さすがに72時間、全てを観ることはできませんでした。
僕は今、仕事をしています。この72時間の間にも仕事がありました。しかし観ることはできたのですが、観ませんでした。
しかし、一番良いところは観られたと思います。それは「森くん」との再会のシーンです。実際は「21年振りの再会」ではなくて、「21年振りの共演」でした。
「再会」はできても、「共演」はできない。
特殊な状況だと思います。しかしそれは一般的には「特殊」なことではありません。
むしろ「共演」は望まなくても「再会」はしてしまう。それが普通です。
「特殊なこと」が彼ら3人には多くあったこと、それは誰もが知っていること。
そして誰もが仕方がない、と諦めていたことです。そして、その諦めはまだ続いている。
グループを脱退したメンバーが今、活躍している場に、3人で会いにいった。そして、カメラがそれを生中継で追った。このシチュエーションで生中継というのは、あまりないかもしれませんが、そんなことはテレビではよくあることです。
でも、なかった。ほとんど無いものとされていた。
まず、それを無くして最初にやったことが、これだった。ということ。
大きいと思います。たとえ彼らが特殊で、ほんとうは特殊ではないとしても、特殊なところから脱するために、捨てたものは大きかったのです。
そして、会いに行ったヒトは、「自分たちより前に、それを捨てた人」だった。
4人が再会をして、全く会話には困らず、普通に話していた。すごーくどうでもいいけど、こちらとしてはテレビでは聞けなかったことを話していました。かなり長い時間。本人たちも時間を忘れていた。CMが入るのも気にしていなかった。後の時間も特に気にしていなかったようです。「もう3時間もたったのか」と香取慎吾が言いました。ほんとにあっという間。
民放の録画の番組だったら、カットされる部分、別にカットをするようなところでもなく、放送をあえてしたいというようなことろでもないところも、見られたこと。それは収穫でした。
森くんが、メンバーの出演している番組や映画をずっとずっと観ていたと話して、それについてメンバーが驚いていたこと。すごく思うことがありました。
「僕、観たんだよ」みたいな事は一切言わなかったのです。どのような頻度で連絡をし合っていたのかはわかりません。でもずっと観ていた。顔を合わせた時に、それを話した。
「インターネットが禁止されていた」ということも、稲垣吾郎が言っていました。
あたりまえですが、禁止されていたんだ…と思いました。やっぱりそうなのです。今は「禁止されていたあたりまえのこと」をやっているんだ、と気づきました。
森くんとの再会のシーンで一番、美しかったシーンは、レース場で4人で座って、夕陽を眺めていたときです。まるで、ドラマのよう、映画のようでした。でもこれはフィクションではありません。そのようなシーンを想定していたかはわかりませんが、この番組はけっこういい意味で適当なところがあったので、そうではなかったのでしょう。
「今、カメラが回っているなんて思えない」という発言もありました。僕も、そう思いました。
そして最後のフィナーレ。72曲を歌う、そして最後にテーマソング「72」を歌う。この曲が、小西康陽作詞作曲だということは、正直最初はわかりませんでした。
それまでの曲。なんと一部生演奏のバックバンドを用いて、もちろん全て、生歌で歌っていました。歌詞は、字幕が表示されていたようです。カラオケのように。
でもこれだけのたくさんの曲がワンコーラスで連続で演奏されること、民放ではありえません。ワンコーラスで終わってしまって続くということは無いと思います。テレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」でもありませんでした。もちろん紅白歌合戦でも。
ここで歌った曲たちは、「メンバーが歌いたい曲」を選んだものことでした。
僕は改めてきづきました。彼らは僕と全くの同年代なんだと。同じ時代に生きてきた。同じ時代…。かれらはその時代を作ってきた人たちの中にいた。でも違う世界にいた、けれども、同じような音楽にかこまれて生きてきたんだ、と思わせてくれました。
稲垣吾郎がソロでムッシュかまやつの「やつらの足音のバラード」を歌いだした時、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」を歌いだした時、そして小沢健二の「ラブリー」を歌いだした時、ほんとうに嬉しかった。それは僕がとても好きな曲たちだったからです!
そのほか、特に自分が好きではない曲たちでも、確実に知っている曲たちばかり。彼らがその時にどのような気持ちで聴いていたのかはわかりません。でも、同じ年代なのです。同じ年代の人たちがこのような音楽を聴いている、ということを知ることは、今までになかったのかもしれない、と思いました。
この「72時間ホンネテレビ」は、将来のテレビ局の変化を予感させるものかもしれない、と思いましたが、実際のところ彼らがやったことは「元ジャニーズ」という大きな障害を乗り越えてきた、というマイノリティ故のことだけなのかもしれません。
彼らが、今回の番組で見せてくれたものは、「彼らの新しい顔」ではなく、彼らのそのままの姿でした。そしてそのままの姿が、今までの姿だった、ということも気づきました。今までとは変わっていない、同じだったのです。親しみやすい、国民的アイドル、それぞれ特技とキャラクターもある、バラエティにもトーク番組にも料理番組にも歌番組にもドラマにも適応できる、そのような人たちだった、ということ。だと思います。
もしかしたら、もっと他にもいろいろな面があるのかもしれない。フィルターがかからなくなった。それは大きいです。
僕は、過去に彼らに遠いところですが、近いところにいて、彼らの所属しているところに接したことがあります。そこで観たことは「思ったより普通のところ」「思った以上にまともなところ」そして「思った以上に親しみやすい人たちだ」と感じました。それは、かなり前のことですが、もうSMAPはいたころです。彼らにも同じような気持ちなれました。改めて。
もう一つ、驚いたことがありました。
この「フィナーレ」は観客が参加をしていました。そこで、一部ですがみんなスマートフォンで歌うところを撮影していたのです。許可がちゃんとでたのか、みなさん片手にスマートフォンで撮影をしていました。普通でもありえないことです。海外ではあることですが、日本ではない。ましてや歌番組、ましてやジャニーズでなんて、ありえないことです。むかしは原宿など全国の至る所「ジャニーズの違法な写真」が売られていました。雑誌から、写真をもってきたり、歌番組の収録で盗撮したもの、あとはメンバーのプライベートなどの写真なども売っていたと思います。
時代は変わった。「元」ですがジャニーズが歌っているところを観客がカメラでバシャバシャ撮っているだなんて!
最後に歌われた「72」、歌詞が表示されたかたちで聴いたのは初めてだったかもしれません。この曲のソロで歌う部分は、3人のキャラクターに合せたものがありました。
稲垣吾郎の部分は「72冊の本を書いてみせるよ」「72本の薔薇を贈るよ」
本!72冊!ブロガーだと名乗ったのに、小西康陽は彼に作家の才能があると見込んだのでしょうか?
僕は見込んでいました。前にも書きました。それは彼が「72本の薔薇を贈るよ」という言葉が似合うような異形の人間だったからです。
ほんとうに、72冊書いてほしいです。彼がこの本を書いたのは2001年、もうかなり前です。いろいろ溜まっていると思います。小説でもいい。エッセイでもいい。自由にやってほしいです。
ああ、良かったです。良かった良かった。自由って素晴らしい!!