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【レビュー】Plastic Tree 初期から「Puppet Show」(1998) まで

 

Puppet Show

Puppet Show

 

 

Plastic Treeを知ったのは、いつだっただろうか。もうかなり前の事になる。Plastic Treeはこの間、メジャーデビューから20周年だったから、もう20年以上前のことになる。

 

初めて存在を知ったのは、番組名はもう忘れたけど、テレビ埼玉で、ライブの映像が流れていた時。その時に演奏されていたライブでの曲目は、後に聞いた「PSYCHO GARDEN」だった。ファーストミニアルバム「Strange Fruits〜奇妙な果実」に収録しているのを聞いて、あの時の曲か、と思ったのを覚えている。後に「サイコガーデン」としてリメイクされていた。その映像と音源の印象とは変わらなかった気がする。映像では、ちょっと「おかしい」ところがあるな、と思ったくらいだった。

その次に確認をしたのは、確かミニアルバムの発売を前後にして行われた、目黒鹿鳴館でのワンマンライブのレポートを、確かフールズメイトかSHOXXだったかで、見たこと。そこにはこのような記述があった。 

元Zi=KillのEBYがボーカリストを指差しをして「あれ、TUSK?ソックリ!」だと言っていたという記述を読んだことだった。TUSKとはもちろん、Zi=Killのボーカルの事。そして、EBYはしばらくPlastic Treeの音源のプロデューサーとなった。そういう流れがあったんだ、と後に気づいた。 

更にその前後かは忘れたけど、その「ニセTUSK」振りを音源でも確認することができた。それは「漆黒のシンフォニーⅡ」という浦和ナルシスがリリースをしていた、オムニバス・アルバムに収録されていた「Rusty」を聞いたときだった。


このオムニバス・アルバムの第一弾には、あのPIERROTがキリトがギタリストだった頃に参加をしたことで有名になった。Plastic Treeはここに2曲参加している。当時のバンドマンには申し訳ないけど、大余所のバンドはちょっとクオリティが低くて、まるで聞けないようなものが多いバンドの中、Plastic Treeは、特に演奏が良いうまいというわけでもないけれども、明らかに放たれていた原石の輝きと、バンドにとって一番大事なもの「個性」がそこに見られた。ひたすらに、何かを提示しているけれども、でも聴く人に椅子はそこに用意はしない、そのようなロックの基本姿勢と美学が感じられた。

そして、ここでのニセTUSKっぷりは見事なものだと思う。彼のことをコピーしようとした人はあまりいなかったと思う。それがわかったということ、それもその時はそれも十分な個性だったと、自分は感じた。この曲は後に前述のインディーズのミニアルバムとメジャーでもセルフカバーされたけど、僕はこのバージョンが一番好きだ。他にはない、ほんとうの地下の輝きがあると思うから。見えない光、密かな光、圧倒的な闇が密やかに表現されていると思うから。

奇妙な果実

奇妙な果実

 

 「奇妙な果実」がリリースされた時には、各誌にインタビューが掲載されていて、そこで彼らのルーツが、UKにあるということがわかった。そして音源にもそれはとても感じられた。中でも「Twice」は彼らしい、湿り気のある、冷たい歌詞と冷めたギターサウンドが印象的なとても好きな曲。

夜が染み渡りまたじわりと 置き去りの僕  泣き出しそう

 ここなんて、それこそ雨の日に口ずさんでしまいたくなる、いや口ずさんでしまう、あくまで、心の中で。頭の中に棲み着いてた虫たちが騒いでいるような気がするから。この歌詞に代表されるように、ひたすらに内省的な歌詞、なのかもしれない。僕には当然のことのように感じてしまう。心の中を素直に表現している、歌詞にしている、それを内省的と評してしまうのは、やはり寂しいと思ってしまう。他、「クリーム」はUKのブリットポップ、当時流行していたものを彷彿させたものと感じた。それはこの界隈にとっては斬新なものだった。それは今でもそうかもしれないけど。

 

その後のシングル「リラの樹」にはいろいろあった。剽窃があった、まあパクリがあったということ。僕はあまりそういうものは気にしないので、それはいいとして、「リラの樹」が封印されてしまったことは、とても悲しい。「リラの樹」の歌詞のように。そして、カップリングの「エンジェルダスト」のように。

光の粒で 無邪気になる 子供達が僕を笑う

消毒された醜い僕を 地下室まで連れていくよ 音もなく 音もなく

 公園での出来事であったような情景に、この描写、具体的な場面が浮かんでくるけど、悲しくて想像したくないけど、想像をする前にも浮かんでしまう。しかしこの曲の題名は「エンジェルダスト」天使達のうみだした粒。タイトルを歌詞にはしないことで、美しい弁明がされていると思う。そして「消毒された醜い僕」を表してしまっている、とも感じた。

 

その後に、Plastic Treeはメジャーデビューをした。正直に言うと意外だった。まだインディーズとしてアルバムは出していない、当時それは珍しい事でもなかったけど、それでも、彼らにはまだ早いのかなと思ってしまった。デビューシングル「割れた窓」を聞いた時は、それほどクオリティの低さは感じなかったけど、デビュー・アルバム「hide and seek」を聞いた時は、正直戸惑ってしまった。 

プロデューサーはインディーズの時と引き続き、EBYが担当したのに、音のバランスが少し悪いような気がしていた。インディーズの時にはなかった、エクストリームな音像に居心地の悪さを感じてしまった。もちろん曲は悪くない、だから後にリメイクされたこのアルバムの収録曲はどれもそれまでよりも良く聞こえた。「Cut」に収録された、「痛い青」「エーテルノート」どれも素晴らしい。この前の「エンジェルダスト」の再録も良かった。彼らの曲はいつでも悪くないと思う。

 

しかし、そんな鬱憤を晴らしてくれたのが、セカンド・アルバム「Puppet Show」だった。

 

僕は過去の記事、D≒SIRE「終末の情景」の記事にて、こんなことを書いてしまった。

ヴィジュアル系って「良い曲」とかあるんだけど、燦然たる「名盤」ってあまり無いような気がする。結局ベストアルバム一番良かったり。

この発言に矛盾してしまうけれども、Plastic Treeの「Puppet Show」は名盤ということを言いたい。それは各方面でも同じ認識だと思う。

 

Plastic Treeがシーンに新たに持ち込んだ世界観のひとつとして、個人的に思うもの、それは「幼児性」だと感じる。それはintroを挟んだ1曲め「May Day」でもよく表れている。7歳の午後、ブランコの僕、がだんだんおかしくなっていく、5月の緑で。それを竜太郎の声質の所為もあるのだろう。現実と非現実と現在と過去が入り乱れるような、居心地の悪さ、独特の悪さが感じられる。

他のバンドではできないような、説得力のある世界を作り上げる事が出来た、と感じたのも、このアルバムだとも感じた。

「リセット」は、どこか微笑を携えているのに、心の中のナイフで何かを切り刻んでいるような、切迫感のある曲だと感じた。バイバイ、バイバイ、全部リセット。バイバイバイバイ、繰り返されるフレーズに、優しい狂気、そして救いの無い絶望も感じてしまう。けれども、後味は悪くない。

「絶望の丘」これほどまでに美しい曲は、これでもPlastic Treeにはなかったと感じた。メジャーならではの丁寧なサウンドプロダクションが効いている証拠だといえるのかもしれない。

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竜太郎のボーカルの魅力は、力が抜けているけれども、気は抜けていないということだと思う。幼児性を高く感じられるけど、決して、幼稚ではない。子供というものは、大人が忘れているものを、ずっと持ち続けているのかな、といつも感じていることに近いと思う。しかし、ここで歌われている「絶望の丘」で立ち尽くす姿を、子供というものいは、見たくない。という矛盾もある。しかし人生とはそういうものなんだ、と大人はわかっている。そんな心象風景をこの曲には感じた。

「幻燈機械」はこの後のバンドの方向性に近い曲だと思う。より幻想的に、そして現実的に、サウンドを組み立てていると感じた。メジャー2作目にて、漸くの本領発揮ができたのかな、と感じる魅力的なプロダクションが光る。

「ぬけがら」は静と動。静と動というものが、わかりやすく表現されている。けど、それは表現方法というもので片付けられるものではない、かるいものとおもいものが表現されている。うまくいえないけれども、この曲はこのアルバムの特性を象徴する曲だと思う。自然の風景から、心象風景へとやがて映っていく。高い空はあんまり好きじゃない、蝉の悲鳴も自分も好きじゃない、ときて

ほんとうの きもちじゃないなら どんなことも もうしないでよ

このような、竜太郎の悲鳴に近い、メロディが歌われる場面。このフレーズも、近いところに迫りつつ、そのものには迫っていないところ、素晴らしいと思う。このような表現ができるかできないか、ということはとても大きい。でもわかりやすいとは思う。本当の気持ちじゃないなら、どんなことももう、しないでほしい。誰もがそう感じているのではないのだろうか。それは、自分に対しても。

「本当の嘘」は当時はあまり好きとは感じなかったけれど、今、聴いてみるとなぜか新鮮に感じてしまった。現在では、このようなサウンドや曲調のバンドがヴィジュアル系ではなく、いわゆるJ-ROCKには沢山いると感じたからもしれない。他ジャンルのリスナーとの協調性も、Plastic Treeにはあったと思う。あまりまだ知られてはいらないとは感じてしまうけど。

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このアルバムにはスタジオライブバージョンが収録されているけど、シングルバージョンより全然良いと思いました!やっぱりライブが良いですね。ライブ・バンドだし。

monophobia」タイトルはどんな意味なんだろうと長年疑問に思っていたけど、歌詞から伝わるものがあったから調べなかったけど、調べてみたけどそれは間違いではなかった。孤独恐怖症。日が差したら、僕の目が、僕の目が。「孤独恐怖症」そのままのように歌詞にはしなかった。それはプロとして当然だと思う。日が差したら潰れてしまう。そのような切迫感は、例え歌詞がなくても伝わってくるかもしれない。

「3月5日」なぜこの日付なんだろう。竜太郎の誕生日の前日だということはわかったけけれども、素直に検索をしたらこんな文章を見つけた。

plastic-tree-special.com

転載は禁止とのことなので、控えるけど、何となくわかるようなわからないような。少し、外向きになったということなのだろうか。しかしバンド・サウンドはヘヴィであり、内向きにも感じてしまう不思議さ魅力の曲だと思う。

「サーカス」まさにラスト、オーラスという死語があるけれども、それに相応しい曲。7分という彼らにしては珍しい大曲だ。

「寒くない冬になれば 僕の町にサーカスが来る」という歌詞に、心を打たれた。寒くない冬、北半球ではありえない寒くない冬にならないとサーカスは来ない、もう来ないのかもしれない。来てもサーカスに関しては、ひどい描写しかされていない。「君」は吊るされて落ちてしまう。来てほしくない、でも来てしまうのかな、なんて考えたりする。サーカスはやがてやってきてしまって、そこで繰り広げられてしまったのが、人形劇、パペット・ショウ「あやつり人形劇」なのではないか。実際のサーカスにあやつり人形劇があるのかどうかは知らないけど、作品の中の主人公は、もしかしたらその中の人形にされてしまった少年なのかもしれない。なんて、考えてみたりする。いずれにしても、美しさと激しさ、儚さと力強さ、相反するものが表現されている、ラストに相応しい曲だと感じた。

 

Plastic Treeこのアルバムが礎となって、次につながった、そしてそれは、いま現在2019年でもバンドが続いている事が、それを証明しているといえるだろう。

メジャーデビュー2作目だけど、フルアルバムとしても2作目だった。そこで礎を築き上げられたということには注目してほしい。環境にも恵まれたということもあったのだろうけど。

しかし、ここまで彼らが続けてこられたのは、他には無い個性と魅力と世界観があったから、それには違いないです。そしてそれはこの界隈、ヴィジュアル系では一番に重要な事だと思うのです。ああまた、おじさんくさくなりました。

 

僕が彼らを真剣に追いかけていたのは、正直に言うとここまで、です。ここからが彼らの真骨頂だということはよくわかっています。真剣においかけていない部分を知ったかのように書くということは、今でも真剣に追い続けているファンの人達に失礼だと感じたので、ここまでにしました。以上です!