凄く、恥ずかしいのですが。
今日、このPVを見て、僕は泣いてしまいました。
僕は今、すごくつらい状況にいます。
だから、泣いているわけではないのです。
僕は今、本当は幸せなのかもしれない。
でもそういう自分を認められない、自分の情けなさに気づいてしまったのです
「流動体」は全てが光輝いて、そこに存在している。
このPVがそれを教えてくれました。
いろんな人たちが、必死に実直に生きて、そして流動体として存在している。
尊大すぎるとも言える、小沢健二の歌詞が、素直に聴こえてきます。
僕はなんて卑屈で小さいんだろう。
現実に僕は今、脚がおかしくなっています。
だから、体力的に、今のアルバイトが辛くて。辛くて。
つまらないことだけれども。
僕はまた、そこから逃げようとしている。
短い間で、築いていたかもしれない絆を
捨てようとしている。
でも、どうしようもない。
僕の無能さにも、毎日呆れています。
ミスばかり、覚えていないことばかり。
そんなことが、続いています。
だから、僕は一度逃げた。
せっかくの絆も、自ら失ってしまった。
そして、孤立は深まった。
知っているけど、知らない街で、毎日ひとり。
先日、僕は東京に久しぶりに行きました。
仕事の面接のためです。
応募資格が「四大卒」の求人でしたが、「それ相応の知識を持つ方だったら考慮します」とあったので、応募しました。
「なんだよちくしょうめ俺は同じ仕事短大卒だけどやってたぞ」と思い、応募したのです。
それは、東京で自分が最後にやっていた仕事を、自宅で行うという業務です。
書類が通って、東京のオフィスにて面接に来てほしい、と連絡がありました。
僕はすごく嬉しかった。
だって、初めて東京の会社の求人に応募して「来てくれ」と言われたのだから。
でも、通るとは思わなかった。
でも、通った。
そして、東京に行ける。
その事がどれだけ僕にとって、大きいことなのか。皆さんわからないと思います。
新幹線で、東京に行きました。
東京について、上野で降りました。
「不忍池」を歩いていると、あることに気づきました。
脚が、回復している、軽くなっているのです。
なんでだろう。
まさか
東京に来たから、治った。
僕は、あるきながら、必死に堪えていました。
信じたくない。
まさか、脚がおかしかったのは、「それ」が原因だったなんて。
そして今の家に帰ってきて、僕の脚は「元通り」になってしまいました。
あれは、なんだったんだろう。
そして、面接は合格との通知が、僕の誕生日に来ました。
自宅勤務ですが、東京には定期的に仕事で行くことになりました。
でも、仕事はひとりです。
しかし、その仕事だけでは、シフトの関係上、ダブルワークが必要です。
今のアルバイトは、自分はこなせそうにない。
明日、脚についての検査結果を聞きに行きます。
結果によっては正当に身勝手に、辞めることも可能です。
PVには「僕が失ったもの」が沢山登場してきました。
東京の風景、夜景
街の風景
東京の公園
海
浜辺
可愛い子供
そして
東京タワー
一瞬だけ映った東京タワーのオレンジのひかりがわすれらません。
見なきゃよかった。
「流動体について」について話を戻しますね。
このPVの中で浮かんでふわふわしているもの、それが流動体なのかと思いました。
あまりにわかりやすい、それではあまりにわかりやすい。
何か裏があるに違いない。
ないのです。
なかった。
それは「流動体」そのもので「流動体について」なのです。
流動体は、輪になって、人々を取り囲む。
それは誰にでもあるもの。それに気づけ無い自分は、まだそこに入る資格がない。
そう言われているような気がして、ショックだったから
泣いているんだと思います。
僕の小沢健二の音楽に対する思いは、ずっと変わらない。
それもわかりました。
彼が、うらやましい。うらやましくて、自分が惨めになる
けど、聴きたくなってつらいのです。
愛すべき、生まれて、育ってく、サークル。
生きることをあきらめてしまわないように。
彼の音楽を聴き続けるのでしょう。
おわりです。