さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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ハローワークに行ったことはありますか?アンダー ザ カウンターさん


アンダー ザ カウンターさんというバンドが、「ハローワーク」という曲をリリースしました。
「フリーター、就職活動中、そして全ての日々を生きている人たちへ贈る メッセージソング」とのことで、今話題の1曲ですね。


何でもバンドのメンバーの皆さんも日本クラウンからメジャーデビューをしているにも関わらず、今でもバイト中だとか。それで「ハローワーク」 崖っぷちバンドだそうです。くまきりあさ美に次いで、新崖っぷちエンターテイナーを襲名したということでしょうか。


ここまで書いて、本当はこのバンドを罵倒しようかと思っていました。
僕はこう考えていました。
・メジャーのレコード会社、事務所から契約を切られる、売れないから「崖っぷち」とのことだが、君たち音楽はそれだけのものなのか。「売れる売れない」以前に自分達の目指す理想の音楽はそこに無いのか。志が低い低い低すぎる
・世の中には、己の理想の音楽を追求すべく、一生懸命働いてそのお金で自ら音楽活動をしている人達がいる。その人達に失礼だと思わないのか
・大衆に受けない音楽(=売れない音楽)を軽んじるような事は断じて許されない!
・バイト雑誌「en」のタイアップで「ハローワーク」とは何事か。誰か止めなかったのか。


こんな風に考えていましたが、上のyoutubeと、歌詞を見てそんな気はなくなりました。

月・火・水・木・金・土・日の"アタリマエ"に
しがみついて僕らは生きている
いいことばかりでなくても
なんだかんだいって まんざらでもない


この抽象的なポジティブシンキングの表現。なんと巧みなんでしょう。
この歌詞を書いた人は「仕事が出来る」人だと思います。
本当は「A」について述べたいんだけど、さまざまなしがらみと自制心から「B」だの「C」だのいろんな言葉を挙げて、適当にごまかす感覚は、大人に必要なものです。
これいでいて、これは強烈な皮肉なような気もします。
月曜日から金曜日までの「アタリマエ」とは何を表すのでしょうか。
とりあえず考えてみたのですが「アタリマエ」とカタカナにするのが若者に媚びている。と思いました。が、それは邪念です。当たり前、とは本来ネガティブな意味合いの言葉なので、おそらくは「つまらない何か」「日々繰り返す何か」だと思います。それはおそらく仕事の事でしょうか。
「アタリマエ」に「しがみついて 僕らは生きている」のです。なんてネガティブ!資本主義社会に飼い慣らされた奴隷という暗喩でしょうか。
それに「いいことばかりでなくても なんだかんだいって まんざらでもない」意味を考え始めたら考え倦ねて血反吐が出てきそうな訳の分からない表現です。
会社で「おまえら!いいことばかりでなくても、なんだかんだいって、まんざらでもないだろ!」と上司に言われたら、それはパワハラです。
しかし、「なんとなく、そうかもなあ」と思わせる何かがあります。書いててきづいたのですが、その感情は「妥協」だと思いました。それを噛み締めるのも人生ですよね。。

月・火・水・木・金・土・日の空のように
たまに泣いて たまに笑って
ときには怒り ときには喜んで
平凡は奇跡的な明日へのドア


きました!
「空」
ここ最近の下流(サラっと重要な言葉を出してしまいましたが、この曲は要するに”下流”ソングですよね)を表現した、または表現しちゃっている作品(具体名を挙げるとたたかれそうなので割愛)では必ず「空」が出てきます。
望まれぬ立場でみんなで「空」を見上げるしかない日本。大丈夫なんでしょうか。
でも、平凡は奇跡的な明日へのドア!だから
大丈夫だよねん!
ちなみに、奇跡的な何かなんて
世の中にはひとつもないと思います。


曲の最後はこう締めくくられます。

僕らの生活は泣き笑いのロツケンロール
ちょっとオンチ つかえてばかり
それでも日々が唄うメロディは 
温かく 悲しいほど 美しいもの


まあ、、、なんて素晴らしい!
柔らかい陽の光が今、自分に注いで、あまりの心地良さに目を閉じると私の身体が浮き上がるのを感じました。
そう、これはあの名作映画「少林少女」のラストシーンのよう。愛!歓び!癒し!宇宙!
まあそれいいとして。。
日々が唄うメロディ なんて、本当に美しい表現ですね。
温かく、悲しいほど、美しいんですから、もう理想の音楽ですよね。
平凡な日々でも、美しいから生きていこう!ロツケンロール!
これがこの曲の大意でしょう。
「平凡だからいいじゃん」と開き直られると、大抵の事は許されます。
そんなイノセントは、この世知辛い世の中に凄く必要な事だと思います。
素晴らしいと思います。いや、本気で。


そんな日々に浸る「僕ら」
そう、この曲の人称は常に「僕ら」なんですよね。
「僕ら」って誰?
バンドメンバーの皆さん?
あ、そうだこの曲は「フリーター、就職活動中、そして全ての日々を生きている人たちへ贈る メッセージソング」
なんですね。僕は「全ての日々を生きている人たちへ贈る」とのことでした。
でも、ごめんなさい。
やっぱり仲間になりたくないので、「フリーター、就職活動中、そして全ての日々を生きている人たち、id:maemuki以外へ贈る メッセージソング」にしてくれないかな?


ハローワーク、一時期通ってました。
川越のハローワークは最寄りの東武東上線川越市駅とのことでしたが、とてもとても遠く、途中狭すぎて車に轢かれそうなになったり、一面の田んぼの中を暑い中を、とぼとぼと歩きました。
日本のこのような公共施設はどうして、これほどまでに貧しいのかと思わせるモルタルの素っ気無い建物の中に、老若男女がひしめいて、何かを待っていました。係の方の順番を待っているのかもしれなかったです。
節電中で陽もあたらない室内は、冷房はうっすら聴いていて、あまり声に出して話す人もおらず、しかし常に誰かが移動する音が響きわたっていました。気がつくとそこは「音」にあふれていました。前述の移動をする音、書類を開く音、ペンが何かに当たった音。PCのキーボードの打鍵音。何故かそこに誰もいないような感覚に教われましたが、それは単なる気のせいです。あふれる程の自分と、待っている人達がいました。
用事も済んで、また川越市駅まで歩いて帰りました。本当に遠い。遠い道。ものすごい緑の田んぼ。うるさい蛙の鳴き声。暑いので自然に出てくる汗。下を向いて歩くと、靴が凄く汚れていました。
帰りに東武東上線に乗りつつ、ふとまるで他人事のように今日の出来事をを見ている自分がすごく恥ずかしくなりました。なんておこがましい。自分はそこで描写をする人ではなくて、描写をされる側です。自分こそ「待っている人」だったのです。それも何十分も。待ちました。人が移動するのを見ながら、待っていたのです。本当に恥ずかしいと思いました。


その時の事を、音楽にしようだなんて、全然考えません。今も。昔も。