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さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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Twitterという名の悪夢

ここのところ、SNSに取って変わる新たなコミュニケーション・ツールとしてTwitterがもてはやされていますね。
自分も今からかなり前、日本で少し「これからはTwitter!」という第1波があった頃に登録しました。
しかし、その頃は自分の知り合いでも使っている人はごくまれであり、登録しただけで、放置していました。
それが、去年の秋頃から今年の春頃にかけて、「どどっ」と周りの人がTwitterに流れ出したのです。
そうなると、「ふふんやっぱりTwitterだよねえ」とちょっと流行の先物を纏っているような勘違いをした、嫌な感じの態度で、そのTwitterを始めました。
周りの人達は「つぶやき」ました。
僕も「つぶやき」ました。


そんな日々が続きました。私はつぶやき、あなたはつぶやく。
つぶやきコミュニケーション。
つぶやきコミュニケーション
つぶやき
つぶやき
つぶや。。




そう
僕は少しおかしくなっている自分を感じたのです。


他人の「つぶやき」はその人の「生命のモティーフ」だと思います。
何気ない「つぶやき」
何気ないトゥイット
意味のない「つぶやき」
表層的な「つぶやき」
ユルい 「つぶやき」
居場所を告げる
行動を書く
何も考えていないその「つぶやき」
何かを考えすぎる「つぶやき」
何も求めない「つぶやき」
何かを求める「つぶやき」
描写する「つぶやき」
写実的な「つぶやき」
何かの短縮URL
有名人のつぶやき
有名人ではないつぶやき
bot
SPAM
David Lynchのつぶやき
マライア・キャリーのつぶやき
英語
日本語


Twitterの「つぶやき」とは人間そのものです。
タイトルをつけなくても良い、文字数は厳しい制限がある。URLは自動的に短縮される。
様々な環境から手軽に投稿できる。「ユルいから」という共通認識のおかげでそれらはつぶやかれます。
その敷居の低さ
何を言っても良い
他人を傷つけることは言ってはいけない
悪口も言ってはいけない
世の中の、自分の周りにいるほとんどの人達は、自分より善人です。
驚くようなことは、誰も言わない。
手軽なつぶやき
ひとりごと
会話の断片のようなつぶやき
会話の無い思惑のようなつぶやき
それらは「無意識」です。
書き手が無意識に「つぶやく」のが
タイムラインになって、ずらずらずらと表示されます。
他人の無意識。
何も考えていない他人の善意の無意識
無意識という名の羊が、策を飛び越えてやってくる。
意味のわからないモティーフ
右から 左から
前から 後ろから
上から 下まで


他人との会話の中で、何気ない一言、おそらく悪意の無い無計画な一言に
その人の本質めいたものを感じてしまう事はないでしょうか
無意識に投げつけられる、自分という人間の評価
無意識に投げつけられる、自分の中との価値観との対比


ブログやいわゆるWEB日記ではまず「タイトル」という意識のクラスタを(たとえ記号めいたものであっても)つけるという事実で、フィルタがかけられると思います。
それに比べて、Twitterは何もフィルタがありません。
くわえて「何を書いてもよい」という共通認識すらあります。
つまりそこで書かれることは無意識です。


芸術の世界において、「無意識」とは一番モダンな概念であります。
クラシック音楽でいえば
バロック = 宗教もしくは神
古典   = 人格
ロマン派 = 感情
印象派  = 表層、もしくは写実
現代   = 無意識
というのを学校で教わりました。


展開されないようで、展開されているモティーフ
投げつけられるクラスタ
異なるセンテンスによる不協和音
噛み合わない 何か
それらが、同じタイムラインで存在するのがTwitterなんです。
Twitterというものを一つの人格で例えれば統合失調的としかいいようがないと思います。


今のところ健常な自分には、これらは「悪夢」です。
まさしく悪夢。
David Lynchの「インランド・エンパイア」と「マルホランド・ドライブ」と「ロスト・ハイウェイ」をカットアップして同じ映画にしたらTwitterに近い映画になると思います。
悪夢は好きですが、Twitterで展開されていることはかなり現実世界に近く(自分のアカウントは有名人の方以外は全て知人友人です)そのリアルな登場人物が、自分に投げられているわけでもない、無意識の配下からなげられる「それ」を1つの線の上からどんどんどんどんどん投げてくるのです。
これは、まさしく悪夢です。
それとも、僕が病んでいるだけでしょうか。