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ライブハウス新宿JAM閉店【思い出がいっぱい】

新宿ジャム

新宿JAMは2017年12月31日をもちまして閉店する事になりました。
1980年10月オープンから37年、
関わってくださいました皆様には、
心より感謝申し上げます。

新宿JAMの現ビル(セントラルビル)での営業が
今年一杯でCLOSEすることになってしまいました。
ビルのオーナーが代わり、ビル自体を取り壊しする事になりました。

ご来場のお客様、出演者の皆様には大変お世話になりました。
心より感謝を申し上げます。

営業は12/31まで行います。
ゴールまでは全力で頑張ろうと思っております。
皆様、是非お力をお貸し下さい。
何卒、宜しくお願い申し上げます。

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新宿JAMが閉店。いつかこの日がくると思っていました。だって、20年前に出ていた時からもうボロボロ、くそボロボロだったから。

でも、それが格好良く見えました。ステージも客席も狭くて、楽屋もカオスで狭かったけど、僕にはそれが格好良く見えた。

僕が2000年前後にライブ活動をしていた頃に、一番出た、ライブハウスだったかもしれない。でも、何度も出たことは覚えています。

バンド活動開始直後は、ここに出ていました。バンド活動開始直後に出られるところはここしかなかったからかもしれない。そして出たかったところでもあります。そんな不思議な魅力があるところでした。

現在は大江戸線副都心線が最寄りの「東新宿駅」ですが、そんなところはその頃にはなかった。だから明治通りまで新宿駅からひたすら歩かなくてはいけない。頑張って歩いた。新宿駅から。でも楽しかった。新宿が好きになったから。そのうちに、靖国通りからゴールデン街の裏の小道を抜ければ快適に行けることに気がついた。ミスタードーナッツの裏のところ。

またこれクソボロい練習スタジオも使った。あまり使わなかった。吉祥寺のペンタや、その他の方が、駅から近かったから。他のメンバーがギターやベースを持って歩くのが辛かった。僕はドラムだったからスティックだけだった。スネアドラムを持っていたときもあったけど。

それでも、新宿JAMは特別なものだった。

 

僕がサポートをしていた、けれども公私ともどもにバンド生活を共にした、大切なバンド、De Kooningが主催した「Love Knots Party」というイベントがここで開かれた。

De kooningは、まだまだライブ活動を始めたばかりだった。僕もドラムを始めたばかりだった。久々になんとなくで始めさせられたのだけれども、ライブで叩くことになった。ちなみにDe Kooningの最初のライブは「下北沢シェルター」だった。僕がはじめて「ギターポップ」のライブを見たところだった。ちなみに当日はライブ中に酔っぱらい?かジャンキーかわからないこわい人が乱入してきた思い出がある…

「Love Knots Party」には意外にもたくさんの人が来てくれた。「この人達誰なんだろう」と不思議だった。ちなみに恥ずかしいのだが、自分や仲間たちのユニットの曲が入ったデモテープを配布なんかもしたりした。De kooningはCDのリリース、シングルのリリースはされていたように思うけど、主な作品はデモテープだけだった。インターネットはそこそこ発達はしていて、HPはあって、そこでのファンの人たちとの交流もあった。でも小さなスモール・サークル・オブ・フレンズだった。それでもライブハウスにそこそこ人が入った。そういう時代だった。特別に人気があったわけではないと思う。ちなみに、人が来ないライブももちろんあった。でも気にしなかった。誰も。新宿JAMのそのイベントでは「赤がでなかった」と主催者が安堵をしていた記憶がある。JAMだったから知名度がなくても人が集まりやすかった、なのかもしれない。

 

それからしばらくして、僕は別のバンド、掛け持ちのサポートでライブに沢山でることになった。その中にも新宿JAMはあった。

「帰ってきた」と思えるところだった。またいつか出たいな。と思っていたと気づいた。

 

いつ最後になったのかはわからない。そういうバンドの人もたくさんいると思う。ほとんどの人がバンド自体をやらなくなった。そうだと思う。でも、みんながそうではなかった。ここを根城にして、駆け上がって、もっともっと大きいライブハウスで、ホールでやっている人たちがいる。

それから僕はバンド活動をすっかりしなくなって、普通の社会人になった。ずうっと埼玉に住んでいて、新宿やら渋谷やら後楽園とか都内まで長時間かけて通勤をする日々を送っていたのだが、解放されることになった。それは新宿区だった。都内に引っ越すにあたって、憧れの新宿区に住んだのは、副都心線に勤務地があったことで、たまたま僕の新居は副都心線西早稲田になった。

自転車で明治通りを通る。なんてことが日常になった。それが普通になったことは僕にとってすごく大きいことだった。ことだったはずなのに。

新宿に移り住んで、数年たったころに、明治通りを自転車で走っていたところ「はっ」と思った。そうだ、新宿JAM、まだあったんだ。ここにあったんだ。

 

僕はすっかり忘れていた。新宿JAMのことを。いつも通っていたのに。埼玉から東武東上線乗り継ぎ山手線で新宿駅からひたすら歩いて。なんてことだ。あの頃必死にここに来ていたのに。大切なことを忘れていた。その時は土日で昼でもライブをやっていた。その日の出演者の張り紙に掲示されているバンド、もちろんだーれも知らない。なんて愛おしいんだろう。新宿JAMは変わっていない。僕だけが大きく変わってしまったんだ。遠い遠い、遠いところに来てしまった。と感じてしまった。

近くになったのに。自転車どころか、歩いてこられるところに住めたのに。大事なものが遠くなってしまった。別世界になってしまった。もうここに出入りできる人間ではなくなってしまった。

 

それから僕は「都落ち」をして、遠いところでこのニュースを知った。今はまた「都」にて音楽活動をしていたころをひたすら懐かしくおもい、その時に帰りたい。帰りたい。また新宿JAMに出たい。でも…。 

「ライブハウス」がなくなって、さみしいなんて事を思ったのは初めてだと思う。でも、いつなくなってもおかしくなかった。ひさびさに見た新宿JAMは「そのまま」だったから。淘汰されてもしかたがない。建物がなくなって新しくなって復活する、違う場所へ移転する。そうなるのかもしれない。しかし、古くて使い物にならなくなった音楽なんて、新宿JAMに出ているバンドたちには存在しないと思う。そういう存在なんだと思う。ただただ、郷愁に浸るしかない。世の中とはそういうもの。

 

また、ライブに出たりしたいです。長野から明治通りは自転車では行けないですよね。あまりにもまだ、遠いです。すごく…すごく…。

おわり