さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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再結成したcali≠gariに興味を持てない理由


cali≠gari、好きだったんです。当時
第4実験室の「サイレン」〜「発狂ちゃんねる」を聴いた時、これはまさに新しい日本のアンダーグラウンドの幕開けだぁ!と誰にも理解してくれなさそうな。そして理解の価値も無いような歓びに僕は震えていました。
それから紆余曲折があり、注目していた「ヴィジュアル系のフリッパーズ」バンドに在籍していた石井秀仁氏にボーカルバトンタッチし、それまでの音楽を保ちつつ、新しい音楽を切り開くバンドになり、活動停止までひた走りました。
新しい音楽をバンドで切り開くというのは、とても大変で、そうそうできることがない偉業です。
まーこんなことまでやっちゃってカリガリは凄いねえと自分もそう思いつつ、彼らを応援していました。
しかし、ふと気がつくと聴いているアルバムは「第3実験室」〜「第5実験室」、第6の「ママが僕を捨てて パパが僕を犯した日」第7の「マグロ」「東京病」くらいになっていました。
活動停止前のラストアルバム「8」はいろんなところに踏み込んだ傑作で、これは今でもすごく評価しているのですが、それでもプライオリティは他より低め。。。
これは、自分がこのバンドに求めているのは、残酷な言い方をすれば「昔のカリガリ」であり、好意的な表現をすれば「コアな部分」とだいうところではないかと考えました。


要するに、石井秀仁ではなく、前のボーカルの秀児(本当はもっと難しい漢字らしいですが、これで許してください)の頃のカリガリです。
もうこれは「好み」の問題です。石井氏の素晴らしい才能を否定する気は全くありません。
しかしながら、石井氏がカリガリで作詞作曲をした曲(たとえも挙げられないくらい、聴いていない)と秀児が曲作りに関わって、作詞をした「月夜の遊歩道」「弱虫毛虫」「カラス」など、どっちが好きかといったら、1秒の迷いも無く、秀児氏が関わった曲を選ぶでしょう。
秀児氏の歌詞は、石井氏と比べて本当にひどいです。
石井氏の詩が「歌詞」としての体裁をなして、素晴らしい語彙と高い感性に伴う隠喩、比喩表現、韻踏みなどのスキルを擁しているのに比べて、秀児氏のそれは、まるでクラスから嫌われて、でも嫌われてもしょうがない、本当に駄目な中学生が書きなぐるのノートの中のそれです。
くわえて、石井秀仁氏の華麗なるルックス。。。女性的な可愛らしい顔、何でも着こなすモデルのような体型、独特で攻撃的なファッション、テクノがお好きというハイセンス振り。どこをとってもスターそのものであります。
しかし、秀児氏は、顔は人の好みによりますが、石井氏のような「イケメン」でありません。
体型はだらしなく、ファッションは良い意味で品がなく普遍性がありません。
カリガリ脱退後、口汚くカリガリを罵るような日記を書いて公開しておりました。青さんの事を「オカマ」と罵倒していました。本当は心の優しい方だとお見受けしますが、それにしても問題があると思います。


しかしながら、秀児氏のその幼児性をたっぷり含んだ歌詞は、自分の心の中の汚い部分をわしづかみにするのです。
ロックの目覚めは「筋肉少女帯」でした。大槻ケンヂ氏はかつて所属していた「空手バカボン」で、「ロックとは自分の一番汚い部分をさらけ出すことなんだよ!」とズボンを脱ぎ、自分の汚らしい下半身をさらしたとのことです。


「弱虫毛虫」の歌詞は本当にひどいです。
歌の主人公は、自分が悪いのは全て他人のせいです。そんなムードに耽溺し「通り魔殺人 別に 他人事は 思えなくて」「ナイフでメッタ刺しなんて 変なことが頭よぎる」とか言い出します。最低の人間です。


しかし聴いていると、何故か自分のことのように感じます。
自分はそんな人間だったのでしょうか。そんな人間だったのです。時には、そんな人間でした。


石井秀仁氏の歌詞は前述のように、素晴らしいのですが、歌詞も含めて楽曲は自分の中に残りません。
自分は石井氏と同じ世代で、石井氏と同じくたくさんの音楽をききます(石井氏にはかなわないと思いますが)
から、「同じジェネレーションによる似た環境の作る音楽には興味持てない」という現象だと思います。石井氏には何もわるいところはないと思います。


ついでに言わせていただくと、石井氏の声は、甘くとろけるような低音が全くもって素晴らしいのですが、これはご本人も認めていらっしゃると思いますが、その歌は「ヴィジュアル系」そのものです。
自分は「ヴィジュアル系」が大好きなのですが、それはヴィジュアル系のサウンドに乗ったヴィジュアル系の声が好きなので、「なんか違う」感じに、ヴィジュアル系のそれが載るとちょっと違和感を感じます。


秀児氏の声はリズム感はゼロで、音程はまあまあですが、声は透き通り、高くも低くもありません。発声も素晴らしく歌声から歌詞が伝わってきます。当時のカリガリを、状況を知らない人に聴かせても「あ、これヴィジュアル系」とはすぐには思わないでしょう。曲と声の相性は合っていたと思います。


そんな両者は青さん作曲によって、同じ曲を歌ったのですが、ここまでの流れで石井氏の曲は全否定するかと、みなさんお思いでしょうが、そうではありません。曲によっては石井氏の方が良いと思います。
例えば「嘔吐」「冷たい雨」など


しかし「嘔吐」はただ単に石井氏のバージョンは「ぎゃーぎゃー叫んでいて、おえーっおえーっという誠氏による嘔吐の模写がかっこいい」
「冷たい雨」は「第3実験室」のバージョンはリズムがボロボロで秀児氏の歌のリズムもバラバラ(コーラスは綺麗です!)なのが原因といえます。
両者によって歌われたカリガリのコアな曲「サイレン」「グッドバイ」「発狂ちゃんねる」「せんちめんたる」は秀児氏の方が圧倒的に好きです。
駄目な人間が、駄目な曲を駄目に歌うのが好きなんです。
石井氏のそれは、格好が良い、女子の理想のような、普遍的でとらえどころのあるの世界の出来事なんです。


そんな自分が一番最初の動画の新曲「ー踏ー」を聴いてどんな心境になるか、皆さんの想像に易いと思われます。
こういう音楽は、さんざん他で聴いています。
こんな良い方は失礼かもしれませんが、ヴィジュアル系と日本のバンドしか聴かない方達は、お好きかもしれませんが、自分にとっては何の刺激もありません。「はあ そうですか」レベルです。


活動休止以降、振り返りたくはない過去が輝いて見えるなような大人に、僕もなった(なってしまった)のでしょう。もう新しいキレイなカリガリは必要ないのです。