ぼくのりりっくぼうよみが、活動を停止し、引退をするというのを、テレビで見ました。彼はインタビューで明るく笑顔で、別の道へ行くと話しをして、若干の恐怖もあるけれども、それも前向きに受け止めているという話をしていました。明るく終わるんだな。20歳の彼らしいな。まだ、希望に満ちあふれているのかな
なんて、思っていました。
しかし、AppleMusicにてぼくのりりっくぼうよみの新しい曲が配信されていました。それが「僕はもういない」です。
タイトルだけで、もう、これがどのような曲か、僕はわかってしまいました。そしてそのとおりでした。非常に冷静に冷徹に、今の彼の気持ちをそのままに、曲にしています。そして、歌いだしが
盗まれてしまったアイデンティティ
焦げる千日 価値も何もない
千日というのは、メジャーデビューの頃だと思います。
千日がたち、そうなってしまった。価値も何もなかった。彼が嘘をついていたのかは、わかりません。どこかで歯車が壊れてしまって、自分の知らないところで、それがぐるぐるまわされているかのような所にいた、そのようなことが言いたいのかな、と思いました。
しかし、あまりにも正直すぎます。
彼はまだ若い、ということもあるかもしれませんが、だからこそ、これが正直な人間の姿なのかもしれない。
だから「僕はもういない」と諭すために、この曲を作ったのかな、と考えました。
そして、自己弁護もなく、ただただ自分をさらけ出しています。最後だから、できたのでしょう。もう後先を考えなくてもよくなった。絶筆になることを覚悟していたんだと思います。
音楽とはそもそも、このような、個人的なものであるもの、と僕は考えています。個人的な気持ちを音楽に反映させるもの。しかし、いつの間にか音楽が「他人の接点を探るためのもの」になっているような気がします。だけど、最後に彼は「ありがとう」「また会う日まで」なんて事は言わずに、「僕はもういない」とともに、自分の本心を打ち付けた。
そして、最後のオリジナルアルバム「没落」がリリースされる。
彼の曲に「Be Noble」という曲がありました。
Be Noble
高潔であれ。気高くあれ。この精神には共感できます。気高くありたい、自分らしくありたいからこそ、正直な気持ちを曲にぶつけた。それは「ぼうよみ」ではすまされるものではない。そもそも彼はもう「棒読み」ではなくなっていたということもあります。
甘ったるい共同幻想を残さず、すべてを終わりにする。僕はもういない。
これは、死を決意した「ぼくのりりっくぼうよみ」の遺書であり、全てに対しての、絶縁状であると感じました。そのような生々しい生き様をそのままに音楽に反映できる人、僕よりも半分しか生きていない若い人が、音楽シーンからいなくなるのは、さみしいけれども、それも仕方がない。
おじさんも高潔でありたいと、感じています。