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町田樹 2018/10/06 「そこに音楽がある限り」に寄せて

今日、開催されたジャパン・オープンにて町田樹が出演し、演技を披露しました。選手としての引退を経て、ショーへの出演などを経て、きょうが最後の活動、スケーターとして完全な引退をする、ということです。自分はテレビにて鑑賞をしました。

 

「DOUBLE BILL そこに音楽がある限り」と題し、2曲の演技が披露され、シューベルトの「楽興の時 D780 No.3 ヘ短調」とエルガーの「愛の挨拶」が選ばれていました。

 

「そこに音楽がある限り」と題した理由は、彼が音楽に関して、基礎的な知識を保有しているのでは、と感じさせてくれた事が過去にあり、記事にしました。

maemuki.hatenablog.com

 このタイミングで「音楽」を強調してくる意味は、何なのだろう。フィギュアスケートは、基本的にスポーツである、ということ。なのに。あえてここで「そこに音楽がある限り」という意味は何なのだろうな、考えて演技を見ました。

シューベルト作曲、前述の記事の「継ぐ者」は同じシューベルトの「4つの即興曲」の第3曲でした。「継ぐ者」は原曲のタイトルなどではなく、町田樹みずからが付けたものです。そこには彼の音楽そして、フィギュアスケートに関して、そして彼自身の哲学が込められていたものだと感じました。

 

この曲は、自分も昔、ピアノで弾いたことがある曲です。

音楽的に、「楽興の時 第3番」は、短いながら展開のある曲です。3部構成で短調の部分と平行調である長調に調を変える、わかりやすくいうと、メジャーコードからマイナー・コードに変調し、またメジャーに戻る、という音楽的な物語がある曲です。

それをうまく演じきれていたのか、正直、何度もみないとわからないと感じました。しかし、この曲の一番大事なところ、曲の終わりに向かって、同じフレーズが3回繰り返されるところにて、彼は3回同じ動作をして、そして、見事なトリプルジャンプを飛んだ、それは、この曲において、たったの1回のジャンプのための動作でした。そしてラストは優雅だけれども力強いポーズにて、終止をしました。そこが非常に音楽的だな、と感じました。

続くエルガー作曲「愛の挨拶」は誰でも知っている曲だと思います。ヴァイオリンの優しいメロディが流れる、そこがいちばん印象的な曲です。この曲の手の動きが、まるでヴァイオリンのよう、というのはあまりにも浅はかな表現なのかもしれないけれども、手の動きではなく、足の動き、滑りもヴァイオリンのようであったと感じました。

そして、流れていた、音楽も動きも、振り付けも。

最後に、彼の表情が明るく、笑みを浮かべていたのが、印象的です。演技中に「顔」の演技をすることは、あまりなかったと思います。いつも思いつめていたような、それこそ「学者」のような、表情だったような気がします。だから、これは演技の表情ではなく、心からの笑顔なのかな、と感じ、それが嬉しく思いました。

 

そして、穏やかな曲の流れと共に、終わりました。最後、ピンスポットの照明から、フェードアウトをしてそこから去っていったのは、偶然だったのかもしれません。が、そこが印象的でした。

 

付け加えて、彼が、このままフィギュアスケート界の表から去ってしまうことで、非常に惜しいと感じることがありました。この間の平昌冬季五輪の時のことです。

この日に出演をしていたネイサン・チェンのフリープログラムに対して、彼はテレビ東京の番組の解説で、このような事を言っていました。

「平昌五輪のフィギュアスケートの大きなトピックが2つあり、それは、日本人選手が金銀独占をしたこと、もう一つは、ネイサン・チェンがフリープログラムで史上初めて6本の4回転ジャンプを成功させたことです」と言っていたことです。ネイサン・チェンの偉業に関しては、大事な事に違いありませんが、あまりマスコミ上での言及がされることはなかったこと感じました。

そして、ネイサン・チェンに関して、もう一つ、大事なことを言っていました。「平昌五輪の印象的な演技」として、やはりネイサン・チェンのフリープログラムをあげ、

「この演技の中間部分で使われているストラヴィンスキーの『春の祭典』はモダン・ダンスコンテンポラリーダンスを理解した上で、表現をしようとしているのではないか、、彼は今後、技術面と表現面でも評価されるのではないか」と言及していたことです。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、現代音楽、のみならず音楽学会そして、舞踊においても、重要なものの一つです。僕もネイサン・チェンの演技をみて「あっ」と感じました。しかし、僕が感じたのは音楽だけ、舞踊などの観点で見ることはなかったので、さすがだなあ、と感じました。そしてネイサン・チェンが、ジャンプだけではない、ということを、柔らかに指摘をしてくれたこともです。

 

バレエ「春の祭典」初演の振り付けは、ニジンスキーです。ニジンスキー

羽生くん、エフゲニー・プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」も彼に解説をしてほしかった、なんて。

 

こんな視点を持つ人が、フィギュアスケートの表からいなくなってしまう。非常なる損失では、ありますが、彼の学びを通して、いつかまた貢献してくれる、つもりなのではと期待をしています。

 

フィギュアスケートと音楽は、寄り添うものです。きょうの彼のスケートは、ひたすら流れていたように感じました。基本的にフィギュアスケートは最初から最初まで滑り続ける、流れるもの。しかし、音楽もフィギュアスケートもいつかは終わってしまうものです。そこに音楽がある限り、継ぐ者も、途切れない。そんなメッセージを、僕は感じました。

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