さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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【一人暮らしは15歳から!】はてなさまが「私の一人暮らし」のお題で書いたらナンか当たるから書くからクレクレ

「私の一人暮らし」

blog.hatena.ne.jp

A. 高級レトルトカレー詰め合わせとブランドごはんカレーは国民食。ブランド肉のレトルトカレー詰め合わせに、ブランド米をセット。ブランド×ブランドのディナーをお楽しみください!B. 便利な最新ガジェットセット話題のスマートスピーカーと動画ストリーミング端末を詰め合わせました。話題のドラマや好きな映画を、自宅ですぐに楽しめます!C. 話題のおしゃれ電気ケトルと一人で楽しむお茶の詰め合わせ遅く起きた休日の朝、一人用のちょうどいい電気ケトルでお湯を沸かして、ゆったりと自分のペースで好みのお茶を楽しみましょう!

 こういうことらしいです。しかし

※受賞作は、CHINTAIによる厳正な選考を経て決定し、受賞者にどの一人暮らしセットがよいかをメールで確認します(応募要項を参照)。

こんな記述もありました。はあ、これは選ばれないですね。私は「はてなダイアリー」からもう14年も続けているヘビいユーザーなのに、まったく「はてな受け」「はてな村民にんち」がサれていないという憂き目にあっているのですから、おそらくここでもはてな村八分」になることでしょう。仕方ないです。

なので、今日はたままたお題が「私の一人暮らし」というわたくしめが「よくネタにする」お題だったので、書いてあ・げ・る、ことにしました…。

 

私めの実家は山奥、いや山の上のペンション(※フランス語ではオーベルジュ)、スキー場の横にあった、ということは推定4人ほどの読者の方ならご存知だと思います。当然、そこから市内の高校には通えません。なので、高校1年生から「私の一人暮らし」は、始まりました。

正直、嬉しかったそれしかないです。だってそれまでバス通学で片道2時間!計4時間!!帰宅すると「スーパーニュース」がちょうど始まる時間!!テレッテッーテテレッテ!こんばんわ幸田シャーミンです!六時!!寄り道もしてないのに!!!!寄り道できない!!学校のすぐ横にバス停!!なんもねええええ。

 

それが、なくなったのです。高校までは自転車で通いました。「高校までは自転車で通いました」というありきたりなコトをわざわざ書くくらいに嬉しかったのです!!

そして憧れていた「帰宅時の寄り道」もできるように、なりました。。

 

私はですね。ここにも何度も何度も書いておられますが、小学校3年生までは…愛知県名古屋市中川区に住んでいた。その頃は当然、学校までは徒歩。駄菓子やパン屋で飼い食い、あとスイミングやそろばん、ピアノなどの習い事をするなど、平凡な小学生でした。。

でも、それが田舎に住んで一気になくなった!!!!

 

高1の頃は、もう楽しくて楽しくて。普通の生活がやっとやっと戻ってきた。

 

家は、ボロいアパート。簡平という平屋一戸建てに2戸があるもの。2Kでした。一つの部屋はその年から晴れてフリーターになった姉がいました。最初はいなかったのですが、その内あまい家に帰ってこなくなりました><姉はまあ良い人なのですが、「夏はヤンキー冬はスノーボーダー」というよくわからない属性だったので「年中音楽」の僕とは合わなかったです…。

 

そして一人暮らしといえば、自炊。そうです自炊。これは僕は大丈夫でした。包丁はあまり使えませんでしたが、なんせ家がペンションでしたので、キッチンや用具設備、調味料具材お皿フォーク箸コップなどは、捨てるほどありました!なので自ら調理をする機会もありました。姉妹よりもこの時は料理はうまかった。それが対立の要因になりました><

 

正直にいうと、一度ホームシックになり、学校をサボったこともありました。なんせいままで学校まで毎日強制送還でした。「このまま行かなくていいんだあ」と思うと、ついつい。千曲川の川べりに行き、石を投げてボーッとしたりしました。

学校に友達もあまりできませんでした。が、僕は吹奏楽部に入り、だんだんと打ち解けました。

 

その後、親が急に「家を買ったヨ」とか言い出して、そこに引っ越すことになりました。「そんなお金あるのかな雪不足なのに」(この頃スキー場は毎年雪不足でした)と思ったのですが、かなり高校からは離れた田んぼの中のあぜ道とがけ崩れしそうな辺鄙な場所、でも隣りには家がないところ、に引っ越しました。

 

平屋建てで、部屋は広いキッチン、謎の畳の狭いせりあがりもありました。僕の住んだ洋室とせりあがりと繋がった姉の住んだ狭い部屋。そして、広い2部屋が繋がった和室と縁側もありました。結構良い家でした。和室は本当に素晴しく美しい場所でした。なぜかペンションではみかけなかった雛人形が常に置かれていて、オルゴールが突然鳴り出して「すわ恐怖体験」と思ったり、懐かしいです。ここには後に妹が住みました。

 

そして、ペンションに置きっぱだったピアノも、ここに運ばれました。しかしアパートにはヤマハの「クラビノーバ」もあったのです。ピアノが2台!でも、大丈夫でした。ペンションの子供部屋にあった2段ベッドを解体した一人用ベッド><と、こたつも置けました。あと箪笥も。

当然、「いつ何やっても自由」でした。ピアノなんかもう夜中でもバンバンバンバン。夏は蛙らの声の方がうるさいのです。まわりは田んぼばっかり!音楽もラジカセ><でバンバンバンバン!良い環境でしたね。音楽をやるには。。

でも、僕はその当時吹奏楽部で学生指揮者を3年弱一人でやるなど、そこまでの人生史上未曾有の大活躍中でした。あまり家にはいられなかった。今ではほぼ無職のひきこもりですが><

 

そして、一度だけ、高校のクラスメイト、なんでか知らないけど最も苦手な分野、運動部の人たちが家に集まり、そして「勝ち組風女子」たちも集まり、みんなでワンやワンやの朝までいけない感じで盛り上がりました!こんな自由な環境は他にない!とみんな喜んでいました。その日は姉妹も登場して「おめーのねーちゃん美人だな」なんて言われました!!更に「いもうともかわいいな」なんて…。「僕の方が可愛いのに」とも思いました><

 

高校卒業に、この家には姉とその後結婚をした人と妹がしばらく暮らしていました。姉は前述のようにスノーボーダー、そしてプロのスノーボーダーでした。旦那さんもスノーボーダーです。長野県上田市にはペンションのあった「エコーバレースキー場」と反対側にあるスキー場のある「菅平」にも近いところ。なので、スノーボード仲間がそこの家に集まっていたようでした。

 

ある朝、姉がピンポーンの音に反応し、玄関のドアを開けたところ、そこには…沢山の警察官!パトカー!そして「刑事ドラマでよく見るような人たち」多数が立っていたのです!

「あなた達は…何者ですか?」みたいなコトをいきなり聞かれたようです。「はあ?」

どうやら、警察にここは「オウム真理教のアジト」だと思われていたようです!!

オウム真理教による事件は、僕がここを出た後に起こったことです。「前は男の子が出入りしていたよね?」とか警察に言われたようです。その後姉とその仲間たち、ナンバープレートが他県のものばかりものが、沢山止まっていた。「あそこは怪しい」と近所の人が通報したのです!!!

しかし、姉達はスノーボーダーなのですから、オシャレです><オウム真理教とは程遠いみなり。すぐに誤解は溶けたようです。

 

その家は、その後売りにだされました。もう他の人が住んでいました。そして家の前に新しい家もできていました。

 

そしてそして、この後、僕は東京埼玉にて一人暮らし、ずっと一人暮らしです。

正直、僕はもう一人暮らしに飽きてしまいました。人より3年だけ長いのかもしれない。でもこの先もずっと一人暮らしになりそうです。

そして一人暮らしをするところも、転々とし、職も転々としてしまいました。

一人暮らしは仕方ない、そういうものだと思います。人によっては一時期のものかもしれない。でも一時的なものだったら、すごくたのしいです。終わりがあるものだとしたら。終わりがない一人暮らしとは、辛いものです。

一人暮らしは本来、練習のようなものであるべきだと、僕は思います。本来は誰かと暮らすことが人生のはず。練習にはもってこい。もし一人暮らしをはじめる人がいたら、練習だよ、練習にしておくように、頑張りましょう!と言います。練習がずっと続くと辛いですよ…とも!!