さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



【ライブレポート】夏木マリ “MARI de MODE 3” at BLUE NOTE TOKYO 2019/01/27 最高の”俳優”の歌でした!

先週の日曜日に、夏木マリのライブ、BLUE NOTE TOKYOでのライブに行きました!

これはちょっとしたきっかけがあって、金曜日にチケットを取っていきました。

ちょっとしたきっかけとは、新宿にラーメンどうとんぼり神座を食べに行った帰りでした。相変わらずの歌舞伎町のけがれた、けがれきった、でもちょっと浄化されてしまった景色を楽しみながら、懐かしいな、なんて思いながら歩いていました。ここの近くに住んでいた、住めていたなんて、信じられないです。そんなに昔のことにいつの間にかなってしまった。そんなことを考えていました。

 

その時、交差点のLabiの巨大モニターでこの動画が流れていたのを観たのです。

www.youtube.com

俺は見失ったのか 汚れた街で 愛も夢も今は空しく

ローマは遥か遠く

 

わずかの金貨で 得たものは孤独

これは夏木マリのライブの宣伝の動画でした。ここでかかっていた曲は「ローマを見てから、死ね」という曲です。

ちょうど、僕は6年前のお正月に、ローマに行きました。そのことを思い出して、この曲を聴いたりしていたのです。この曲の歌詞は僕のそのものだなといつも思っていました。

もう6年も前になってしまった。ああ。また画面をひたすら見つめました。一瞬だったけど、長い時間に感じた。

・・・ブルーノート東京でライブがあるんだ。行きたいなと思いましたが、まだチケットがあるのかないのか。とりあえず、ローマのことはもう思い出さないように、しかし「僕はまたいつか、ローマに行けるのだろうか」と考えながら、家路に付きました。

 

そんなこんなで、金曜日になり、今週末に夏木マリのライブがあるということを思い出し、チケットはもう売っていないかな?とBLUE NOTEのホームページを見てみました。そうすると、まだ入手可能だったので、すぐに終業前にスマートフォンで購入しました。開園日前に手に入ったのは、チケットの引換などはないのは、当日2桁の番号を伝えるというシステムだからでしょう。いいと思います。煩わしくない。他もなんでこのシステムではダメなのかな?と思いました。

 

BLUE NOTE TOKYOは南青山にあります。そこでの景色は、まさにまさにな感じでございました。全てが自分とはかけ離れた世界でした。きらびやかな、虚飾とも感じてしまうような、ふぁっしょなぶるな世界でした。

「南青山、いい響きの地名、僕はここには何も求めていない」

稲垣吾郎が著書「馬耳東風」でこんな事を書いていたのを思い出したりしました。なんてクサい男なんだろうと思っていたけど、わかる気がします。さすがダンディズム吾郎。

f:id:maemuki:20190127173943j:plain

 

ブルーノートは初めて来るところだった。思っていたより、洗練されたデザインが施されていて、敷居が高く感じてしまった。チケット代がそれを表しているのかもしれない。しかしここはJAZZを聴く場所、JAZZはClassicとは違って、高級なイメージはないはず。この美しさを楽しめばいいんだ、と自分言い聞かせた。自分はClassicを愛していて、その本質は高級云々ではないということも理解しているつもりである所存です。

ビビっていたのが写真に現れてしまって申し訳ない。この写真では伝わらない、開放感をとても感じた。人々が高らか、しかしどこか上品に談笑をしていた。嬌声もなかったような気がする。ここは椅子に座って、開演までの1時間半をそれぞれ酒を飲んだり、食事を頼んだりして過ごす。なので、殆どが2名以上での来場だったと思う。人と来たらもっと楽しいのかもしれない。しかし、僕は上機嫌でずっとニコニコしていた。退屈しなかった。ここにいることが楽しいと思えていた。それは事実。

HAYASHIというハヤシライス。ハヤシのソースはクリーミーでマッシュルームとやわらかい少しだけ溶けたビーフが入っている。少しぬるかったけど、それなりの味わいがした。コクがあり、バターがよく効いていた。まあそれなり。高かったから、厳しくなってしまう。

カクテルは、夏木マリが考案したベリー系の甘いもの、ではなくて、適当に頼んだもの。いわゆる、居酒屋のサワーとは異なる酔いを感じてしまったのは、プラシーボ効果なのかもしれない。色の美しさのシルエットによるプラシーボ。自分は基本的に下戸なので、これですぐ気持ちよくなってしまった。付属していたシナモン・スティックをこれでもかと混ぜる自分を少し恥じながら、ゆっくりゆっくり、甘酸っぱさとリキュールのもつ味わいを楽しんだ。

 

さて、やっと本題であるライブレポートに入ります。まずが楽器隊が入場し、ジャズセッションを行った後に、夏木マリが客席を経て登場をした。トサカのような髪色は、トサカの部分だけ金髪になっていて、逆だっていた。背中が大きく開いた暗い色、黒かった思ったけど、よく見ると紫の施しがされていた。そして両腕に黒いファーのようなものが付けられていた。腕の動きがよく見えた。セクシーというより、美の主張が感じられる生き物ということを感じた。

 

それは歌にも表れていた。一曲目は「港のマリー」小西康陽がプロデュースをした「9月のマリー」というミニアルバムからの曲。誰もが、港町のカフェでお酒ばかり飲んでいるマリーに恋をするけど、マリーは誰も愛せない。という内容の曲。明るいけど、哀しい曲。小西康陽にはよくあるもの。

この曲はどう聴いても、譜割りが難しく、歌詞をたどるだけでも大変だと思う。しかし夏木マリは、これを飄々と歌い上げていた、なんてことは誰でも想像できるだろう。

この日は90年代にリリースしたものと、新しい曲も演奏するということが伝えられた。MCでは「この日のメンツはとてもラグジュアリー!」と喜んでいる様子だった。美しい着物で御めかしをしている御婦人らもみかけたし、いわゆる白色系の外国人もたくさんいた。確かにラグジュアリーだ。でも、私が一番、みたいな事を言っていたと思う。会場からは拍手と笑いも起こった。

僕が聞きたかった曲も聞けた。「嘆き」が、天野清継のギターだけで、生で聞くことができてよかった。この曲はギターと夏木マリの歌だけで構成されている短い曲。「神様が本当にいるのならすぐに 憂鬱な私の機嫌をとってよ」という、けだるさが魅力の曲。こんな曲を歌いこなせる日本人、いや人間は他にいるのかな、なんていつも思ってしまう。

「ミュージシャン」は、バンドメンバーの紹介も兼ねていた。ピアノ、ギター、サックス、ドラム、ベース、そしてパーカッション、パーカッションは夏木マリの旦那さま。「フランス婚」として籍を入れずに結婚をしたけど、その後は入籍をしたらしい。よくわからないけど、素敵だと思う。「よくある話ね 退屈な話」が何度も繰り返さえる。そのうちに退屈な話ではなくなる、ような演技も見せてくれた。

 

他に、これも大好きな曲、「私のすべて」元はピチカート・ファイヴの曲だったと記憶をしている。CDよりもテンポが速かったような気がする。唯でさえの高速なJAZZな曲なのにエキサイティング!という言葉しか思いつかない。出鱈目で気まぐれ気取り屋でイジワルであやふやでいい加減/だけど私は許されるの、それは私がキレイだから」という、歌詞に最初は戸惑ったらしい。そして私には…と思ったらしいけど、今では大好きな曲。と言っていた。会場からは感性と拍手が送られた。許されたんだな。

この日の白眉、自分としての白眉はカバーソングの3曲の中の「Over The Rainbow」だった。スタンダードなこの曲を、まったく楽譜どおりではなく、しかしあくまでも体裁は守りつつ、魂を込めて、歌っているということが伝わった。これは教えられてできるものではない、そしてカラオケなどでは習得はできないもの。ただ感情にまかせて歌うだけではなく、起伏を持って、音楽を完結させていると僕は思った。凄いと思う。 こうく音楽はライブでしか聴けないもの、だと確信をした。来てよかった、と改めて思った。また、THE Doorsでよく知られる曲「アラバマ・ソング」も凄くよかった。地下を感じたから。

その他、大沢伸一提供の新曲も歌っていた「コロナ」という曲で「コンテンポラリーな曲です」と紹介されていた。これがかっこよかった。コンテンポラリーな曲かはどうかわからなかったけど、スパイシーなジャズナンバーに感じた。配信もされているということで聴いてみたけど、音源とは全く違う「コンテンポラリー」なものだった。僕はライブのバージョンの方が好きかな?大沢さんごめんなさい><

アンコールは衣装を変えて、ピンクの大きな羽のようなものを纏って登場してきた。近くの席にいた女性が「かわいい!」と言っているのが聴こえた。グッチのお気に入りらしい。GUCCIに着られていない、着ている女性だと思う。

 

夏木マリはこの日のMCで「女優」という言葉を忌み嫌っているという事を知った。自身が声の演技を努めた作品が、アカデミー賞に2つのノミネートされたという話の中に、どうしても「女優」という言葉を使わなくていけなかった場面でも「女優、あ、女優じゃなかった。私を女優とは呼ばない」と言っていた。なんでだろうと思っていたけど、この記事を読んでわかった。

www.excite.co.jp

その人の生きる時間を演じたいなと思ったんです。その時間に、男だから、女だからということは、あまり関係ないと思えます。それで、俳優と名乗りたいなと思うようになりました」

 「(将来は)女優さんになりたい」という若い女性は、見習うべき考えだと思う。俳優を目指せと僕は言いたい。でもわからないと思う。彼女らが、女性というもの、人間というものは何かということを、考えるのを始めない限り。

いや、そんな小難しいことはどうでもいいんだ、とにかく僕は今日はとても楽しかった。それに尽きる。ブルーノート・トウキョウはなかなか行けそうにはないけど、良い場所を見つけられた、それはよかった。もっと気軽にこれるような、生活にしていきたいな、と考えました。終わり。