自立したい。
僕は今、無職です。なんどもなんども書いているように。
なんとか社会復帰して、普通の人生を歩みたい。
そのために、今の働けない山奥から引っ越して、街に出る必要があります。
僕には普通免許がありません。これもなんども書きました。毎回テンプレートで「家が山」「免許がない」「うつ」とか書いて置いたほうがいいかもしれません。
その状況を打破するため、格安の公営住宅の抽選に親が申し込んでくれる。抽選にあたるかどうかわからない。
そしてそこに入ることになっても、問題が山積みである。
それを考えるとうつになる。でも考えなくてはいけない。透明で透き通った真実がそこには見えている。長野にいては、自分が不幸になるだけ。ここにいても、楽しいことなど何一つない。半年いて辛いことばかりだったからじゃない。ここいては自分は幸せになれない。僕の幸せは、普通に働いて普通の収入を得て、普通に人と付き合い、笑い、話をする。普通のことなのに、それが今、全て無い。それを手にしたい。そして音楽をやりたい。それも大袈裟なことではない。ピアノを人前で弾きたい。それだけ。それだけ。それだけのために、働いて暮らしたい。
望むことさえ、許されない状況なのかもしれない。それでも、
自立したい。そしていつか、「勝利」したい。彼女のように。
今日は神田沙也加がSAYAKAと名乗っていた頃に残した唯一アルバム「Doll」のレビューです。
彼女は、「勝利」をした人です。そして自立している。
羨ましい。経済的な自立はもちろんだけど、彼女は自分が生まれながらに背負ってしまった十字架、という例えば陳腐だろうか。「生まれながらに、松田聖子と神田正輝の娘だった」とはっきり言ってしまった方がわかりやすいだろう。そう、逃れられないレッテル。二世。彼女は日本を代表する大スターの子供。二世。
二世はすごい。ぼくはそう思う。だって絶対に自分がなれないものだから。金持ちに憧れることはいくらでもできるし、まああまり憧れないけれども、「二世」だけは絶対になれない。
だからこそ、「二世」は世間の注目を集める。人と違った結果、それは自然と知名度を得ることになり、環境も整っていて、特に才能も無いのに「デビュー」もできてしまう。それでやっかみの対象となる。本人たちは「他人には想像できない苦しみ」を抱えながらもそれぞれの人生がある。そしてある人は成功し、親と同じ職業で成功し、あるいは失敗して、犯罪に走ったりする。
「新しい時代の二世」が立て続けに出てきた時期がある。90年代後半。宇多田ヒカルだ。母は藤圭子。それはデビュー曲「Automatic」が大ヒットして「天才」と言われた後に発覚した。その前から親子でユニット活動をしていたので、隠していたわけではない。ただ、売りにはしなかった。その必要がなかったからだ。
そしてDragon Ashの降谷建志。彼も父親が有名な俳優だった。実は僕はそのことを世間に知られる前に知っていた。Dragon Ashはインディーズで活動していて「かっこいいバンドが出てきた」と評判になっていたころだった。更に彼らが「二世同士」で遊びのバンドを組んでいて、そこにトライセラトップスの和田唱がいた、なんてことも知っていた。
「SAYAKA」は2002年、CM出演などを経て2002年にシングル「ever since」で「ソニー・ミュージック・エンタテイメント」からデビューした。ソニーといえば松田聖子。
所属事務所は松田聖子が設立した事務所「ファンティック」今でもここに所属している。
と、いうことでここでSAYAKAがこの時点では「普通の二世」。よくある「親の七光り」でデビューしたという烙印が付けられても仕方の無い状況だった。そういう声もあった。デビュー曲の内容については後述するが、パッと聴きは「なんか普通の曲だな。やっぱり声はちょっと聖子ちゃんに似てるかな」と思ったりした。その程度だった。
その後、アルバム「Doll」を発表後、いろいろあって、「神田沙也加」に戻ってその活躍についてはここで書くほどでもないくらい成功して、それは本人の実力で勝ち取った、と世間に認識された。それは素晴らしいことで誰の力、誰の名前も借りずに本人の力で「名声」を勝ち取った。母とは疎遠との噂もあるが、所属事務所は以前のまま。しかし、「母の名前」など、彼女にとっては必要のないものになった。
「Doll」には、彼女のその当時の戸惑い、迷いが詰め込まれているアルバムだ。
そのタイトル。お人形。自分のこと?それとも美しいお人形が好きだったから?
飾られた、意思のないお人形、それが私、というのはあまりにもありきたりな推測だろうか。
このアルバムの1曲目、3rdシングルの「水色」を当時、偶然に歌番組で見た。そこで彼女への見方が変わってしまった。
この番組だったかどうかはわからない。しかし見たものには字幕がついていた。
彼女の中の心の中をそっと、そして全てを見せたかような歌詞。
そして、怒りを感じる。か細い声なのに、哀しいメロディなのに。その暴力的なもまでの感情が、どこに向かれているのか。おそらく自身ではない。
「最終章のページ、憧れたその、その手の中にある」
下世話だけど、どうしても浮かんでしまう。あの人の顔。お母さん。松田聖子。
二人の確執が伝えられることもあったがどれも「ジェフ君」「ビビット婚」レベルのゴシップのような薄っぺらい記事なので信用できない。
彼女の歌には、他の人には計り知れない苦労がにじみ出ている。
アルバム次の曲、シングルも3rd「水色」の次の曲だった「上弦の月」
ゆったりとしたテンポのソフトなロックチューン。SAYAKAはロック志向だと思う。この後に組んだユニットでもそんな感じだった。ギターが好きなのか、それとも。
この曲も隠せない悲しみの曲。
しかし、この後は明るい感じの今日が続く。「なんだSAYAKAちゃん病んでないじゃん」と無責任なことを思ったりする。
しかし強烈なリマインドが7曲目に待っていた。デビュー曲「ever since」
最初聴いた時は「普通だな」と冷めた感想を持った曲だ。でも、あらためて、一通り彼女の軌跡、そして今の成功を思って聴くと、ものすごく壮大なドラマのテーマのように聴こえる。
デビュー曲にして、すでに深い深い迷いを感じて、それから抜け出そうともがいていたい彼女の姿がそこにあった。
「壊れかけた夢 拾い集めたら そう立ち上がって ずっと前をだけを見て 進んでいけばいいよ」
傍から見て、恵まれていて、楽にデビューできたかもしれない。でも、そうじゃなかった。彼女にしかわからない葛藤がそこにあった。
それをわかる人、が一番そばにいた。
今のところ「実力だけで、親の名前だけではなく、勝利を掴み取った」彼女。
本当のところはどうかはわからないが、いつかまた一緒にこの曲を歌ってほしいと思う。
僕も壊れかけた夢を拾い集める旅に・・・出たいです!
ここまで読んでくれてありがとう。