僕は、「働きたいニート」の状態に昨年夏から、なってしまいました。
「働きたいニート」というのは、大いに矛盾していて、我ながらちょっとおもしろいな、なんて思っていたのですが。
事情がありました。働きたくても、働けなかった。働くようなところがなかった。住んでいたところは、山の中の中の上、車の免許もない。
そして、自分が東京でやっていたような仕事はない。昔やっていた飲食店のしごとならあるけれど。どのみち通えない。自宅勤務の仕事も応募したのですが、落ちてしまいました…。
なので「ニート」でも「働きたいニート」になってしまったのです。お金も欲しかった。
そして、いろいろあって、今は「働くひきこもり」になってしまいました。
街、いちおう街、やっぱり田舎の街の中、高校三年間だけ住んでいたところで一人暮らしを再開できました。
そして、運良く、「東京で自分がやっていた仕事」を見つけられたのです。
ほんとうに運が良かった。一度は見つけた仕事、「東京で自分がやっていた仕事」のコールセンターが、ほんとうにやりたくない仕事、そしてひどい環境(ブラック)だったので、脱走をしてしまいました。
脱走はよくないことですが、でも結果的に良かったのです。
見つけた仕事、それは「自宅勤務」の仕事でした。この家で、仕事をする。
「自宅勤務」は初めてです。どんなものかは、想像はつきました。初めて観ると、想像以上に、仕事には集中をしなくてはいけない。大変なものです。しかしなんとかやっていけている、とは感じます。今度は頑張って続けたい、と思っています。
しかし、「自宅勤務」のデメリット、体調管理等があるかとは思いますが、それよりも深刻なことがあります。
「通勤」がない。
それは良いことです。面倒臭いものがなくなった。東京だったらまだ良かったけど、田舎では交通機関が発達していません。なのでありがたいことです。
そして、「面倒臭い」に付随してくる「楽しいもの」もなくなった、ということがあります。
例えば「帰りにてきとうに寄り道、会社の近くの行ったところの無いところに行ってみる」「仕事中に検索して見つけた面白そうなところに行ってみる」「たまには家まで歩いて帰ってみる」「同僚の人にさそわれてなんとなくお食事して愚痴ばかり」「前の会社の人に誘われて中目黒のオシャレな店でおしょくじ」「友だちとカラオーストラ」」「せつな的に夜景を見にいって、ふぅとかためいき」「ドトールでブレンドコーヒーがぶのみ
とか、そういうものが一切なくなってしまったのです。
そういうものが、結構好きだった、という事に気づきました。
僕は「街」が好きです。
ちなみにゲームの「街」も好きでした。「街ー運命の交差点」ですね。渋谷が舞台のサウンドノベルのゲーム。チュンソフト。「街」をやっていた時には、渋谷は「街」の中でしか、存在をしていなかったのですが、その後ほんとうに渋谷という「街」で働くことになった。毎日が「街」の世界だなんて。
でも、今日も買い物で少しでかけただけ。コンビニエンスストア、スーパーマーケット、あと個人的に好きな「メロディーグリーン」にて、買い物をするときは、最近はかならず声にだして「あ、ありがとうございます」と言います。
声を出せるチャンスは、その時だけだから。部屋で「ああー」とか「うつうつ」とか叫んで声は出しているのですが…。
人と話す、ということが全くなくなってしまって、こわいのです。
でも、ちゃんと働いています。
来週に、その仕事のMTGがあり、都内にて参加することになりました。
初めて目にする顔を前にして、自分は何をどう話したらいいんだろう。
僕は新入りでみなさんは長く続けている方ばかりのようです。
分が悪いです。おちゃらけていいのか。控えめでいいのか。ネコかぶっていいのか。「さわやかまえむき」のことは話さないほうよいのだろうか。など…。
これでは完全に「ニートでひきこもりの働く人」ですねこまりました。
救いは、その前に「ピアノ発表会」にて旧知の友人に会える、ということです。
「ねえぼぼぼくさ、はなし方わからなくなっちゃんだよねえどうしようどうしよう」とか相談してみます。ほんとうに会いたかった人なので、嬉しいです。
僕の「都落ち」後に初めてあう「旧知の外界の人」です。それが彼女だなんて。ほんとうに会えたらうれしいです。
ここまで書くとちょっと誤解があるかもしれませんが、その人は昔、バンドを一緒にやっていた人です。僕の大事な思い出のバンド、De Kooning!いつかCDをレビューしますね。誰も知らないとは思いますが…。
おわりです。