明日、東京へ行く。もうここ数ヶ月何回行ったのだろう。行けたのだろう。
東京に住んでいたことが、もう遠い日々になってしまったように感じていた。
ほんとうに信じられない。僕は、自分が望まない「新しい世界」に迷い込んでしまった。と先日に書いた。東京で自分の居場所が見つけられた。田舎ではできないこと、そして田舎では出会えないような、そしてかつてはそこで仲良くしていた人と、また巡り会えた。
でも僕が帰ったのは「新しい世界」だった。その「新しい世界」には、何ひとつの魅力もないのに。
僕はこの1ヶ月間、ひたすらに過去を尊ぶしかない自分を恥じていた。そんな自分であることは、恥ずかしいことだと思っていた。思っている。ここにいる限りはそう思ってしまう。でも、僕の「新しい世界」はここではない。
そのため、新しい世界から抜け出して、自分の本当の「新しい世界」へまた旅立つため。
僕にはもう少し、休養が必要だと思う。現実と戦うために。
たった2日、3日では休まらないと思う。無理だと思う。僕の身体はもう弱くなってしまった。都内を歩くことすら辛い。でもあるきたい。今はあるきたくもない、そんな気持ちになってしまった。歩くことが辛いわけではない。外を歩いても行きたいところがどこにもない。全くないわけではないけど、そういうところには自転車で行く。そしてすぐ帰る。映画を見ても、誰とも感想などを交わすわけでもなく、家に帰る。
そんな日々がずっと続いている。仕事は自宅でひとり。ひとりで空回りしている。ような気がする。実感がない。自分がこの仕事をこのまま続けてよいのかどうか、聴く人もいない。聴く、勇気もない。
生きているのに、生きている実感が全くない。と思ってしまう。
でも、そんなことはない、とこの前思いました。
ここには恥ずかしくて書かなかったけれども、この前のライブ出演のあと、自分達は終わりをまたずに退場したのですが、帰る真際、ギターを担いだ若い男性に声をかけられたのです。
「ピアノ、素晴らしかったです!感動しました!」
という言葉。見ず知らずの人にそう言っていただけた。ほんとうに嬉しかった。それを待っていたのです。
僕が、この1年、どれだけ辛いを思いをしてきたのか、わかってくれなくても、そういう言葉を伝えてくれた人が1人いた。それだけでも、ここまで生きてきた意味があった、と思ったのです。
大森靖子の記事にて僕は最後にこのような事を書きました。
明るいところからは、暗いところはよくみえない。
でも、暗いところから、明るいところは、よくみえるのです。
暗いところが見えないようでは、ほんとうの光も見えない。
そう思います。
これは、僕の言葉です。僕が書いた歌詞の中の言葉です。
大森靖子と同じように、僕は今は闇の中。
暗いところからは、明るいところが凄くよく見えてしまう。
でも、明るいところからは、暗いところは見えない。
キラキラと光は輝いて、目を閉じても入ってきてしまう
でも、開けない。目は開けられない。見たくないから。
そんな歌詞です。
僕は、「ほんとうのひかり」がみえるようになったと思います。
今いる場所はあまりにも暗すぎる。光がみえないけれども、暗いとこから、明るいところがよく見えるのです。
だから、そこに帰りたい。早く帰りたい。
そう思います。
そこに「新しい世界」を見出そうと思うのです。
僕は明日、東京へ行きます。
もう東京へ行くことは、住んでいたところだけど、慣れました。
次は「帰ってきたくないところに帰ってくることに、慣れる」ことを目指そうと思います。
何もない、この街から、早く出られるその日まで。
おわり