラキラした風景、自動ドアが開いたけど中に入ることはできない。そこだけ「きみは席をただず冷めたティーを見てる」のところから、突然に音の景色が変わるのです!我に帰ったかのような。「また恋が終わったんだな彼の」と思っていたら、タイトルが「グッドラック」だと気づいた次第です。よくできています。A面も終わったのです。さようなら。グッドラック(涙)

SIDE B

1.風をつかまえて (Catch The Wind 作詞:松本隆/作曲・編曲:原田真二

 映画音楽のタイトルを想定して書いてみた曲。背景はヨーロッパの朝という雰囲気で書いてみた (原田真二

 映画音楽のタイトルを想定して、というかそのまんまみたいな曲です。バート・バカラック好きだったのでしょうか?でもこんな曲、くそシャレオツな曲を日本人で77年にやっていた人がいただなんて!僕はこういうソフトロックが大好きなのです!ソフトロックって「ソフトなロック」のことではないですよ。ソフトなロックですけど、違うのです。一定の様式美によって成り立つ音楽なのです。それは洗煉されたサウンド、聴きやすいサウンド、生ピアノギター生ストリングス生ブラス、打楽器ハープ、そして手間のかかった生のコーラスがそれらが合わさった「ドリーミー」な音楽。主に60年代のアメリカにてそれらはありました。この曲は「ソフトロック」そのものです!なんていうことなんだろう。もしかしたら今、映画を見ているのかもしれない。そうなんだ。しかもヨーロッパ!ヨーロッパだいすき…ほんとうなんですよ。つまり、とても素晴らしい曲です。ああ、風をつかまえて…ボンソワール…ボナセーラ…hay,Candy..

2. てぃーんず ぶるーす 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:鈴木茂瀬尾一三

てぃーんず ぶるーす - Wikipedia

曲が出来た経緯を知ると、少し複雑な気分になる曲です。しかし代表曲にふさわしい曲には違いのない素晴らしい曲です。若いものは傷つきやすいんだよ。若さって壊れやすい。こんな曲をリアル若者に歌わせる。それを上手く歌ってしまう。「それが僕のブルース」それを傍観している自分が恥ずかしくなります。でもありがたく享受したいと思います。それが僕のブルース(涙)そんなことは考えずに、ひたすらありがたく聴きましょう。ああありがたや。ありがたや。

3.High-Way 909 作詞:松本隆/作曲・編曲:原田真二

アメリカ・ウエスト・コーストのハイウェイを、カー・ラジオといっしょに歌いながら、ハッピーなドライブを楽しんでいる雰囲気で書いてみた。(原田真二

 「なんておっさん臭い曲なんだ!」とちょっと思ってしまいました。それはジェネレーション・ギャップであり、そこにあまり憧れがない。聴いてわかるとおり、そしてご本人も書いているようにこれは「アメリカ」を表した曲です。しかしこの陰鬱な日本よりも、陽気っぽい。陽気っぽいけど確実に狂っている亜米利加の方が、彼には合っているのかもしれません。陽気だなんて素晴らしいじゃないですか。僕は陽気じゃないけど、陽気な人が好きなのです!明るく行こうよ〜!冗談ではなくて、「ポジティブアレルギー」(例:ナオト・インティライミつらい)の自分でも、受け止めてしまうそんな力強いポジティブさ!さわやか!まえむき!おれじゃねえか〜みたいな。わかりますかね?

4.ANGEL FISH (作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:鈴木茂瀬尾一三

エンジェル・フィッシュみたいな彼女をつかまえられないむなしさを、16ビートにのせてリズミカルな歌にした (原田真二

 「16ビートにのせて」なんて素敵な言葉ですよね。でもみなさんは「16ビート」ってなんのことかわかりますか?「エンゼル・フィッシュみたいな彼女」みたいなたとえよりはわかりやすいですよ!「8ビート」が「ツツタンツ ツツタンツ」だとしたら「16ビート」は「ツツツツタンツツツツツツツタンツツツ」みたいな感じですよ!要するに倍ですよ倍。8の倍は16。そういう曲だから難しいのです。「エンゼル・フィッシュみたいな彼女」はつかまえることができなくて、むなしい!ああ全てが繋がりました。そんなことよりも、やはり彼は「エンゼル・フィッシュみたいな彼女」をつかまえられていたのでは?と思うくらいに自由自在に歌をうたい、素敵な景色を見せてくれます。まるで…捕まえたエンゼル・フィッシュのように…ありがとう原田さん。。

5.黙示録 (The Revelation作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:原田真二瀬尾一三

バイブル黙示録からとった。とても気に入っている曲で、ボク自身としては、今世紀最大の名曲だと思っている。(原田真二

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迷える子羊たちよ

ヨハネの胸に寄り掛りなさい。そして祈るのです。

来るべき終幕の時のために

ああ、僕は己は何と問う。

この神聖なる歌を持ち、このアルバムは終わるのです。しかし終焉ではない。誕生であり、蘇生でもあった。しかしその魂だけが残されてしまったかのような。

ああ、きみは誰なの?

www.youtube.com

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ああ、きみはだれなの

僕は誰なんだろう。僕のこころは、写真を自分で撮ったローマ・トラステヴェレのまま。でも、日本であなたにまた巡り会えた。帰ってこれてよかった(5日間だけでしたが)こんな感じです。この曲は恐ろしいまでに尊大です。尊大という言葉はよくないのかもしれないけれども、そのような曲です。壮大であり、尊大。

 

というわけで長くなってしまって最後は混乱気味になってしまいました。

このブログ、「グーグルアナリティクス」を最近導入したのですが、約8割がモバイルからのアクセスでした!だから万が一ページを開いただけで、パケット代がかかってしまいます。ごめんなさい。僕は今月松居一代の動画をwifiが無いところで見てしまいいきなり「パケット使用量制限」がかかってしまい…

どうでもいいですね。本当にごめんなさい。もう終わりします。

ああ〜僕は〜だーれなの…しんじー!

 

ライブハウス新宿JAM閉店【思い出がいっぱい】

新宿ジャム

新宿JAMは2017年12月31日をもちまして閉店する事になりました。
1980年10月オープンから37年、
関わってくださいました皆様には、
心より感謝申し上げます。

新宿JAMの現ビル(セントラルビル)での営業が
今年一杯でCLOSEすることになってしまいました。
ビルのオーナーが代わり、ビル自体を取り壊しする事になりました。

ご来場のお客様、出演者の皆様には大変お世話になりました。
心より感謝を申し上げます。

営業は12/31まで行います。
ゴールまでは全力で頑張ろうと思っております。
皆様、是非お力をお貸し下さい。
何卒、宜しくお願い申し上げます。

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新宿JAMが閉店。いつかこの日がくると思っていました。だって、20年前に出ていた時からもうボロボロ、くそボロボロだったから。

でも、それが格好良く見えました。ステージも客席も狭くて、楽屋もカオスで狭かったけど、僕にはそれが格好良く見えた。

僕が2000年前後にライブ活動をしていた頃に、一番出た、ライブハウスだったかもしれない。でも、何度も出たことは覚えています。

バンド活動開始直後は、ここに出ていました。バンド活動開始直後に出られるところはここしかなかったからかもしれない。そして出たかったところでもあります。そんな不思議な魅力があるところでした。

現在は大江戸線副都心線が最寄りの「東新宿駅」ですが、そんなところはその頃にはなかった。だから明治通りまで新宿駅からひたすら歩かなくてはいけない。頑張って歩いた。新宿駅から。でも楽しかった。新宿が好きになったから。そのうちに、靖国通りからゴールデン街の裏の小道を抜ければ快適に行けることに気がついた。ミスタードーナッツの裏のところ。

またこれクソボロい練習スタジオも使った。あまり使わなかった。吉祥寺のペンタや、その他の方が、駅から近かったから。他のメンバーがギターやベースを持って歩くのが辛かった。僕はドラムだったからスティックだけだった。スネアドラムを持っていたときもあったけど。

それでも、新宿JAMは特別なものだった。

 

僕がサポートをしていた、けれども公私ともどもにバンド生活を共にした、大切なバンド、De Kooningが主催した「Love Knots Party」というイベントがここで開かれた。

De kooningは、まだまだライブ活動を始めたばかりだった。僕もドラムを始めたばかりだった。久々になんとなくで始めさせられたのだけれども、ライブで叩くことになった。ちなみにDe Kooningの最初のライブは「下北沢シェルター」だった。僕がはじめて「ギターポップ」のライブを見たところだった。ちなみに当日はライブ中に酔っぱらい?かジャンキーかわからないこわい人が乱入してきた思い出がある…

「Love Knots Party」には意外にもたくさんの人が来てくれた。「この人達誰なんだろう」と不思議だった。ちなみに恥ずかしいのだが、自分や仲間たちのユニットの曲が入ったデモテープを配布なんかもしたりした。De kooningはCDのリリース、シングルのリリースはされていたように思うけど、主な作品はデモテープだけだった。インターネットはそこそこ発達はしていて、HPはあって、そこでのファンの人たちとの交流もあった。でも小さなスモール・サークル・オブ・フレンズだった。それでもライブハウスにそこそこ人が入った。そういう時代だった。特別に人気があったわけではないと思う。ちなみに、人が来ないライブももちろんあった。でも気にしなかった。誰も。新宿JAMのそのイベントでは「赤がでなかった」と主催者が安堵をしていた記憶がある。JAMだったから知名度がなくても人が集まりやすかった、なのかもしれない。

 

それからしばらくして、僕は別のバンド、掛け持ちのサポートでライブに沢山でることになった。その中にも新宿JAMはあった。

「帰ってきた」と思えるところだった。またいつか出たいな。と思っていたと気づいた。

 

いつ最後になったのかはわからない。そういうバンドの人もたくさんいると思う。ほとんどの人がバンド自体をやらなくなった。そうだと思う。でも、みんながそうではなかった。ここを根城にして、駆け上がって、もっともっと大きいライブハウスで、ホールでやっている人たちがいる。

それから僕はバンド活動をすっかりしなくなって、普通の社会人になった。ずうっと埼玉に住んでいて、新宿やら渋谷やら後楽園とか都内まで長時間かけて通勤をする日々を送っていたのだが、解放されることになった。それは新宿区だった。都内に引っ越すにあたって、憧れの新宿区に住んだのは、副都心線に勤務地があったことで、たまたま僕の新居は副都心線西早稲田になった。

自転車で明治通りを通る。なんてことが日常になった。それが普通になったことは僕にとってすごく大きいことだった。ことだったはずなのに。

新宿に移り住んで、数年たったころに、明治通りを自転車で走っていたところ「はっ」と思った。そうだ、新宿JAM、まだあったんだ。ここにあったんだ。

 

僕はすっかり忘れていた。新宿JAMのことを。いつも通っていたのに。埼玉から東武東上線乗り継ぎ山手線で新宿駅からひたすら歩いて。なんてことだ。あの頃必死にここに来ていたのに。大切なことを忘れていた。その時は土日で昼でもライブをやっていた。その日の出演者の張り紙に掲示されているバンド、もちろんだーれも知らない。なんて愛おしいんだろう。新宿JAMは変わっていない。僕だけが大きく変わってしまったんだ。遠い遠い、遠いところに来てしまった。と感じてしまった。

近くになったのに。自転車どころか、歩いてこられるところに住めたのに。大事なものが遠くなってしまった。別世界になってしまった。もうここに出入りできる人間ではなくなってしまった。

 

それから僕は「都落ち」をして、遠いところでこのニュースを知った。今はまた「都」にて音楽活動をしていたころをひたすら懐かしくおもい、その時に帰りたい。帰りたい。また新宿JAMに出たい。でも…。 

「ライブハウス」がなくなって、さみしいなんて事を思ったのは初めてだと思う。でも、いつなくなってもおかしくなかった。ひさびさに見た新宿JAMは「そのまま」だったから。淘汰されてもしかたがない。建物がなくなって新しくなって復活する、違う場所へ移転する。そうなるのかもしれない。しかし、古くて使い物にならなくなった音楽なんて、新宿JAMに出ているバンドたちには存在しないと思う。そういう存在なんだと思う。ただただ、郷愁に浸るしかない。世の中とはそういうもの。

 

また、ライブに出たりしたいです。長野から明治通りは自転車では行けないですよね。あまりにもまだ、遠いです。すごく…すごく…。

おわり

 

【財布三部作完結】「財布落としソング」を歌ってピアノ弾いて動画にしました><

www.youtube.com

衝動的にこの動画を作りました!

恥ずかしいことはわかっています!

でも恥ずかしいから、せっかく恥ずかしいのだから、言っていなかったことを、ここで明かしました!

ほんとに恥ずかしいので、動画は消すかもしれません!

でも、なんとかおもしろいものにしよう字幕入れたり、くふうをしています

なんだか虚しいですが、動画作成スキルもあげたいなと思って…

そんなことよりやることはたくさんあります。

でも、今はこのとおり、お金がありません!でももうすぐ入ってくる!

もうお金が入ってきたら、安定するのです。精神も!何もかも!

今だけの狂気を楽しませてくださいね!くれ!

 

そんな僕ですが、今後ともよろしくお願いします!

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【Kagrra,】「四七抜き音階」が溢れるこの時に「一」はもう無いなんて。 Kagrra Indies BEST 2000~2003【ヴィジュアル系】

(この記事は4月中旬に書いて下書き保存したものを、本日加筆して復興させました)

Kagrra Indies BEST 2000~2003

Kagrra Indies BEST 2000~2003

 

 桜の季節。

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桜というものは、美しいものです。だから人が集う。このひとの少ない街にでも、たくさんの人が集まってきます。

この地は長野です。

数々のヴィジュアル系バンドマンのルーツとなった、この地です。

この写真の「上田城」のある「上田市」には、残念ながらそのような方はおられないようですが、足を踏み入れていたなんていうことが聴こえてきたりします。

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そして、僕は昼の桜に違和感を感じていて、「そうだ夜に行こう」と思いひとり自転車をこぎこぎしながら、向かったのです。

そこで見た桜をみて、僕は内的な心の惑いを感じてしまったのです。花びらのひとつひとつが私に問いかけてくるように、迫ってくるのです。なぜだろう。なぜですかと花びらたち、無数の花びらたちに聴いてみたのですが、やはり答えは帰ってきません。

なぜ、夜の桜にこれだけくるってしまうのか、答えはすぐにわかりました。

昼の桜には青い、素晴らしい青さがある。しかし、夜は黒いのです。

圧倒的な黒と、圧倒的な桜。それを前にしてくるってしまうなんてこともあると思うのですが、いかがでしょうか。なんてことを思いました。

暗闇に見えない空と桜を眺めて、あの人がもし生きていたら

葬春華舞い散るあの丘で…。

 

近頃、「和風」の音楽をよく耳にしますよね。

その人達の音楽を聴いていると、やはり僕としては彼らを思い出してしまうのです。

それはKagrra, です。

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 前身バンド「CROW」(KEY PARTY)を経て、PS COMPANYに移籍し、2000年より活動開始。あの頃が最後のヴィジュアル系バンド界の盛り上がりだったかもしれないと思ってしまう時期に活躍していたバンドです。

こんなことを今更、紹介するのも何なのですが、彼らのコンセプトは「和」でした。

「和」にはこだらわないようになってしまった時期もありましたが、このインディーズ時代の曲を集めたころは、より純然たる潔いまでの「和」を感じさせてくれます。

 

◯四七抜き音階について

ヨナ抜き音階 - Wikipedia

タイトルの「4」と「7」の無い音楽、「四七抜き音階」ということについて。

「4」と「7」が無いというのは、ドレミファソラシドの4番目と7番目が無い、「ドレミソラド」になるということです。これは「ヨナ抜き音階」として、音楽界では知られているものです。「4」は「ファ」で「7」は「シ」です。それが無い。Aマイナーだと「ラシドレミファ#ソラ」で「ラシドミファ#ラ」

それだけでどこか「和」に聴こえるというのはその通りですが、発祥は日本ではないとのこと。

しかしこれを使うと「如何にも和風」な曲が簡単にできてしまうのです。なので、よく使われます。例えば演歌!演歌はほとんど「四七抜き音階」です。「なんか演歌って似ている曲ばっかりだな」と思うのは、そのせいです。

演歌でなくてもそうです。中田ヤスタカさん。最近のきゃりーぱみゅぱみゅの曲、「にんじゃりばんばん」「つけまつける」などなど。ほとんど「四七抜き音階」です。Perfumeの曲もそうです。中華風にも聴こえる四七抜き音階をうまく活用しています。「Perfumeはまた四七抜き音階かー」と、シングルが出る度に思います。

そして、もう一つ大きく使われていることがあります。それは「ヴォーカロイド」の世界です。あまり知らないのですが、その界隈で一番有名な曲「千本桜」あれも「四七抜き音階」そのものです。だから小林幸子が歌ってハマった。

そして、最近話題の和楽器を標榜したバンド、武道館公演までやった人気のバンドがいます。彼らの音源を聴くこともできるのですが、CMでアルバムの曲が少し流れて、その曲たちが全部「四七抜き音階」だったことから、聴くのはやめました。

僕は口惜しいと思ったからです。

 

なんで、なんで今はこんなに「四七抜き音階」が溢れているのに「Kagrra」はいないのって

 

Kagrra,のヴォーカリスト、一志さんは、2011年7月18日、死亡されているのが発見されました。今日はちょうど命日です。

僕は一志さんが亡くなられたことは知っていました。シーンの中でも近いところにいた、蜉蝣の大祐さんがなくなって、1年と3日後。それは偶然だと思いますが、あんなに同時期に頑張っていたバンドのヴォーカリストが続けてなくなったなんて。ショックでした。

 

そして、その死因が自殺だった。それはずっと知りませんでした。そして彼が長野県出身だったということも知りませんでした。ショックでした。長野県出身のヴィジュアル系バンドマンは案外いるということは知っていましたが、彼もその1人だったなんて。大祐さんと同じ死因ににて亡くなってしまった。大祐さんにはその兆候があったことは否めません。彼は必死にもがいていた。しかし、一志さんにそのような兆候はなかった、と僕は感じています。全く素性を知らない、作品を通してでしか、知らない。

だから今日はあえて初期のインディーズ時代のベストアルバム「Kagrra, Indies BEST 2000~2003」を普通にレビューにして、Kagrra, というバンドをこのブログ、インターネットに刻みたいと思います。

Kagrra,は「ヨナ抜き音階」使用していました。それはもちろん無意識ではないと思います。そんなことを思い浮かべながら、再度Kagrra,を聴いてみました。

 

01:あまふらせたんまいな 

呪術的なタイトルの連呼から始まり、土着のリズムに乗って展開していく。いかにもKagrra,らしい「和」の曲。しかしサビは流麗であり、一志の唯一無比の高音ボーカルが冴え渡る。妖精でもあり、女神でもある。天女の方が近いのだろうか。山奥で乞われるのはタイトルとうり「あめ」なのだろうか。歌詞では別の物を乞うているように見える。なにかをふらせてなにかを壊してほしい。そのように。気のせいだろうか。

02:魔笛 

この曲のイントロとAメロ、Bメロとサビは調が異なる。それは聴けばわかると思う。マイナーコードとメジャーコードの違い。それはわかりやすい。けれどもそれだけではない。サビのみ「ヨナ抜き音階」を配している。だから全く別物に聴こえる。ひじょうにポップとしか言いようのないサビ。それはやはて「ヨナ抜き音階」に戻り、また表れて、そのメロディは幻のようにやがてまたそれは過ぎ去っていく。まるで儚き微風のように。

03:白い魔手  

Kagrra,はまがいのことなき「ヴィジュアル系バンド」であるということをわからせてくれる曲。彼らも他のバンドと同じように同じような歩みだった。でも、いつからかそこから脱した。脱しようとした。そしてそれは成功した。このインディーズベストは、インディーズ時代のベスト。インディーズ時代のベストを出したバンドなんてそういない。その後の試行錯誤を考えると、少し愛おしくおもう曲。

04:月下想葬

なんて素晴らしい曲なんだろう。当時テレビ埼玉でCMが流れていてそう思った。サビの部分だけだったのに。もちろん良いのはサビだけではない。歌から始まるイントロから素晴らしい。「月下想葬」月の下で、葬を想う。これは皮肉になってしまったかもしれない。しかし、月と死は似ている。そう感じた。月は人を狂わせてしまうということがあると聞いたことがある(LUNACY) 月のあるところには、死もある。なんて哀しいだろう。そしてなんて美しいんだろう。このメロディはせつなすぎる。イントロのフレーズが繰り返される。そして物語は終わる。月が沈む音とともに。

05:妖祭  

鉦(かね)の音。太鼓的なリズム。うねるベース。ベースラインはもちろんヨナ抜き音階!祭りだ祭りだ。これほどまでにヴィジュアル系で「祭り」を表現した曲があるのだろうか。しかしサビはやはり流麗であり、一志氏の脅威のハイトーンファルセットが「妖祭」を彩る。ギターのソロもリズムに合せたもの、和楽器的ともいえる。かれらがいかに「自分達ができる範囲で”和”を表現しようとしたのか」という思いが伝わってくる曲だ。

06:神謌  

「かみうた」と読む。この曲はこのバンドがツインギターだということをわからせてくれる良い見本だと思う。同じカッティングのフレーズが右と左から流れてくるのだが、違うように聴こえる。違っていい。違うからこそ、人力なんだ。当たり前なのだけれど、全く同じようにしている、それが演出だったいいのだけれど、そういうバンドも多い。時に2つに別れて違う線となる。緩急おりまぜドラムとベースも動く。ドラムの細かい16音符のハイハットが聴きどころ。このような中庸な曲こそKagrra,そしてヴィジュアル系バンドの醍醐味だと思う。

07:徒然なるままに… 

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

鎌倉時代、結局誰が書いたのかは正しくはわかっていない「徒然草」この曲のタイトルを見て、それを思い出した。鎌倉時代なんて、想像もつかないけれども、そんな時代があったということを知られることは素晴らしいことだと思う。この一文が素晴らしいからこそ、語り継がれて来た。この言葉たちに寄り添うこの「徒然なるままに…」はそれにふさわしいものだと思う。何時代かわからない人たちが、つれづれなるままに日々を過ごす。こんなこと書きつくれば、いなくなったあなたを思うのです。そんな時でも美しいKagrra, なのにもういない。なんてやめましょう。徒然なるままに…

08:沙羅双樹の子護唄  

沙羅双樹、サラソウジュと読むらしい。3拍子の落ち着いた曲。静かに咲いて枯れていく花が見えるよう。花はいつか枯れる。最期の時はくるけど、生命は巡っていく。終わっても巡っていく。歌詞からそんな思いが伝わってくる。ひとひらの花びらが散るように終わる。

09:夢イズル地  

こんな素晴らしい曲、つまらない言い方をすれば「売れそうな曲」がこのまま埋もれてしまうなんて。この曲はKagrra,のポップな部分、明るい部分、幻想的な部分、そして和的な部分を全てわかりやすく表現したすばらしいー曲だ!この時期のヴィジュアル系バンドに共通してと感じていることは、曲の組み立て方が非常に上手い。だんだんと盛り上がって、サビで惹きつける。それはヒット曲に必要なことでもあり、聴いているほうとしてもやはり楽しい。この曲が「和風アニメ」の主題歌タイアップが付けばよかったのに。もう、終わったことなのがくやしい。

10:恋綴魂  

黒い曲。黒い中に群青の何かが蠢いている。そんな曲。要するにダークな曲。だけれどもこの曲はとても美しいと思う。暗闇の中で、目に見えないものが蠢いているけど、そこに生命は感じていて、それが血に変わる。アップテンポなのに、遅く感じる。そこに隙間が多いからかもしれない。良い意味で気のぬけたような、何か今までと違う景色が広がったかのような。違う世界に行ってしまったかのような!恋、つづる、魂。魂は見えなくなっても消えることはない。

11:春麗  

「明るいヨナ抜き音階」いい加減ヨナ抜きは飽きたかもしれない。でもそう表現するしか伝わらない。彼らもそうだったのかもしれない。「またヨナ抜きになった」そんな会話が交わされていたのではないか。そうだとしたら、すごく楽しそうにもこの曲は聴こえてくる。和とは本来くらいものではない、明るいもの。明るく「和」を楽しんでいる。良いことではないか。日本が明るい時代だった時もあった。本当はそうなのかは、誰も知らない。しかし今は残しておける。おそらく全ては引き継がれてそのまま記録されていく。そこに残すために、人は何かを…

なんだか疲れてきました。今は夏だけど、春が恋しいです。全てが麗しいはる。チュンリーら。

12:し、み、め、ゆ、き、さ、あ  

日本においては、西洋の文化が入るまで文章は全て縦書き縦読みだった。西洋が入ってからは、一時期はこのように「右から左へ書いて読む」ということもあったよう。平安時代鎌倉時代にあったかはわかりません。源氏物語あさきゆめみしの時代)には無いと思う。この曲は享楽的な生活を送っていた天皇とその側近たちの優雅さを表現したのだろうか。僕には「源氏物語」を図書館で借りて読んで妄想に耽る現代の少年少女が浮かぶ。そんな子たちが現代に果たしているのかは謎だけれども。「源氏物語」を読まなくても、かならず社会の授業で習うのだから。そこで少女はインスピレーションを受けて、ノートにこう印した。「し、み、め、ゆ、き、さ、あ」そのまま書いてもし見つかったら恥ずかしいから…

13:桜花爛漫 

この曲順はメンバーが決めたのだろうか。僕の気のせいかもしれない。最期の桜、最後の桜の曲が待つ丘に向かって一歩一歩、咲き誇る桜を見つめながら、何かを覚悟して、強い風の中歩んでいくような風景が見える。誰かに対して、語りかけている。そこで待っている人に。しかしその人への別れのようにも聴こえる。メンバーの演奏も何かよくわからないけれども、強い強い意思を感じる。言いたいことは「ありがとう」なんて曲なんだ。桜はただただ美しい。そしていつか散る。

14:桜舞散るあの丘で

映画をみていた時に「映画が終わった」とはっきりわかる時がある。エンド・ロール。主題歌が流れて「終わった」とわかる。ハリウッド映画ではそのようなことはない。日本の商業主義的な映画でも、それはない。現代の映画はリスク回避のため「製作委員会」が設立されて、それらに投資をした人たちがさまざまな目論見を持ち込んでくる。「映画の主題歌」「ハリウッド映画の日本版だけの主題歌」はそういうものによる。

この曲を聴いて、映画のエンド・ロールが浮かんだ。終わったんだ。現実的にこの曲がこのベストアルバムの最後の曲。 

全てを包み込んで、高いところから見下げるような曲と歌詞。達観というにはあまりにも純粋すぎる、しかしこのアルバムでKagrra,が終わったわけではない。あとにも続いたメジャーレーベルの時代が彼らの真骨頂なんだろう。

しかし、終わってしまった。すごく哀しい。自ら生命を断ってしまった。

映画は終わったんだ。でも、彼らの音楽はまだ終わっていない。私の生きてきた鬼の街はとてもさみしくて。そうだ。とてもさみしい。長野はさみしい。この地、僕が今いるところとは離れているけれども、同じ都道府県で育って、でもそこでは亡くならなかった一志さん。あなたがえらんだことは間違ったこと、とされています。が、魂は消えても、音はなくならない。それが答えです。生命は儚い。桜もすぐ散る。でもすごく美しい。

 「ヨナ抜き音階」「四」と「七」が無い音楽だらかの時代になったのに、「一」がないのはせつない。せつなすぎる。

おわり