さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら kyopon2017@yahoo.co.jp



「エコーバレースキー場」という曲を録音しました 僕が育ったところ、です

soundcloud.com

この前、オープンステージで演奏した曲です。録音できなかったので、残しておこうと思い、家でやってみたのですが、GarageBandだとやはり音が良くないですね。。

音量も小さくなります。マスタリングとかちゃんとしたら良くなるのかもしれないですが。。

まあ、こんな感じで「ピアノでシューゲイザー」をやってみたかったのです。

さらっと録ったので、あくまでデモとして聴いてください。

 

今日のメインはこの「エコーバレースキー場」です。僕はこの近く、といっても車で行かないと大変なのですが、そこに親がペンションを始めるために名古屋から引越しました。

f:id:maemuki:20180315003217j:plain

本当は近くに「姫木平スキー場」というリフト1つだけのしょぼいスキー場があって、窓のすぐ横がゲレンデで、そのリフトに手が届くか?というようなところでした。

ここでの生活は、辛かった。特に通学です。名古屋では歩いていけた学校が長距離になった。もう何度も書きました。

スキー場の近くで育ったこと。僕には特にメリットはありませんでした。しかし実の姉妹たちにはありました。姉はプロのスノーボーダーになり、妹も試合で結果を出し、いろんな人と交流をしていました。二人とも、ニュージーランドに練習に行ったりしていました。僕より海外に行くのが早かったのです。

家にも、たくさんがスノーボーダー達がきました。みんなかっこよかった記憶があります。プロの方が長期滞在をしたり。なぜかその時「空間コーディネーター」みたいな浮世離れをしたような人も泊まったり。

ペンションにハイシーズンにはアルバイトの大学生が長期で滞在したり。お客さんとはあまり触れ合いはありませんでしたが、そんな環境でした。田舎なのに、家は都会でした。特殊な環境です。

 

でも、学校は田舎です。当然生活がみんなと違う、ということにもだんだん気づきました。その事を同じ境遇のペンションの子たちとは、あまり話しませんでしたが。

ひとつ、覚えています。この前横浜に用事があって行ったのですが、僕の小学校の修学旅行は東京でした。東京タワーに、あとは…横浜に行きました。山下公園にも行きました。覚えていて、それから山下公園には行ったことなかったなあと思って行ったのです。

https://www.instagram.com/p/BgQAC1ZFMo8/

そこで、なんとなく思い出しました。ペンションの子供らはみんな東京近辺の出身だった。だから東京にわざわざ修学旅行で行くことに不満を言っていました。僕も東京に親戚がいるので、また東京かなあなんて。思っていたような気がします。

しかし、ペンションなので、土日は外出ができません。旅行をすることはあまりなかった。だから嬉しかった、ということも思いだしてしまいました><

 

寂しかったのは、お互い同じ地区でも離れていて、「家に帰ったら遊びに行く」ということができなかった。たまーに、仲良しのペンション同士で集まって、仲良くお食事飲み会をする時もありました。他のペンションはどこもお洒落で素敵なところ、うちとは違うなあ、とそんなのがすごく楽しみでした。

「壊れ時計」というペンションがあり、そこはその名の通り「壊れた時計」が高い天井のお洒落な食堂に沢山飾ってありました。ただ、一つだけ壊れていない時計があるから探してみて、みたいなことを「社会科見学」にて、クラス全員で観に行ったこともありました。

みんな、その建物に驚いていました。自分と同じクラスの人間が、こんなに非現実な空間に過ごしているなんて、と僕は冷静に思っていました。

 

地方の住居は、ペンションのようではない。ペンションの地区だけは特別に「ぼっとん便所」ではなかった、他は全て「ぼっとん便所」でした。

修学旅行で「県外に初めて行く」というような人もいました。

 

当然、反感を買いました。ペンションで集まって、夜遅くまで飲み会をしているということが問題になることもありました。「姫木(姫木平ペンション村でした)のせいで、俺たちの親は苦労している」なんて事をクラスメイトに言われたこともありました。

 

でもそれは小学生の頃です。中学生になると、そんなことは言われなかった。高校生になると女の子に「ペンションなんてすごいね」と言われ、泊りに来てくれたこともありました。

 

その時、その子達と一緒にスキーをしたのです。何年かぶりでした。僕はそこから高校に通えないところを選んで、一人暮らしをしていました。スキーなんてもうやりたくなかった。好きじゃなかったのです。

でも、できました。「スキー滑れてすごいね」と言われました。

 

それは、毎週日曜日に強制的にエコーバレースキー場に通わされていたからです。日曜日の貴重な夜、ナイターの時間。一番寒い時です。ナイターなのは、空いている時間だからです。エコーバレースキースクールのコーチも嫌な感じで、僕は叱られたりしました。やる気がないなら帰れなんて言われたりして。

 

その中に、上村愛子さんがいました。凄いですよね。最初は彼女だと気づきませんでした。おにいさんが僕と同じ名前で、愛子さんは、僕の家のペンションに遊びにきてくれました。妹と仲良しだったからです。そして愛子さんのペンションはわりと僕の家の近くでした。もうそのペンションもなく、僕のペンションもなくなりました。

 

もう二度と行くことはないと思います。そこにもう家がない、そして行く手段もないのです。そしてスキーももうしたくない。

でも、僕はここで育ったんだ、と思いました。

 

エコーバレー、ここは「山彦谷」というところを開発されて作られたようです。

やっほーと叫んでみたこともありましたが、特にやまびこが帰ってきたこともなかったような気がします。

毎日、ここからいつ出られるんだろう。ここから早くでて街に行きたい。

そんなふうに考えていたのに。

 

やはり育ったところ、とは懐かしい。そして、愛おしい。

そして憎らしくもある。複雑です。

この曲は、消えない山彦と消えない森の風景をイメージしました。

もっとちゃんと録音したいです。

おわり