僕が中学生の終わり頃にリリースされた森高千里のアルバム「ROCK ALIVE」の6曲目に「叔母さん」という曲があります。このアルバムの1曲前は「私がオバさんになっても」です。
同じ言葉でも、意味が変わってきます。「叔母さん」は姪から母の妹の叔母さん、を歌った曲です。淡々と「叔母さん」がどういう人なのかを説明します。名前は「政子」だということ、独身だということ。お母さんとは全く異なる社会人として人生を楽しんでいる、ブティックやレストランをよく知ってる。本物のキャリアウーマン。「遊ばないと老けるよ」とお母さんに言い、タバコを吸いながらビールを飲む。お母さんは「仕事ばかりしているチャンス逃しちゃうよそろそろ落ち着いて」と諭す。
そんな政子という人間の人生を説明するだけ、そして素直に「大好き」だという。
こんな歌詞の曲は日本のどの人にもないと思います。愛情に満ち溢れ、家族、親戚という人間たちの温かい繋がりを伝えてくれる。そこには、ありきたりな自身の恋愛に結びつけたり、ひたすらに励ましたりするような幼稚な描写はありません。そんなことは、他の曲で森高千里も散々やっているけれども、このシンプルな曲に、特に感情をこめていないように思えるようなボーカル・スタイルで、説得力を増幅させていると、僕は感じました。
そして、僕はこの曲を聴く度に、すごくせつなくなります。
僕は「叔父さん」です。
僕には姪と甥がいます。みんなもう大きくなってしまっています。何人もいます。
でも、もう会えないのです。
あまり、会ったことはなかったけれども、彼らと遊んだ時、とても楽しかった。僕は「叔父さん」になったんだ、なれたんだと思いました。たまに会うと嬉しくて。
僕も子供みたいなものだからかな?なんて思ったりしました。
お年玉も挙げました。その時は余裕があったからいくらでもあげることができました。
でも、もうあげられない。
お金がない。お金がないから。そうではないのです。
彼らと遊んだ時の写真は、まだ残っています。ほんの一瞬だったけれども、見る度に僕は哀しくなってしまいます。
叔母さんは音楽好きで、古いレコードを沢山もっている、青春時代の思い出を大切にしている。
「叔母さん」にはこんな歌詞もあります。もしかしたら、彼らも僕のことをこのように思ってくれたんじゃないかな?なんて。
彼らの「叔父さん」は僕だけなのかは、わかりません。そういうことすらも、知らなかった。そして今どうしているのかも、わかりません。
だから、もういいのです。もう僕は実家にも帰らない。そもそも実家であったところはもうないのです。だからいいのです。さようなら。「叔父さん」がいなくなって、申し訳なかった。でも僕はまだ生きています。そうなのです。そして彼らも。
この曲はつらいけど、彼らのことを思い出せるから、好きです。