以下の文章は2016年の1月28日に書いたものです。
本当は前編後編に分ける予定で、後編が楽譜の引用が多く、手間がかかりそうなので、諦めたのです。
今回は前編のみ載せます。
ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov)はロシアの作曲家でピアニスト。
彼の作品はどれもロマンチックでとにかくメロディが美しい。その中でも究極だと思うのが「ピアノ協奏曲第3番」だ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲といえば第2番が有名だ。
CMや、浅田真央ちゃんがオリンピックで滑ったり、何かと聴く機会が多い。素晴らしい名曲だと思う。それに比べるとこの3番はそれほどの知名度を得ていない。
映画「シャイン」で取り上げられて、そこで名を上げた感がある。実はこの映画をまだ見ていない。明日への楽しみへと取っておこうと思う。
出会い
最初は、普通に買ったアシュケナージの演奏を集めたCDに入っていたのを聴いた。ラフマニノフは好きだったが、ピアノ協奏曲はどれも演奏時間が長くて「聴くの大変だなあ」と思って、しばらく放置していた気がする。
そして特に長い(全3楽章で計43分)この第3番を聴いてみたら…その時の感動は正直言ってよく覚えてない。最後の最後で爆発的に盛り上がってそこが凄い!と思って、そこだけを何度も聴いた。
その後、いろんなピアニストの演奏のこの曲を聴いた。もっと良い演奏はあるはずだ!と探し続けている途中で、こんなページに出会った。
当時はブログ形式だったと記憶しているが、今は綺麗な独立ページになっている。
とにかく「ピアノ協奏曲第3番」だけを色々な演奏者で色々聴き比べてランキングまで付けている。凄い!素晴らしいサイトだ。
勉強だ!ということでランキングに載っている演奏を聴こうと思った。
5位の「マツーエフ(旧録)」はAmazonのMP3ストアで売っていたので、思わず買ってしまった。
そして聴いた。初めてこの曲の真価が分かった気がした。
ここで演奏しているピアニストは、デニス・マツーエフ。
チャイコフスキー国際コンクール1位など、華麗な経歴を持つ彼。
1975年生まれ。僕とほぼ同じ年齢…。
ピアニストとしての特徴はやはり力強さ。バーン!ドーン!と思いきり弾く。ただ単に力まかせに弾くのはでは無く、その場で音楽が求めているから叩くのだ。
彼のこういうスタイルを「野蛮だ」「荒っぽすぎる」と批判する人も多い。
でも僕はそういう所が好き。
「ピアノ協奏曲第3番」のピアノはラフさん頭おかしいんじゃないのってくらい難しい。あまりに難しいのでプロでも演奏できる人は限られている。ちなみに指揮とオーケストラも難しいらしい。
しかし彼は完璧に、時に荒さも見せながらも、スケールが大きく音量も大きい!!タイガーと龍が目覚めたようなインパクト。そんな演奏でこの曲の可能性を最大限に引き出している。繊細さもたっぷり詰め込まれた曲だけど、そこもキチンと決めてくる。
彼の身体から伝えられる気合、強さ、は他のピアニストには無いものだ。
一番辛い時に聴く音楽
この「ピアノ協奏曲第3番」は普段あまり聴かない。日常的に聴いたりしない。なんといっても40分を超える。長くて、そして内容が濃すぎる!忙しい時は最終章の3楽章だけ聴く。それでも12分!
よく考えたら「一番辛い時」には音楽が聴けない(音楽どころじゃない)ので、「一番つらかった後」か「一番つらくなりそうな前」が正しいかも。
まあ、とりあえずそんな感じで「ワタクシの日常のBGM♪」では無く、運命、というか宿命の1曲なんです。
辛かった時
あの日2011年3月11日。未曾有の災害が起こった。
東京に居た自分は、大した被害もなく当時勤務先だった大崎から家のある新宿まで、歩いて帰った。主にあったトピックはそれだけ。家族も友人も皆無事だった。
歩いて家に無事たどり着き、地震直後、会社のPCで少しだけ見た被害の映像が、更にもっと増えていた。心が痛い。そして原発…。
インターネットを見ても「日本はもうダメかもしれない」「東京にはもう住めない」なんていう言葉が溢れていた。今、思うと「大げさだったな」とか思ってしまうけど、当時は本当に深刻に考えていた。
「ここも汚染されているかも」と考えた自分。シャワーを浴びるのも怖い。
テレビやインターネットの情報も錯綜している。どうしたらいいんだ。
「西へ逃げる」
明日、とりあえず西へ逃げよう。朝、起きてテレビで状況を確認後、簡単に荷物をまとめた。
そして新幹線で名古屋に向かった。なぜ名古屋だったのか、今でもわからない。生まれ育って小学生までいた名古屋。その後は長野へ引っ越した。その後も名古屋の事は好きで、大人になってから一人でやってきてブラブラしたりなんかもした。土地勘も何となくあった。
そして名古屋でネット適当に選んだビジネスホテルを予約して、チェックインした。
部屋について、まずやった事はテレビで最新情報のチェック。原発に関してはよくわからない情報が錯綜している。東京の街は落ち着きを取り戻しているように見える。
この日は平日だった事を思い出した。会社に「休みます」と連絡した。翌日から期間未定の休業に入ったと後で連絡が来た。
ひとまず僕は、昨日シャワーに入っていないので、シャワーに入ることにした。昨日は放射能の影響があるかもと思って、入らなかった。まだ東京では余震も続いていた。
「ここは大丈夫」だ」と思った。どうなるのか。これからどうなるのか。明日はどうするのか。
シャワーを浴びた後、テレビをまた付けてベッドの上で呆然と座った。そこに横になる気分でもなかった。
テレビは取材が進んで、現場の悲惨な状況がより細かく伝えてきた。
どうしよう、どうしたらいいかわからない。そして「逃げて」来たという自分が恥ずかしくなってきた。今、思うとやっぱりこの選択はミスだったと思う。
落ち着こう、ここで今、放射能に侵される事は無い、大地震は名古屋だからあるかもしれないけど。iPodを取り出した僕が、聴いた曲…それがラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」だった。
Rachmaninow Klavierkonzert Nr.3, Denis Matsuev
長い長い曲だったが、誰も邪魔することの無いこの空間で、デニス・マツーエフのピアノがひたすら僕の心を打った。
デーン!「何やってんだ」
デーン!「このクソやろう!」
タララン「お前頑張れよ」
それはデニス・マツーエフの音だけど、ラフマニノフの作った音楽でもある。
ラフマニノフはこの曲をロシアで完成させたが、当時ロシアは革命機運が高まり、芸術家の身が危なくなっていた。この曲を完成させてしばらくして、ラフマニノフはアメリカに亡命した。ロシアから逃げた。というのは簡単だけど、やる方は大変だ。
当時だから、旅客機なんてものは無く、船でヨーロッパからアメリカへ移動する。おそらく何ヶ月も船の上。この曲を作っていた時、もしかしたらアメリカ亡命は決まっていたのかもしれない。
無事に亡命を果たし、直ぐにニューヨークで初演がされた。ラフマニノフは船でこの曲を紙の鍵盤で練習していたという。
祖国を捨てたと言われながらも「私の祖国はロシア」と言ってはばからなかったという。アメリカに渡ってからは、ピアニストとして活躍した。作曲はあまりしなくなったが、やはりロシアから離れた事は大きい。
「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」
Wikipediaからの引用。それでも捨てざるを得なかった境遇がわかる。
それでも最高傑作のひとつ「パガニーニの主題による狂詩曲」を作曲した。
やはり彼は強い!そしてロシアに思いを寄せながらもアメリカで無くなった。
すみません話が逸れた…
ラスト、全てを包み込んでカオスのまま、華麗に完結する。
最後はベッドから降りて、床に座ったまま聴いていた。
そして、泣いてしまった。全ての感情が激しく降りてくると人間は泣いてしまう。嗚咽という言葉に相応しい自分にビックリした。
それにしても、あっという間の40分だった。問題は何も解決していないが、それでも人間として行きていくしかない。
とりあえず、外に出て名古屋の街を歩いた。
ピアノ協奏曲3番の光り輝くラストの部分を頭の中で反芻する。
一番好きな曲の一番好きな部分。
https://youtu.be/SYXL_dex69Q?t=38m00s
秒数指定で、「その部分」から再生できます。
こういう状況だけど、名古屋の栄は光輝いていた。土地勘はあるけど、迷わないように同じ通りを行ったり来たりした。怪しい男にしか見えないよね。
翌日かは忘れたけど、静岡で大きな地震があった。名古屋も揺れた。ニュースを見て震えながら「やはり逃げられない」と大きく悟った僕は、実家の長野に帰る事にした。最初からそうすれば良かった。
終わり
追記:後日談
この話(話じゃないか)には続きがある。
感動のこの演奏を行なったメンバーが日本に来日して、演奏会をやってくれるという。
Piano Concerto No 3 / Rhapsody on a Theme Pf Pagan
- アーティスト: Rachmaninoff,Matsuev,Mariinsky Orch,Gergiev
- 出版社/メーカー: Mariinsky
- 発売日: 2010/02/09
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (1件) を見る
名古屋の
ホテルでも聴いていたこのCDのメンツで来日して「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」を演奏するらしい!
指揮は ヴァレリー・ゲルギエフ、ピアノはデニス・マツーエフ、オーケストラはマリインスキー劇場の管弦楽団というそのままのメンツ!嘘だ!信じられない!いてもたってもいられなくなり直ぐにチケット購入!A席しか空いてなかった。しかもA席はコレが最後っぽい。
チケットは2万円!高いけど、この演奏を生で聴けるなんて本当にヤバイよ!死んでもいいかも。ドキドキしながらサントリーホールへ。サントリーホールは自分にとって享楽の象徴。またここに来られるかなといつも考える。
席は1階席の1番前の1番左…ポピュラー音楽だったらいい席かもしれないけど、左すぎて…音のバランスが…よくないんだよね。
でも、そんなの贅沢だった。マツーエフが感情のままにピアノを叩いてる!やっぱりドーンで身体も動いていた。
演奏の素晴らしさについてはイチイチ書かない。言いようがない。
3楽章に入り、曲が進むにつれて、これまで辛い時にこの曲を聴いてきた自分が昇華されるような気がした。
「ラストでそのまま死ねないかな」と思ってしまった。それが一番の幸せだと思った。
残念ながら自分は死んでなかった。
その代わりCDを買うとサイン会に参加できるというので参加。
いやー堪能しました。
ほんとうに最高。2万の価値はありました。
永遠に・・・本当に永遠に…