さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



僕は幸いでしたが、それが不幸でした

僕には大事な趣味と特技あります。散々書いていますがそれは音楽です。

 

ほんとうにそれしか無いのです。なんでもっと大事にしなかったんだろうと思ってしまいます。そしてなんでもっと大事にしていないのかなと反省を毎日しています。

今後、別に音楽で身を立てようなんて考えていません。とりあえず音楽をもっとやるべきだ、とは普通に考えています。

 

不幸中の幸い、という言葉はあまり良くない悲しい場合に使うので、自分には当てはまらない恐れ多いのですが、自分はそうだったと思います。

音楽も何もやらなくなって、貧しいアルバイト時代になってしまった20代前半から、30手前になって、社会人としてなんとかなってしまった、ということです。あろうことか、会社で働くことが楽しいとなった。

が、それは良いことでした。良い経験になりました。ほんとうは、それが良いはずでした。それは別に自分の趣味や特技を活かせるものではない、得意ではないことでした。このブログでやっている作文に近いような仕事をやっていたときは楽しかったけど、それはあくまで業務用です。そしてそこから苦手な仕事に、会社の為だけを思って、社内で仕事を作って、チームまで自分ひとりで作ってしまった。あろうことか、です。そして、その会社からは後から入ってきた人たちに追い出される形になってしまって、辞めました。最悪の出来事でした。

 

そこで、気づけばよかったんです。もっと音楽をやるべきだと。どんなことがあっても自分にはそれがあったはずだった。

しかし、生活のために、また苦手な仕事で転職をしてしまいました。

しかし、またしかしでごめんなさい。転職をした会社は、前の会社よりも、とても素晴らしい会社でした。また素晴らしい体験ができてしまった。しまったのです。でも苦手な仕事だったので、クビになってしまった。クビになったのはショック、でもなかった。苦手な仕事から解放されたからです。せいせいした、と同時に、脱力感もありました。苦手な仕事をもう計5年間も続けてしまった。思い出と、自尊心が満たされただけでした。良い経験ができた、だけでした。自分には何も残らなかった。

 

その次が、また不幸ですが、また運がよかったのかわるかったのか…

自分が薄々とやりたいと思っていた仕事に就くことができたのです。そして今までの会社とは比べ物にならないくらいの素晴らしい会社でした。でも、派遣社員でした。1年3ヶ月で契約終了が告げられたときに、自分はホッとしました。明らかに自分には似つかわしくないレベルの会社だったからです。正直、毎日ディズニーランドに行っている気分でした。満足をしたのです。

そして気がつくと、実家に連れ戻されて、悪夢のまま、また東京に来て、今になります。

 

長野の田舎で、僕は人前でピアノを弾く機会がありませんでした。長野に住んでいるときに、東京のライブハウスのオープンステージに、なんとしても出たかったのは、そのような背景がありました。

長野にて人前でピアノを弾いたのは、同じアパートに住んでいる中年の男性と、最後の最後に仲良くなり、自分の部屋に呼んで、聴いてもらったのです。「天才だね」と言われてしまいました。僕は悲しかった。謙遜ができなかったからです。

僕が、中高、長野にて散々言われてきたことを、ときが過ぎてまた言われてしまった、という事実が、ただただ悲しかった。

 

こんなに長く無駄な時間、壮大な時間を過ごしてきてしまったんだと、気づいてしまったのです。

くやしい。くやしいとずっと思っています。くやしい。もっと自分が楽しく生きるために、音楽をやるべきなんだ、と考えています。

というか、今、できているのです。本能のままに、人と音楽ができるという幸運な時間を過ごせているのです。ほんとうに楽しいです。つまらない制約も無く、しかし音楽的な秩序を保って、音楽を紡いでいくということができている。

でも、もっと良くしたい。今、時間はあります。もっともっと楽しくしたいのです。今までのバンド活動よりも、ずっと有益です。もっと無心に高度にやりたい。完成度を高めたい。でも、即興演奏なのです。同じことを反復練習とかできないのです。なんてロマンティックなのだろう。楽しい楽しい楽しいことが大事ですよね。よかったよかった。

www.youtube.com

セッション動画の中で、最近のお気に入りのものを載せます!全部良いんですけどね。

 

この曲は良いです。何かが時間に取り憑いていると、ピアノを弾きながら感じました。

17分くらいあるのですが、観ているとあっという間に時間が流れてくのを感じます。それはドラマーさんとの共通認識なんですよ。まさに即興ロマンス!!

最後もキレイに終わらせられたと思います。終わりが難しいんですよ即興演奏って。。

ほんとうに2人の息も合ってきた、ますます合ってきたと思います!

長いので、ニコニコ動画にアップロードして、自分でコメントつけようかな?「ここが良い!!」「さいこう!!」とか。。ダメか><

 

終わり

今後の目標:とにかく楽しく全てを過ごす!

とにかく楽しくすごしたいです。なんせいつ死ぬかわからないのです。

コロナなんとか19より地震の方が怖いですよね。。最近微震もあったりしました。

ほんとうにいつ死ぬかわからないのです。なので、細かいこととかどうでもいいですよね。貯金も…貯めるようなお金が無いのです><どうにでもなります。

自分は、会社人生でやりのこしたことはありません。もう十分に満足しました。今の仕事は「くいぶち」です。くいぶちがあるだけ良いですよね!どうなるかはわからないけど…それでもいつかぬときはくるのです。

「死ぬ死ぬなんて連呼して、なんてネガティブ太郎なんだろう。。。」

と思うかもしれませんが、事実です。みんなやがて死ぬのです。「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉を残したのは、フランスの芸術家。マルセル・デュシャンです。墓標にはその言葉が書かれているのです。素敵ですよね。この世の真実…!

 

なので、僕はなるべく楽しく過ごしたい。それしか考えないようにしたいです。楽しくするための努力は厭わないです。そうです。なんだかやる気がでてきました!

 

しかし、ちょっとまだ気力が無くなっています。体力も。。><今日も頑張って外に出て歩きましたが、トホホトホホな感じですぐに疲れてしまいました。でも頑張って歩きます明日も!!目標を持って歩くようにしないと駄目になりました。なんせ家の近くには何もなくて、つまらないのです。が、この前、「グリーンゲイブルズの秘密森」赤毛のアンから)が歩いていたら見つかったのです!もっと良い場所が見つかるかもしれない!

 

明日も楽しくがんばろう!

f:id:maemuki:20200513002335j:plain

ポニーかわいい!!!

おわり

年齢を重ねて変化したことを記録したい

どうにもトシをとってしまいました。もうどうしようもないですよね。たまーに「若い」とか言われたりするのも、少なくなってきました。否定謙遜しつつも「そうなのかなあ」とうぬぼれていたことを告白します。しかし、しかしもうどうにもやはりトシをとってしまったのです。

体が変わったということは、ないのですが、顔にほうれい線が目立つようになりました。木村拓哉が最近テレビで見かけると…ほうれい線が気になってしまいました。まあ元がとてもかっこいいので、あまり気にはならないけれども、木村拓哉より少し若い同性としては気になってしまうのです。最近、木村拓哉が痩せた?ということもあるかもしれないです。また、目の下のクマも目立つようになったと思います。これもどうしようもないですね。万年睡眠不足なんです。でも昼間はずっと眠くて…最近はずっとずっと横になっています><

それに、もっとひさんなことがあります。「うんしょ」とか「よしよし」とかを行動が伴って口から出てしまうのです。大した動作もしていないのに、どうしても「よっさ」とか「うっし」とか…。そういうことありませんか?母親がそういうのがあって、似てしまったのかなあと。

また、飲食にも変化がありました。それはお酒です。自分は下戸なのですが、前述をした睡眠の解消のため「酒に弱いことを利用しよう」と、寝る前に飲んだりするのです。今は、コンビニエンスストアで買った梅酒をロックで飲んでいます。が、全く酔わないのです。梅酒が弱いということもあるかもしれないけれども、昔はすぐに酔ったのです。身体が受け付けないので、一杯くらいしか飲まないからかもしれないです。梅酒も冷蔵庫でずっと眠っていて、起こすこともあまりなくなりました。

 

精神的なことですが、最近は、追想をするようになりました。

眠れないときなどに、ここまであったことから良いことだけ、楽しかったことだけを思い返しています。ずっとずっとです。いろんな出会いがあった。出会いがあるって素晴らしいことですよね。出会いは財産だなあなんて、思い返したりするのです。

遠い昔のことも追想したりします。

ほんとうに昔のこと、名古屋に住んでいたときのこと。楽しかったけど、一瞬だったなあー 記憶ができたのは愛知県一宮市で保育園の年長のときに名古屋市中川区牛立町に引っ越して…小学校3年の夏から長野だったので、4年くらいしかいなかったのに。なんであんなに楽しかった、と思っているんだろう、なんて考えたりしています。ずっとずっと。

長野に引っ越して、環境が大きく変わってしまったということもありますが、やはり近所付き合い、親戚付き合いが無くなったということも大きいです。名古屋の家の近くには、中村さんという同年代くらいの兄弟がいる家があって、仲良くしてくれたなあーなんて。その後、長野のペンションにも遊びにきてくれたりしました。お互い大きくなっていてびっくりしたなあー。

あと、親戚ではないけれども、親戚同様のお付き合いがあった家があって、そこは製麺所を営む家で、同年代くらいの姉弟がいました。ファミコンをやらせてくれたり、家に遊びに行ったり。その家の弟さんは、今はその製麺所の社長になっているんですよ。

「林製麺所」と言って有名な「麺屋はなび」に麺をおろしたり、名古屋では有名な製麺所なんですよ。

www.hayashi-seimen.com

たまに長野にも焼きそばの麺や餃子の皮が送られてきたりして、それがほんとうに美味しんです。「麺屋はなび」は新宿店が、自分の前の家の近くの東新宿にあったんですけど、今は無くなったみたいです。行きたかったなあー。

こんな感じです。親戚づきあいはほんとうに無くなってしまったんです。自分より少し上の兄妹がいたり、他にもいたのに。親戚づきあいはいらない、という人も多いかもしれないけど、小さい頃に全く無くなってしまった、というのはさびしいものです。

また、「幼馴染」もいません。自分には。。それもいないとさみしいものなんですよ。

そんなことを思い返したりしています。

雑談みたいですみません。最近、雑談というものをしていないのです。許してくださいね。おわり

f:id:maemuki:20200512000542j:plain

猫の島に行きたいよう

 

終わり

 

藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」の歌唱動画を見て、本物の歌手というものを知りました


www.youtube.com

素晴らしい動画を見つけました。藤圭子さんが昭和54年に歌唱をした代表曲「圭子の夢は夜ひらく」の動画です。この曲は園まりの「夢は夜ひらく」のカバーですが、短いフレーズを繰り返すだけ、というシンプル極まりない構成の中でも、巧みな歌唱力によって、物語を感じさせるようなものになっています。

有名な歌詞「15 16 17と私の人生暗かった 過去はどんなに暗くても 夢は夜ひらく」という歌詞に音符をあてはめると

「ララシドドドシラ シシシシシ レレレレレシレ ミミミミミ ファファソラーソファラ ミレドレミ シシドミレドシラ〜」というこのメロディだけで、構成されています。それが計6回、間奏を挟んで繰り返されるだけ、です。これ以外のメロディが無いのです。大きな展開もなく、計3分で曲は終わります。

藤圭子は、この限られたフレーズの中で、譜面通りに歌いつつも、それぞれのフレーズ毎に微妙な違いをつけています。ほんの少し間を開けたり、早く進めたり、様々な変化をつけて、この曲の世界を表現しています。

何回か聴いていると、歌詞にあわせて変化もつけているな、と気づきました。

赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく

 最初は、これから語られる何かに対してを表しているように感じました。大きく捉えているなと。

十五 十六 十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くとも
夢は夜ひらく

 おそらく、この年代はもう遠いこと。過去は暗かった。その日々を苦々しく思いつつも、今につながっているのかなと感じました。

昨日マー坊 今日トミー
明日はジョージか ケン坊か
恋ははかなく 過ぎて行き
夢は夜ひらく

 ここは「こんな話おかしいけどさあ」みたいな、ちょっと自分を卑下しているような、笑い話に近いかのような語りかけがあると感じました。「恋ははかなく 過ぎて行き」のところは、一瞬でも愛した男達の顔を懐かしんでいるような、歌だけではなく実際の藤圭子の顔の表情にもあります。

 

夜咲くネオンは 嘘の花
夜飛ぶ蝶々も 嘘の花
嘘を肴(さかな)に 酒をくみゃ
夢は夜ひらく

やはり短い、歌のワンフレーズを繰り返した間奏から、続く部分は、場面が変わったのかなと。「夜咲くネオンは嘘の花」次の「夜飛ぶ蝶々も」は切羽詰まったかのように入ってきます。相手が何かを感じる前に、それを聴いてほしいかのような。この後に、言いたいことがあるか、何も無いことを表現しているのかな、と。

前を見るよな 柄じゃない
うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た
夢は夜ひらく

 「前」と「後ろ」と対象的な言葉に対して双方に「柄じゃない」と締められている、後の「後ろ」が強調されているのは、どちらも「よそ見してたら 泣きを見た」を強調したかったのかなと、感じました。

一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく
夢は夜ひらく

 最後は、ここまでの女の表情の全てが歌に込められていると感じました。自戒をして、強がるけれども「忘れられない 奴ばかり」のところが一番強調されている。でも「夢は夜ひらく」が2回繰り返されます。女が何を訴えているのか、などは考えません。これはある女の独白の曲です。大したことがない風景です。でも、そのようなところから、人間の本質が垣間見えることもあるのだと思います。

短い時間、同じフレーズの繰り返しでも、これだけの表情が付けられるなんてすごい、本物の歌手とはこういうものなんだなと、知りました。

 

そして、少し調べて、藤圭子はすごい歌手だったんだと気付かされました。デビュー・アルバムが空前の記録的な大ヒット、売上連続1位の記録を更新して、次の1位は、藤圭子のセカンド・アルバムだった、などの逸話があったと知りました。

娘が似たような道を歩んだんだな、と。やはり思いました。わかるかと思いますが、娘は宇多田ヒカルです。宇多田ヒカルが「遺書がある」と言っていたということも知りました。

今、このような高度な歌唱がテレビでは聞けなくなってしまいました。あるとしたら、民放のゴールデンの枠では無いでしょう。歌を本芸にしている歌手の人たち、ミュージカルやクラシックの歌手だったらありえるかもしれない。そもそも歌謡曲というものが現世から無くなってしまいました。大衆に支持される曲というものが無くなった。

それは時代の流れというには、あまりにも惜しすぎると思います。が、現状はやはり「夢は夜ひらく」ということなのかもしれません。

f:id:maemuki:20200509235418p:plain


おわり

 

【日記】「赤毛のアン的な散歩」をしました

かなり運動不足になっていて、外出をしても自転車を使っている事が多く、これはよくないよくないと思いつめて…。今日は歩いて散歩に行くことにしました。

風は強めだけれども、今日はひたすらに青い空に、暑くなく寒くなく、絶好の散歩日和でした。マスクもして。。自分はマスクがとても嫌いなのです。メガネをしているので曇ってしまったり。呼吸もつらくなってしまう。ああ嫌だ。

自分の家の周りは、ここで何度も何度も書いているように何もなく、人口密度も低いです。なので、周りに人がいないときは、マスクを口からずらすようにしていました。人が横を通る時には、サッと戻して。やはり良い気持ちはしないですよね。

仕方が無いので、Covid-19が無い世界を想像しながら歩いてみたりしました。

 

「想像しながら歩いた」というのは、最近見ているアニメ「赤毛のアン」の影響です。TOKYO MX TVで月曜日の夜7時から再放送で二話連続で放送されているのです。録画もして見返したりします。

maemuki.hatenablog.com

 この記事でもおなじみの素晴らしい主題歌「きこえるかしら」とエンディングテーマ「さめないゆめ」もちゃんと放送されています。音楽だけではなくて、アニメーションも当然に素晴らしい出来栄えです。歌詞に添って、物語に合わせて嗚呼!

www.youtube.com

なんて素晴らしいのだろう。本編の内容も勿論、素晴らしい。アン・シャーリー、綴りはAnn Shirleyだけど、本人は「Annには最後にeを付けて!」いつも懇願をしている女の子。草木花湖を愛し、それぞれに名前をつけて大事に思う。それは、みなし子で孤児院で育ったという孤独な背景もある。つらいときには、想像の世界に耽り、そこを心から愛している。

こんな事を思いながら、青い空と、心地良い時折強い風とお話をしながら、歩いたのです。乾いたこの街を!

 

「・・ああ、乾いたこの街だなんて、心が乾いている証拠なのかもしれない。ほんとうにこの街が乾いていたとしたら、軒先のピンクの小さな木の花も、マーガレットも、生茂る青い枝の葉のささやきも無いのに!」

自分ってほんとうに、アン・シャーリーに近い人間なのかもしれない。それも想像してみたりした。

しかし、なかなか老いさらばえたこの心に、アン・シャーリーの心が宿ることは難いのであった。悲しいな。

 

その後、名も知らない小さな公園、ほとんど誰もいない公園で、ひっそりと木のささやき声をききながら、買ったパンを食べた。

帰ろう、もう十分に歩いた。その道の中で、白い像が植栽の中にあった。これは…

f:id:maemuki:20200507222206j:plain

名前を付けなければいけない。もしアン・シャーリーだったそうするだろう。

白い、白いミヒャエル?いや、TOKYOミケランジェリ?エンジェル・トウシカ?

やはり思いつかなかった。次の角をまがればもうすぐ家につく。さよならアン。

その時、ふと通りすがった道の端に、広場のようなところがあった!

f:id:maemuki:20200507142655j:plain

高い樹木を取り囲んで、ベンチがたくさんある。木陰が大きくて、木のささやきが大音響、とまではいかないけれども、メゾフォルテくらいの音量が、ダイナミズムとともに保たれている!なんて素敵な空間なんだろう!

家の近くにこんな場所があったなんて。驚きとともに、幸福感を感じた。

ここで、しばらく「無」の時間をすごした。いや、無ではない。風と枝がこすれるハーモニーとともに、過ごしたんだ。

僕は、赤毛のアンアン・シャーリー、Anne Shirleyになれたのかもしれない。きっとそうなのだろう。明日もここに行って、想像を巡らそうと思う。もっとアン・シャーリーに近づけるように。おわり