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さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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残されたもの

自分は幸いなことに、今のところとても身近な人(親兄弟とか、とても仲の良い人)が先にいってしまったということはありません。
しかし、職場とか、学校の同級生や、顔見知り程度の知り合いが亡くなってしまったことはあります。


会社の同僚で若くして病気で亡くなられた方がいました。
ヒネクレ者の自分にも優しく接してくれて、誰にでも感じの良い素晴らしい人でした。
なおかつ、イケメンで仕事に一生懸命と非の打ち所が無く、何故この人が亡くならなければいけないのか、と葬儀に出席した時はまだ信じたくなくて、棺の中の顔を見る事はできませんでした。
ちょうどその頃に、元同僚が亡くなった事を知りました。残念ながらこの方は自らお亡くなりになったと聞きました。
悪い事を考えるとキリがないのですが、同じ部署で隣の席であったので、もしかしたら自分に原因があったのかも、と考える事もあります。その方が自分の前からいなくなり、何か月か経過した後にその話を聞き、もうその頃には一切の音信が無かったので、詳細はわかりません。もしかしたらそうかもしれないし、そうでもないかもしれない。これは一生自分の中に残ると思います。
その時に思いました。確実に自分は生きていると。


人間の真実なんて死か生か、2つしかないのです。
死は人間にとって悲しすぎる出来事です。
だから人は死を美しく尊いものにしようとする。
亡くなられた方は美しく尊いもの、という事には違いがありませんが、生きている私たちには、美しくもない、つまらない日常が待っているのです。
待ってても待ってなくてもそれらは振りかぶって来ます。
ならば、とことん生きてやるしか他にないのです。
私たちは死者ではないのですから。


「生き恥」という言葉は酷い言葉だとは思いますが、強い言葉でもあると思います。
美しく、尊い存在の死者を重んじるあまり、それらに従順に生きてはいけないと思うのです。
死は死の世界があり、生は生の世界がある。
この世に生きているならば、死者を尊びながらも、自分の生により忠実に生きるべきです。
たとえそれが「生き恥」だと罵られようとも。
それが人間の義務だと思います。