今日は温かい方からの優しさにより、Eins:Vierのライブを観ることができました。
いろいろストレスが溜まっている僕に、行けなくなったライブのチケットを譲ってもらいました。本当にありがたいです。今日はその方のためにもレポートをします。
Eins:VierのCDを初めて買ったのは「Risk」です。発売後すぐに買った記憶があります。そうだったかなと発売日を調べたら1994年2月9日でした。その時僕は高校2年生でした。当時は長野県上田市、この前まで住んでいたところにいました。
東京池袋の「ブロンズエイジ」にて、CDを買った記憶があります。その当時東京で買ったCDのもう一つがSilver Roseの「終止符」という解散記念ベストでした。「Risk」と一緒に買ったかどうかは、記憶していません。
もう何年たったんだろう。長い時、信じられないことが自分には沢山起こった。そして自分は変わってしまった。そしてあの時に夢見ていたこと、夢などではなく現実に起こるだろうと思っていたことが、何もなかった。そして信じられない事だけが数々起こってしまった。
そういう自分を今日は感じました。Eins:Vierのライブを見たのは、今日が初めてでした。
でも、自分は「懐かしいな」と思ってしまいました。「何も変わっていない」とも思いました。でも、もう24年も経っている。僕はもう変わってしまった。あの頃の自分は、ここにはいないのに。
彼らは、何も変わっていない。正直、僕は視力も減退し、あの頃はかけていなかった眼鏡をかけるようになってしまいました。今日も、彼らがよく見えなかった。
それでも、変わっていないと思ったのは、姿形ではない、音が当時聴いていた「Risk」そのまま、だったからだ、と気づきました。
彼らの音楽は、このシーンでは他にないもの。だということも、ずっとわかっていました。そして後継もほとんど表れなかった。
開演前のSEを聴いて、僕が知るようになった曲が沢山流れていました。東京に出て、輸入盤を買い漁り、雑誌などを読んで、いろいろ学習してきた曲たちが沢山沢山流れました。
My Bloody Valentineの「isn't Anithing」からの1曲など、僕が好きな曲が流れたりしました。Eins:Vierを初めて聴いた時には、知らなかった曲ばかりです。
僕はホッとしました。このシーンでのSEはかならずメタルやハードコア、Slipknotなどのオルタナティブなエクストリームがかかっていたりする印象でした。しかしこの日はそのような音楽は、一切かからなかった。それが理解できるようになった自分にも気づきました。かかったのは全てUKからの音楽だったように思います。
そして、ステージに表れた彼らは、始めて直に観るのに、当時のそのままだと思いました。ギターのYoshitsuguは、メイクはあまりしていないように見えたけれども、佇まいは女性のようだった。ギタープレイはCDで聴くよりもより繊細でかつ大胆だった。エフェクトひとつひとつに拘り、ギター一本で音色を生み出す姿は、職人のようだ、と感じました。
エフェクトを掛けることが恥だという風潮もこの界隈にはあったように思います。アンプ直結がただしいというような。そんなことは無い。美しいものを作り出そうとする心は、曲がったものではないんだ、と思いました。
ベースのLUNAはひたすら下を向いてベースを弾いていました。ひとつひとつベースの弦とフレットを力強く弾いている姿が印象的でした。全く正面を見なかった。もちろん、MCなどでは笑顔で話したり、センターに来て、手を振ったりなどはしました。リズムを崩さない、そのために命をかけているように見えました。Eins:Vierは軟弱なように聴こえて、骨太な音楽です。それはリズム、ベースがしっかりしているから。そこが崩れたら、更になめられてしまう、そしてそれが音楽の基本の一つである、ということも、感じました。
ボーカルのHirofumiはまるで「熱血国語教師」のような面持ちでした。頭を振り乱し声を張り上げ、ひたすらに熱いメッセージを伝える。しかし押し付けがましくない。人間くさいのに、くさくはないのです。さわやかだけれども、それだけではない。それはどこかに「恥じらい」があるからだ、と感じました。そして、ボーカルもCDのまま、それ以上に、激情を感じさせたそれはもちろんライブだからです。崩れないように、理性を持って。そういうところはこのバンド全体に言えるのかな、と感じました。
「Not Saved Yet」が3曲目くらいに始まった時、いよいよ始まった感じました。今日はこの曲を聴きにきたようなものです。素晴らしいYoshitsuguのギターフレーズから始まります。何かが大地に向かって流れいていくようなギターのフレーズが「水の都で 生きゆく僕」というフレーズに繋がります。絵が見えるようでした。実際にはライブで彼らが演奏している、という事に感激しました。そしてサビの「I’m not saved」のコーラスは観客達も歌いました。みんなで「いまだぼく、救われず」と明るく歌う、という光景はこのバンドを象徴するものだと思いました。この曲は「Risk」には入っていない、次の「WALK」に入っている曲です。メジャーからリリースされた。僕が短大1年生の時にリリースされた曲でした。
人生はあっという間、と言いたいところですが。僕の人生はすごく長いです。ここまですごく長かった。今だ僕、救われず、と言いたいところですが。
この日のEins:Vierは、否定しきれないポジティブさに溢れていました。この日だけではなくいつもそうだったのでしょう。
「Risk」に入っている曲もやってくれました。もちろん初めてライブで聴きました。何度も何度も聴いた、長野で埼玉でそして東京で今こうやって聴いた曲を遂に生で観ることができた。彼らはまだ生きている、そしてこれからも、そしてもうこの機会はないのかもしれない。先は誰にもわからない。未来があるかもしれない、とも思いました。
「Notice」が始まった瞬間、こらえきれなく成る自分がいました。「愛が君を救うかもしれない」という幼稚な自分と向き合う時が今なのかもしれない、と思ったからです。それが生で聴けてよかったな、と。
そして、気づいたことがあります。彼らの演奏はすごくキレイでした。透き通って透明で衒いのない輝きがそこにありました。それはクリーントーンの音楽だということだけはない。そして甘くもない。なんだろうと思いましたが、僕は「すっぱい」音楽だなと思いました。柑橘系でももっと香りが強いもの。要するに甘くはないけれども鮮烈だということです。
終演後、場内は明るい雰囲気に満ちあふれていました。みなさんおそらく自分と同じ世代だと思います。男女比は当然女性が多いのですが、男性もいました。でも性別なんてどうでもいい。年齢なんてどうでもいいのです。そしてEins:Vierのメンバーが幾つかなんてこともどうでもいい。全てを受け入れる許容範囲の広さを持つこのバンドが、このまま消えてしまうとさみしいな、と感じながら寒い長野のように寒い東京を、傷んだ足をひきづりながら、帰りました。
チケット提供をしてくれた優しいお方、今日はありがとうございました。
僕は今、救われた気持ちです!