ここのところ、ずっとこのアルバムの音楽が、あたまに流れている。
なので、この音楽を聴く。ディス・モータル・コイル。80年代のバンドというかユニット。4ADというレーベルのオーナーが所属するレーベルの「歌姫」を集めて作った趣味性の高いユニットだが、イギリスでは大ヒットした。
一番ヒットして、評価の高いアルバムが「It'll End In Tears」
日本語だと、「涙の終結」
涙が流れるのが止まった。素晴らしいことだ。うらやましい。
僕はここのところ、涙が止まらない。それは「目の中からの涙」だけではなく、心の中にも溢れていて、溜まっていて、とても苦しい。以前はこころの中のかゆみを感じることがあったが、身体の中なのでかけなくて辛かった。ちょっとおかしいと思うかもしれない。身体の中なんてかゆくならない。そして心に涙なんて出ない。おかしいのだろうか。病気だからだろうか。でも違うと思う。お医者さんに「心の中がかゆくて、涙が溢れている」なんて言わない。
このアルバムは「4AD」らしく、深いリバーブのかかったバックトラック。コクトー・ツインズの美しい女性ボーカルの神々しい歌声も相まって、現実感に乏しい。
This Mortal Coil - Song To The Siren (Official Video)
現実があまりにつらい。涙はとまっても、心の中の涙が止められる見通しも当面立たない。
僕は山の中で孤独な日々をこれからもずっと送る、けれども死なない、という、ある意味の完璧な絶望そして、完全な孤独、孤立を手に入れてしまった。
なんでこんなことになったのか。それは自分が悪いからだ。
自分が悪い?
自分を悪くしなければ、赦される?
誰に?親に?
くそな人生だ。やはり泣きたい。
このアルバムの歌は常に優しい。そして僕は英語がわからないから、何を言っているのかわからない。しかし、暗闇の中から、優しく問いかけてくるサウンドと歌声は、まるで自分の内面の情景のように思える。
同じ闇、同じつらさ、声に出ている。
This Mortal Coil - Kangaroo (Official Video)
世の中には「幸せそうな人」が「幸せそうな歌」を「幸せそうな人への歌」を歌う、商業的なタイアップ、金銭の授受を目的した音楽がみたいなのがほとんどだ。テレビから流れてくるのは、そんなのばかりだ。
世間から疎外されてしまった自分には辛いもの以外何者でもない。
しかし、僕はそういった簡易に手に入る「普通の人のための音楽」が嫌いで、または「普通の人のための音楽」から、「普通ではないもの」を見つけるのが好きだった。
こういう状況の中で、どうしたらいいのか。
僕はひたすら、死んだような山の中から、生きている街へとアラートを送り続けようと思う。
僕は危機的なんだよ。限界だよ。
直接的ではなく、なるべく美しく、隠しつつ、「本当の自分」が、普通に見えないように。それをここで書いているんだから底の浅い考えだけど。「たすけて」と叫んでも、本当の「たすけて」は誰にも届かない。そう思っている。なぜならば、他人は自分ではない。自分は他人ではないから。
This Mortal Coilを聴いていると、闇の中でうなだれて、力をなくしている自分が浮かび上がる。闇には靄がかかり、よく顔がよくみえないから、自分ではないかのかもしれない。
it'll end in tears
涙の終結
いつくるんだろうか。
Another day
今、僕が一番望んでいること。
この日々を止めたい。自分の人生だから、自分で生きれるはず。
でもそれができない。情けない苦しい。
現実的に、僕の涙は一生止まらない。
せめて、その涙が消化されるように、生きていきたい。
いつか、この悪夢から覚めるように。
そしていつかはそれは終わるだろう。音楽と同じように。
そして、アラートに気づいてほしい。そのアラートにあなたがきづいても、何も対価はもとめない。
心の中に、そっと置いておいてほしい。
元気だけどうつな働きたいニートmaemukiより。