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【雑文】高校の時にクラスで一番仲がよかった人に、卒業後に創価学会へ「折伏」(勧誘)された話

 

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)

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衆議院選挙がおわりましたね!

だからというわけではないですが、今回は「高校の時にクラスで一番仲がよかった人に、卒業後に創価学会へ「折伏」(勧誘)された話」を書きますね。

 

まず、僕はまったく信仰心というものがありません。

maemuki.hatenablog.com

 こんな事も書きましたね。そうです。何も信じない。のですが…

「信じている人」を観察する、ウォッチングするのは実は恥ずかしい趣味の一つです。

それは「信じているもの」が明らかにまがい物、マルチ商法とか「水に音楽を聴かせると味がよくなって心がきれいに。水は言葉が理解できる…水からの伝言…」

みたいなものも、あります。

 

しかし、ある日から「宗教」を信じる人は面白いと思って、観察、ウォッチングをするようになりました。

そのきっかけは小学校の時です。

◯1人で東京の親戚の家に遊びに行った時

僕の母の姉の1人が、東京に住んでいました。夏休み、僕の家はペンションだったので、どこにもでかけられず家のまわりにも「わーいわーい」と遊べるようなところはどこにもありません。友だちの家も遠くて、親は忙しいのでそこまで送ったりもしてくれません。

なので、その親戚の家に、ひとりで行くことになりました。以前から度々そこにでかけていたのです。何週間かは覚えていませんが、たぶん1週間くらいかなあ。

大田区の某所にある、大きなマンション。僕より1つ下の男の子もいて、楽しく過ごしました。久しぶりに、「普通の街での暮らし」が体験できて、ものすごく嬉しかったのを覚えています。

そんな時に、その親戚の男の子が、「あつまり」で何か劇に出たりするらしい。ということで見にいきました。近くの公民館的なところでした。

まあ、普通に想像どおりのもので、その男の子は端役でしたが、ソロでタコみたいな飾りを見につけて…。

そして最後に、前に女の子が出て、自分が書いた作文を読み上げました。今でもはっきり覚えています。

「わたしが!もくひょうだった!なわとびを!とべたのは!おだいもくを!さぼらずに!がんばったこと!そして!そんけいする!いけだ だいさくせんせいのおかげです!」

なんだろう?それ?だれだ?それ?

 

まだ小学生だったのに、なんとなく理解もできました。その親戚のおばさんの部屋には立派な仏壇があり、亡くなったおばあちゃんの写真があったり。そして、一日に何度も念仏を唱えていました。「うちにはお仏壇とかなかったな」とか思いながら。そうして仏壇を見ている、紙に何か、様子が違う感じで書いてあったのです。

そこはうっすらとしか覚えていないのですが「大石寺!なんとかかんとか粉砕!!」「祈◯◯祭の失敗!」とか、こわい感じでした。ドラマで見るみたいなよくわからない光景。

 

そして、自分の家にかえり、母にこのことを話してみました。その時に初めて聞いたかもしれません。「創価学会」という言葉を。

おばさんは、熱心な信者だということ。特に別に気にしていないとのこと。「そうなんだ」と普通に受け取りました。

しかし、その後また学会との斥候がありました。

◯高校生の時にクラスで…

僕はクラスで一番、成績が悪い劣等生でした。勉強だけではなくて、運動も全くできない。希望する高校のひとつランクが下の高校になんとか入れたのですが、そこは「運動が強い」高校だった。僕は運動も苦手です。本当に地獄でした。

そんな中で僕と仲良くしてくれたのがI君でした。I君はクラス、どこから学年で1、2争う成績優秀な人でした。なぜ僕と仲良くしてくれたのかは、よくわからないのですが、なんとなくウマがあったのでしょう。

ある日、クラスの中であまり好かれていない、M君という人がいて、その人が休み時間に、机の下に本をかくして、本を読んでいたのです。でも、様子がおかしいのです。知られたくないのに、知ってほしそうな、そんな顔をして本を読んでいた。「あやしい、なんだろう」彼は、自己顕示欲がものすごく強いタイプなので、厄介者として、あまり好かれてはいない人でした。「その本なあに」とは聞きませんでした。近寄りたくなかったんだと思います。

ある日、また見ていたのです。その時はなんだか嬉しそうに、でも表紙は隠して読んでいて、表情はすごく嬉しそうでした。「なんだかなあ」と思ってたのですが、その後に、同じクラスの、同じ中学校だったバレーボール部の朴訥とした男子と、彼が話していたのです。早速聞き耳を立ててみると…

軽井沢池田先生が…」とか聞こえてきます。池田先生?

まさか…

そして、隠して嬉しそうに読んでいた本は「人間革命」!

 

僕はその時点で、実はいろいろ調べて、といってもたしか「別冊宝島」の「カルト宗教特集」みたいなものを読んでいたのです。そしてそこにその名前も載っていました。小さい頃に東京で見たものがなんだったのか、そこで、わかったのです。

彼も、そしてバレーボール部の彼もそうでした。

その後に、話しかけたのか、何なのかはわかりませんでしたが、彼と、バレーボール部の彼が「創価学会員」だということを教えてもらいました。

そして、驚くべきことを聞きました。

 

僕がクラスで一番仲がよく、行動をしていたI君も「創価学会」の会員で、彼の父は地域の創価学会を仕切る大物だということ。そして彼が「創価大学」へ進学する予定とのこと。

彼は、クラスで一番に勉強ができる人でした。僕はクラスで一番成績が悪かった。そんな極端な2人ですが、なぜか気が合って仲は良かったのです。それで偏見は持ちませんでした。距離はできなかった。「日本には信仰の自由がある」とわかっていたからです。

Ì君にも「創価学会員なんだって?」とかは、一切言いませんでした。僕はウォッチングは好きだけれども、信仰心は当時から全くない、その事は何かを信じる人とっては、よくないことなのだろう、と思っていて、今も思っています。

 

折伏の時 

時が経ち、僕は埼玉の短期大学へ進学し、彼は「創価大学」へ進学しました。その大学は偏差値が高いところです。恥ずかしいのですが、僕の高校はあまり進学率や進学実績はよくなく、それでも地域では進学校の扱い、という複雑なところでした。だから、彼はやはりよくできる人だったのだなーと思いました。

 

埼玉に引越しをして数日後に、あの事件がありました。「地下鉄サリン事件」です。衝撃的でした。東京、ではないですが、一応に上京をしていきなりこんなことがあるなんて。そして出てきたあの名前「オウム真理教

それほど詳しくはなかったのですが、僕は知っていました。「別冊宝島」にも載っていた気がします。「変なひとたちだなあ」とその当時の扱いそのままに、認識をしていました。「やっぱり宗教って理解できないなあ」なんて考えていたのかもしれません。

 

そんなある日、学校も始まってまだ少し、あまり友達もいなかった時期だったと思います。I君から僕の家に電話があったのです。

その頃は携帯電話は普及しておらず、僕の家も新しく新設した固定電話でした。高校の同級生には誰にも教えていなかったのに、かかってきたこと、今になっては不思議でしたが…

I君が、家に遊びにこない?と言ってくれました。行く行く!と言いました。人恋しかったのかもしれません。彼は大学に進学をして東京にいる、また会えてうれしいな。

そして、彼の家に行くことになりました。待ち合わせは、八王子の駅です。

 

埼玉から八王子、東武東上線沿線に住んでいたので、池袋まで出て、新宿から中央線に乗り換えです。今考えても、結構遠いです。

夕方、八王子の駅につくと、I君がいました。特に変わりはなく、まだ卒業したばかり、そして高校は私服の学校でしたので、特になにも思いませんでした。

そうすると、知らない人を紹介されました。学校の先輩の方ということです。

髪は長く、ヘアハンドをしていたことを今でも覚えています。ヘアバンドでも、あまり格好がよくない印象がありました。先輩が彼の家まで車で送ってくれる、とのことでした。「そんなに遠いのかな」と思いました。遠かったです。途中に3人で食事をしたかもしれません。

 

そして、部屋につきました。その先輩も部屋に入ってきました。

「おしゃべりでもするのかな」と思っていました。その後、普通の話をして…

I君はずっと黙っていました。もともと寡黙なタイプで、僕がつねに話すという仲でしたので、不自然には思いませんでした。

そして、その先輩が、こう言いました

「ねえ、宗教って信じてる?」

 

僕は、その時、全てを悟りました。

勧誘、いや、これは

折伏」だ!!

 

創価学会では勧誘のことを「折伏」という、そういうことを既にしっていました。さらに学会の機関紙「聖教新聞」を取ることをすすめることは「新聞折伏」これは実際に、僕が高校に通うために住んでいた家に聖教新聞が届くようになり、母が母の姉に押されて、取るようになった、ということでした。僕は、特に読みませんでした。ウォッチングも毎日だと飽きてしまうからです。

 

「僕は…宗教とか、一切信じていません」

と言いました。本当です。だからその事を言いました。「ああ、そうですか」

では、当然収まらないです。

こういう事は、生まれて初めてでした。

色々と書いてある紙を僕に見せてきます。仏教に関する図、信仰をしない場合の階級の図のようなものを見せられて、最底辺は「畜生」というものになる。

 

それも、知っていた言葉、どのようにここでつかわれているかを知っている言葉でした。

僕はどんどん醒めていく自分がいました。と、同時に身の危険も感じました。

ここまで車で来ているのです。しかももう夜です。

帰れない。帰るようになんとか仕向けなくてはいけない。

 

度々に、「なんとか話を」とか言ってきます。更に「明日、婦人会のオバちゃんたちの話を聴けば、気が変わるかも」みたいな事を、言っていた、それを聴き逃しませんでした。

僕はただただ、その時の気持ちをそのままに伝えました。

「今、僕は進学が決まって、長野を出て、音楽を毎日勉強できて、とても幸せです。何も悩んでいません。だから、宗教は必要ありません

 

先輩は、帰っていきました。

殴り合いにならなくてよかったネ」なんてことも、言っていました。

 

I君も僕もそんなことをする仲ではありません。

その後、2人だけになってもその事、勧誘について何も話はしませんでした。

ひとつ聞いたことは、「バスで駅まで帰れるのか」ということだけ。可能なようで、明日すぐに帰ることを、伝えました。

 

I君はすぐに寝ました。アパートはふつうの1Kです。すやすや寝はじめた彼を横に、僕は部屋を「ウォッチング」することにしました。

 

仏壇…簡単なものですが、ありました。

「人間革命」は見当たりませんでした。あるはずなのに。

 

そして、一番見たくないものを、発見してしまいました。

 

「友人リスト」

 

高校のクラスメイトの名前が名簿順にあり、そして「確約日」「成約日」みたいな項目もありました。

僕のところには「確約日」にその日の日付が書いてありました。

 

 

翌朝、早めに起きて、バス停までの道を教えてもらい、八王子駅までのバスに乗りました。

八王子はほんとうにのどかで、長野みたいでした。

その景色を見ながら、僕は思いました。

なんで来てしまったのだろう。全部わかっていたのに。

全部わかっていた。のに来た、そこに勧誘されること

 

まったくそんなことを考えていなかった。

本当に仲が良かったI君に会いたかっただけだった。

 

くやしい。くやしい。

くやしいけど…

 

「婦人会」の人たちに会ってもっとウォッチングしてもヨカッタカナ…

なんて、バカなことも考えたりしました><

 

その後、I君から度々電話がありました。何かイベントがあるからこないか、みたいな。川越であるからこないか、Winkの人も来るよ、みたいなメッセージが留守番電話に入っていました。

全部、すぐに消しました。彼との関係は、終わりました。

 

その後、何年か後に、同じクラスだった人とネット上だけですが再会をし、I君のことを話してみました。「友人リスト」があったので、他の人も折伏されているのかなと思ったら…やっぱりしていました!!なんだか噂になっていたみたいです。野球部の人とか「あいつぶん殴ってやる!!」みたいな感じで怒っていたようです。

 

殴っても、わからないと思います。

そこが、宗教の怖いところなんだと思います。

 

その後、僕は普通に「オウムウォッチャー」になり南青山の総本部を見にいったり、中野のオウムショップに行ったりしました><

今は、島田裕巳の本を読んだり、真面目に勉強しています🌋

 

おわり