さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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【日記】今日は昔住んでいた2つの家を見に行きました。そして映画を見て人と話しました。今日は忘れられない日。

今日は休みでした。

とても寒いんだろうけど頑張って遠くにある、吉野家に行こうと思い、分厚い皮のロングコートを着て外に出ました。そしたら、とても暖かくて快晴です。雲ひとつない青空でした。

吉野家へはここからまっすぐまっすぐでも、20分は自転車でかかってしまう。でも今日は良い天気なので、余裕かな、とひたすらまっすぐまっすぐ。自転車を漕ぎました。

 

僕は高校3年間だけ、この街、今住んでいる上田市に住んでいました。それは、実家がペンションで山の中にあるため、通学が困難だったからです。

それは同時に久々、長野に越してきて以来の「普通の生活」を手に入れた、その時期でした。ほんとうにこの街が光輝いて見えたのです。今までにないものが一気に手に入った。通学時間も大幅に減ったのです。自転車で学校に通えるなんて!と嬉しかったなあ〜と。

吉野家は、当時はそこにはありませんでした。今日行くところは、上田でまず最初に住んだアパートの近くにありました。同じ道を自転車で辿りながら…ここに来ることは何度もありましたが、今までとは、違った感情がまた沸き起こりました。

あの頃の自分が、今日はそこには見えなかったのです。いつも、あの頃、この地に降り立った自分のことを思い出してしまい、そして悲しい気持ちになってしまいました。

今日はそれがなかったのは、天気が良かったからかも、なんて考えたりしました。

 

吉野家に行った目的は「牛すき鍋」が食べたかったからです。新大久保の駅前の吉野家で食べたなーなんて、考えたり、やはりしました。

 

僕は、思いつきました。上田で住んでいた2つの家をまだ見ていない。おそらく、今日は今年最後の暖かい日になるんだろうという推測をしました。

だから、行こう、まずはこの近くにある、「最初に住んだ家」ではなく、ここから遠い、でも一番通った高校からの道から、あの家を目指そう、としました。

ここから、高校から通った道へまず戻ることにしました。最初の家から、高校まで戻って、2つめの家に行きたかったのです。

高校から2つめの家までの道は、長い距離、昇り坂、下り坂、たくさんあり、とてもつらくて、前に行こうとしたけれども、途中で断念をしてしまったくらいのところです。

自転車でほんとうにあの道であの家にたどり着けるのか、そしてまだあの家はあるのか、わからないのですが、とりあえず、高校近くの通りを山へと登る道に行きました。

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とても美しい紅葉と枯れ葉の道ですが、カーブを交えて、歩道の無い坂道が続きます。車は頻繁に行きかい、歩道が無いところから、ある方へ。進行方向とは別なのですがなんとか片側へ非難しました。歩道がないなんて、こんなところ本当に毎日通っていたのか。

この後にも、上り坂はきつくなり、平坦な道に変わります。長い長い道。途中に当時はなかったセブンイレブンがありました。

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途中、個人経営と思しきコンビニエンスストアの軒先に、このようなものがありました。長野らしいです。この後、帰り道にもらって帰ろうかなと思いましたが、別の道で帰ることになったので、いただきませんでした。

 

この後、長い下り坂のカーブ、そして橋、そしてまた上り坂がある、という事も覚えていました。下り坂は記憶より長くて、そして途中に潰れそうなカラオケ屋がやはり潰れていて廃墟になっていてちょっと落ち着きました。橋から透き通った水の流れを見下ろしながら、坂をなんとか登ると、そこには懐かしの「スーパーおざき」がありました。

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懐かしいです。ここにもよく来ました。僕は一人暮らし、とは言っていますが、実は姉と妹、妹は2つ離れていて最初は中学校にかよっていたので、3人で一緒に住んだのは高校3年の時だけでした。そして、当時、料理が一番できるのは、僕でした。そして家にいつもいるのは自分だけだった。ここで食材を買って、適当に料理をして作って食べていました。自炊をしたのは、お金がなかったのもありますが、当時は食べる所が今のようにはなかった、というのもあります。コンビニも、遠かった。

ここで、ゼーハー休憩をして、向いました。2つの目の家。ここからすぐです。

街道から見える、田んぼの中にあるポツンとある家。田んぼのような道を通って、そこへ行った記憶があります。

街道をすすみ、見えるはずのものが見えない、家は失くなったのか、と思いました。

そうすると、家へ続く道、アスファルトの道が新しくできていました。これは当時はなかった。当時はあぜ道だった。しかし、家へとつながる横へ道は、そのまんまの砂利道でした。

家はまだありました。見た瞬間にこみ上げるものがありました。僕の家だ。僕の家がまだあった。嬉しかった。もう人手に渡っています。どんな人が住んでいるかはわからない。

横には小さな神社、残っていました。そして

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僕が住んでいた家です。ほとんどここに一人で住んでいました。

ここの周りはほとんどたんぼ、今は目の前に1件家がありますが、当時はなかった。

ほんとうに、変なところでした。街道から見える変な家がある、ということがクラスメイトの間で話題になって、「あああれは僕の家だよ」なんて話をした覚えもあります。

 

小さく見えるかもしれませんが、部屋は4つ、大きな和室が繋がった2室と洋室2つ。大きなキッチンにせり上がりのスペース。軒先もあり、キレイな板が貼ってありました。

僕の部屋は洋室で、電子ピアノとアップライトのピアノがありました。

音をいつ出しても、姉妹がいなければ問題がなかった。音楽も大きな音で聞けました。近所からも苦情はいっさいなかった。田んぼだからです。夏はカエルの声が、ずっと聴こえてきました。

 

ここで一番の思い出は、ひとりで過ごしたことよりも、ここに友達が遊びに来てくれたことです。こんな遠いところ、坂のあるところにあまり数は多くないけれども、来てくれた。ほんとうにありがたいです。

中学校のクラスメイト、吹奏楽班の後輩、そして高校のクラスメイト。ずっと苦手だった運動部の人たちと最後の最後に仲良くなって、一晩ここでみんなで遊んだのです。懐かしいです。姉が現れて皆が「おまえのねえちゃんすげえ美人だな」なんて言っていたり。「なんでお前俺たちとなかよくしてくれなかったの?」と聞かれて「だって僕運動苦手だから悪いなと思って」というと「そんなこときにしてーねーよ」なんて言われたことを思い出したりしました。

ピアノも、2つあって、沢山弾きました。好きなように。何も考えずに。

僕が高校生の時に住んでいた家を見に行きましたまだ残っていましたやはり感慨深いです 思わず…少し泣きました😭

https://www.instagram.com/p/BbTxRRXFxTB/

昔住んでいた家の横の神社こんなに紅葉が綺麗だったとは…

ずっと家を見ていられなくて、ここは離れることにしました。その瞬間、小さな小さな神社の木から、沢山の黄色い葉が舞い散りました。ほんとうに沢山の葉が。何かを僕に告げているような気がしました。別れの言葉でしょうか。

もう、ここに来ることは二度とはないのだろう。さようなら、さようなら。葉がひらひらと、そう告げているように思いました。

 

その後、もう一つの通学路を通って帰ることにしました。ひたすら坂を下り、国道をまっすぐまっすぐ行く道です。この道を発見したのは最後の方だったかもしれない。ただ、行きはこちらの方がラクで、帰りは昇り坂がひどくて、使い分けていたなーなんて。

そして、もう1つの家、先程の吉野家の近くにある場所に行くことにしました。そこには、僕がいたころにはなかった新しい「信濃国分寺駅」ができていました。

もう家もないだろう、確か線路を渡って、あの道はもうないのかな、と思ったらありました。さすがにあのアパートはもうないだろうと思いました。ボロかったからです。アパートというより、一戸建タイプで2戸ある、公営住宅によくある、正直みすぼらしい感じのところです。

もうなくなりかけた記憶を頼りに向かうと、ありました

 

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この奥のところです。ここにどれくらい住んだのか、もう覚えていないです。2年の時には新しいところに引っ越したような気がします。2つめのところに引っ越したのは、結構突然で、何が何だかわからないうちに、そうなった気がします。

とりあえずの所在を確認したので、もう戻ろうかな、この後は映画を観に行く予定でした。が、このすぐに千曲川があることを思い出しました。

とりあえず、堤防近くまで行くと、上に上がれるようでした。この千曲川の堤防に上がれることはなかなか無いのです。ひとつひとつ、階段を登って、だんだんと川が見えてきます。この川はなかなか遠くて、違うところでは、いつも遠くから見ていただけだった。

あの頃は近くで見ていた記憶があるのに。

そうしたら、階段を上りきった景色

 

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僕が、見たかった景色、そして見ていた景色です。川が近い。僕が住んでいた山奥から流れてきた水が、他の川と合わさって、大きな千曲川になり、飛沫を上げて流れていく。そして、日本海へと還っていく。

すすきは風と水の流れの方向へみんな向いていく。水と一緒に流れていきたいのかな、なんて、考えていました。

 

この場所にくるのも、もう最後になるのかもしれない。

と、思いました。

 

この後はいつもの「上田映劇」へ行きました。今日みた映画は「神奈川芸術大学映像学科研究室」という映画です。

映画『神奈川芸術大学映像学科研究室』公式サイト

ちなみに「神奈川芸術大学」というのは存在しない架空の大学です。この前上田映劇の受付の方と話をして教えてもらったのです。

今日は少し早く映画館についてしまって、まだ前の映画が上映中でした。落語の映画です。受付のお兄さんが教えてくれました。時間があったので、話そうと思い、「この映画館って映画そのものですよね?」というと、同調をしてくれました「そう思います。ありがとうございます」と凄く丁寧に話してくれました。

その後、映画の話や、いろいろな話をしました。僕はまた余計なことをペラペラ話してしまい、恥ずかしかったです。しかし、このお兄さんは、映画をちゃんと勉強している人で、ものすごく詳しい人でした。凄い人です。そしてただの「受付のお兄さん」ではなく、ちゃんとした社員の方でした。映画を大学で勉強されたとのこと!アカデミックなのです。

ああ、今日はなんだか盛りだくさんでした。

吉野家の牛すき鍋だけで終わらなくてよかったです。

おわり!