さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



INU「メシ喰うな」

メシ喰うな

INUの「メシ喰うな!」は名盤だ。
ボーカルの町田町蔵は今は本名の町田康となり芥川賞作家。


そんな彼が17歳の時に組んでいたバンドの唯一のアルバムが上の「メシ喰うな!」だ。
日本のパンクシーンの歴史に残る名盤と言われている。


パンク‥これほどまでに抽象的なジャンルは無いと思う。
と思ったが、それは自分だけかもしれない。
鋲付き皮ジャンにモヒカンの格好でいれば「パンクだ」と世間に認識されるだろうし「朝が〜来るまでぇ〜語り明かした〜友よ〜ウォーウォーウォー」とクラスの中の中心人物的存在のパッとした若者のバンドも最近はパンクらしい。
かといえば浜崎あゆみと同じ事務所に所属して、エイベックス・トラックス流通のインディーズで「メジャーへの道」というバンド名でテレビ番組の企画で生まれたのも「パンクバンド」ということになっている。

若者らしい、生き生きとした、愛と友情、それこそが今の時代の「パンク」なのだ。
嫌な世の中になってしまった。


INUの「メシ喰うな」のサウンドは聴き易い。不勉強で名前も知らず申し訳ないのだが、ギターは何十年に一度の天才と騒がれた人。ジョニー・マーを思わせる美麗なクリーントーン、サイケに輝くフレーズ、激しいカッティング、標題曲「メシ喰うな」でのノイズ。
とにかくギターは素晴らしい。「パンクバンド」で片付けるには失礼な程の才気溢れるロックギターが味わえる。
それを全てぶち壊すのが町蔵のボーカルだ。音程は安定せず、声の汚い、聴きづらい部分等おかまいなし。ゲロを吐くかのように発声し、時には声を震わせたまま適当にメロディをなぞる。


80年代のバンドにはこのような歌になってないボーカルを擁するバンドが多くいた。
90年代がリアルタイムの僕はこういうボーカルに慣れず違和感を感じていた。ただ筋肉少女帯大槻ケンヂの歌い方は好きだったのですぐになれた。彼はこういう系のバンドの直系だ。


音程にあわせて唄わなくちゃいけない。声は綺麗な声を出さなければいけない。
そんな決まりは無い。これに気づくまで時間が凄くかかった。

そんな声を操り、彼は鮮烈な詩を投げかける。
気取りも狙いも感じられない。心の中と頭の中をちぎって投げたみたいな詩だ。
純粋というには、複雑すぎる。文学的というには粗すぎる
深いというには直情的すぎる。そんな詩にはこの唄とサウンドが丁度いいい。
だからこのアルバムは名盤なのだろう。
コマーシャル的には禁句な、「日本特有の無駄な何か」という単語が多いのも素敵だ。
こういうのを嫌う人達がインチキ英語で歌い始めたんだなと思った。
僕もその一人だったけど。


このアルバムには残念ながら聞き手の座席は用意されてない。
ウォーウォーウォーと一緒に唄える所もなければ、共感を誘うようなフレーズもない。
ただ、何かを千切ってこちらに投げている。それをこちらに返せとも言われない。
そこには安易なコミュニケーション、それに伴う精度の低い言葉もない。
人間の感情がただそこに転がって、存在して、支配している。
「俺の存在を頭から否定してくれ!」「メシ喰うな!」と叫んだからといって陳腐な大人に対する拒否、他人への嫌悪感は感じられない。
知らなかった何か。新しい価値観を私はそこに感じた。これこそがパンクだ。
だからといって彼らが聞き手のそのような感情を誘発するのを計算したとも思えない。


今、パンクを名乗っている人たちの殆どが某ブルーハーツに影響を受けた人たちだろう。
親しみやすいメロディに、わかりやすく真実をついた歌詞。
代を継ぐ程に薄まって、どんどんわかりやすくなって、世の中のパンクはああなってしまった。どぶねずみみたいに美しくなりたい〜なんて歌われたらそうなるのも仕方がない。強いフレーズだ。


クラスの中のパッとした人たちが、カラオケで「どぶねずみ〜」と合唱するのを聴きながら
何故かその場にいた、外れモノの僕は心の中でひっそりとつぶやいた
「メシ喰うな!」