さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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誰もいない山の森で僕はエリオット・スミスの「Waltz」を聴きながら歩いた

誰もいない山。

本当に誰もいなかった。その時は。

たまにひとや車を見かけることもあったけど

その日はみかけなかった。

僕の家の廻り。

全く人がいないわけじゃない。

でも総人口10人くらいじゃないんだろうか。

冬が寒いのか、秋より人が減っている。

 

そんな中で、ひとりで暮らしているのは

僕だけなのかもしれない。

他の人たちはみんな妻帯者と暮らしているみたい。

そして犬を飼っている。

犬を散歩している人をよく見る。自分の家の窓から。

 

その日、僕はwikipediaで「自殺した有名人の一覧」を見ていた。

自殺した有名人の一覧 - Wikipedia

なんでこんなのを眺めていたのか。自殺したいのか。そう思っているのか。

わからない。でも自分は「自殺しても仕方ない」状況にはあると思う。

何ヶ月も。何ヶ月も。その事ばかり考えている。自殺のことは考えられても

「自殺を決行した人」の気持ちはわからないからだ。

 

要するに、僕は自殺したくはない。でも、自殺には興味がある。

 

「知っている人」で死んでしまった人、老衰以外、祖父祖母以外で無くなった人がいるということは、そう珍しいことではないと思う。

そして知人だった人に「自殺を決行した人」が2人いる。

これは、人数の問題ではない。でも2人もいる。

絶望的な事実だ。

そして同僚で「病気で亡くなった人」がいた。その事はとてもショックだった。葬列に参加して、みんなが泣いて悲しむのを見たからかもしれない。自殺した人の話しは人づてに話を聞いただけだった。比べてしまうと、あまりショックを受けなかった。ひどい話だ。自分が。

 

「有名人で自殺した人」も、沢山いる。

なんで有名人なのに死ぬんだろう。それぞれ理由がある。理由があるから自殺した。

それらはwikipediaは簡素に語られる。または、特集されて本も出たりする。

 

自殺直前日記 完全版 (QJブックス)

自殺直前日記 完全版 (QJブックス)

 

 漫画家の山田花子の「自殺直前日記」を読んだことがある。今は手元にない。またほしい。でも一番印象に残っているのは、追悼展が行われた時に、山田花子のトラウマの1つであった「喫茶店のバイト」で一緒だった人が「花子さんはオシャレで面白くて、私達の憧れでした」と言っていたことだ。なんて残酷な。他人にはそう見えていたのだ。もし僕がいたら、きっと「オシャレで面白い人だな」と思っていたかもしれない。

 

「自殺した有名人」の中に懐かしい名前を見つけた。

エリオット・スミス アメリカのシンガーソングライター。そういえば彼も死んでいた。確か自殺だった。きっとそうだと思う。そうだった。僕は彼のアルバムを買って聴いていた。もしかしたらレンタルだったかもしれない。どちらにしても今は自分のライブラリにはない。「そうだきいてみよう」と思った。そして聴いた。いつもの通り、アップルミュージックで。

 

なんとなく聴いてみた。そして思った「やっぱり死んだんだ」「死にそうな声だからな」「死にたいって聴こえるような声だ」

 

僕は散歩に出ることにした。

どんなにクソさむくて、何もなくても、外へ出て歩かなければいけない。無職だけど働きたい、いつか街にでて働きたいから。歩けるように。でも雪の日は別だ。凍って転んで死ぬかもしれない。その日は温かい日が続いて、あまり道が凍ってなかったので、外にでて、あまり行かない坂道の上の森へ向かった。

 

まず、車はこないので、イヤフォンを付けて音楽をドコモのくそーケータイで聴いた。愛しきiPhoneは契約してないので家のwifi以外は通じないから。

そしてエリオット・スミスを聴いた。このシチュエーションで。つんざく枯れた枝ばかりの木々に、造成されて腑抜けのような森で、一人歩きながら、よろよろあるきながら、エリオット・スミスを聴くなんて。絶望的なシュチュエーションだ。

しかも曲はこの曲だ

www.youtube.com

この曲の入っているアルバム「Xo」には、なぜか2曲「Waltz」が入っている。なぜだろう。でも彼の声と3拍子は、とても合っている。目を閉じてワルツを聴く。荒涼としたアメリカの田舎の、誰もいない森が浮かぶ。目を開けると誰もいない長野の田舎の森が見える。現実だ。しかし、彼は死んだ。この世にいない。僕は生きている。そして・・自殺しない。本当にしないんだ。なぜ彼は死んだのか。自ら死んだのか。

 

歩いていると、素敵なスポットを発見した。

この森には誰も住んでいない別荘が沢山あるが、ベンチ的なものはどこにもない。

しかし、この日発見した。すぐ後ろに別荘があるが人の気配はない。

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ここ以外にも全く人の気配はない。彼の歌声だけだ。

ベンチに座って、しばらく声を聴く。

 

いろいろな情報によると「自殺」と断定されたわけではない。他殺の可能性もあるとのこと。ただし遺体発見の際に「I'm so sorry—love, Elliot. God forgive me.」というメモがあり、以前にも自殺未遂をしている。

 

もう、死んでしまったから、わからない。永遠にわからないのだ。

「だから僕は残しておこう」と思う。なぜ死を選んだのか。ただ、今はその時ではない。

僕にはやり残したことがある。それをやるために。この森から旅立つ。いつか、近いうちに。そして東京に行く。東京でなくてもいい。埼玉でもいい。ふじみ野でもいい。上福岡でもいい。一からやり直す。自分の音楽を本気でやる。その為に働く。そのためにはここにてはいけない。僕は今、死んだも同然だから。

 

今日、発狂してしまった。声を荒げて、涙が止まらず、全ての電気を消して、ストーブも消して、そして音楽を聴いた。怯えながら。自分に。現実に。よくあること。残念ながら。絶望にも、発狂にも慣れてしまった。

そして救いをもとめて、また音楽を聴いた。

愛しきiPhoneの充電がなくなったので呪わしいドコモのケータイを出してきくと、エリオットスミスが流れ出した。

「寒いよエリオット」声がさむいのだ。彼は温度が低い。この部屋も寒い。ストーブを付けていないから当然だ。

「なんで死んだの」答えは帰ってこない。

2曲のワルツを、プレイリストにまとめてループしようかなと思ったけど、止めた。

いつしか僕は凍えながらも眠りについた。

 

今日あったことは特別なことではない。

でもそれは恥ずべきことだし、ブログに書くようなことでもない。

でも書いてしまった。

 

僕はまだ、絶望している。

でも、生きてやる。

すでに心は血みどろだけど。なんとかかんとか。

ここまで読んでくれてありがとうー