ほんとうに大したことはないのです。ほんとうに。でも「ばったり会った」ということがありました。ほんとうに久しぶりの人に「ばったり」会ったのです。
僕は「久しぶりの人にばったり会う」ということをのぞんでいました。昨年、ばったりではないのですが、久しぶりの人たちと会うことはありましたが、それは約束がありました。
約束がなく「ばったり会う」ということは、ほんとうに久しぶりでした。
ほんとうは、この前まで住んでいた、高校3年間だけ住んでいたところで、それ「ばったり会う」ということを待望んでいました。「高木せんぱいですかお久しぶりです」「そうだよ久しぶり変わってないね相変わらず、おうくしいですね」「わあ、かわってないなあ、今、何をやっているんですか」「まあ、イまはねたいしたことはしてないなんだよ、LINEやってる?」「いきなりなんですか」「いや、ぼくね」
なんてことを、したかったのかもしれません。いや、そんなことはしたくはないのです。ほんとうにただ「ばったり会う」ということをしたかったそれだけなのです。
ほんとうは、そのようなゲス極まりない自分がいるということにも、気づいていたのです。
しかし「ばったり会った」人は、新しい会社のあるビルの1階みたいなところで会った人です。その会社は偶然にも、僕の前の前の会社の人です。その会社はあたらしい会社の隣の隣のビルにあります。だから確率てきには「ばったり会う」こともあったのかもしれない。
その方のお名前すら、忘れていた。しかしお互い「あれ?」「あ、」みたいな感じで、「ばったり会った」のです。「待望んでいたばったり会う」があった、と感じたのは、その御方から、名刺を頂いて、別れた後です。
そのお方がどのような方か、ここで書くのはやめにします。
しかしその「前の前の」会社は、僕にとって、はじめてのHKN48勤務でありながら、今まで一番良いに違いない、社会的地位てき、ファシリティ的にみてもです。わたくめ、わたくしめ!としか言いようがない、低スキルのkそダメ人間には、到底似合わない会社でした。「もぐりこみに成功をした」とほくそ笑む毎日が祟って、1年ほどで終了となりました。
が、わたくしめわたくしめのおろかな自尊心は、十分にみたされたのです。
そのような会社のお方と「ばったり会った」ということ。その時の満たされた気持ちをみなさん、おわかりになりますでしょうか??
言い訳良いわけもさせてください。
わたくしは今、まいにち「知らない人たち」に囲まれているのです。自分をどう出してよいのかよくわからず、毎日ハラホロヒレハレハラホロヒレハレシャングリラな毎日なのですが、良いように笑われ続けています。ほんとうに恥ずかしくて。
そのお方とはそれほどふかい付き合いではありませんでした。が、きいてみたいのです。過去の自分がどんな人間のように見えたのか。ききたいのです。自分という人間がどのように思われていたのか。わからない。
ココ最近、自分にはいろんなことがありました。ほんとうに。いろんな自分がそこにはいました。
くらい自分、ひたすらチャットで怯えてひとりでキーボードをたたきつけて「氏ね氏ね」と叫ぶ在宅勤務の自分。ひたすら映画をみて、劇場支配人さんと交流をして「ほっ」とする自分。山奥の別荘でひたすら吠え続ける飼い犬の「あかりちゃん」に「こんにちわ」と言い続ける自分。大雪が降って、矢張り「氏ね」とばかりに雪かきをする自分。
東京に面接に行って、上野駅にあるドトールにわれ一目散に行ってアイスコーヒーとミラノサンドAを食べて至福の時を過ごす自分。面接のあと、近くの本郷3丁目にある高級ハンバーガー「ファイアーハウス」で「みんなとここにきたなあたのしかったなそれよりハンバーガーまじうまいなあ」と思う自分。
都会に引っ越してきて、ひたすら西新宿の景色に毎日圧倒されている自分。西新宿の形式を見て、長野の映画館でみた「君の名は。」に自分自身を見出していた自分、を思い出している自分。
阿佐ヶ谷のライブハウスでグランドピアノで「死ぬんだパリで」と歌う自分。
いつの自分が、ほんとうの自分なんだろう。
結局のところ、自分のこころの中には、もう誰もいないんだ、と気づきました。
そしてこれからももう誰もいない。そうなのだろう。
おろかしいナルシズムはもうとまらないのです。もう自分にようしかないのです。さいわいなぜかあたらしい会社でわたくしめわたくしめは「そうさま」と呼ばれているのです!!大丈夫なのですきっと。すべてはお見通しなのです。
つかれましたほんとうに。
おわり