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LUNA SEA「Déjàvu」1992年5月21日 15歳の時に初めて聴いた時から26年。この曲がやっと理解できました


LUNA SEA「Dejavu」

本当はLUNA SEAの「IMAGE」をレビューをしたかったけれども、今さらそのアルバムのレビューなんて、たくさんあるのだろうと感じたので、止めにしました。

 

しかし事実上の1曲めとなる「Déjàvu」この曲のプロモーションビデオをYoutubeで発見をして見直して、感じることがありました。

僕はこの曲の事を、よくわかっていなかった。何が言いたいのか、デジャブというものは、理解していはいたけれども、何がどうデジャブなのか、わからなかった。

わかるとかわからないとか、どうでもよかった。まだ僕は高校1年生だった。でも僕は何かをいつもわかりたい、わかりたいとずっと考えていた。

僕がLUNA SEAを好きになったのは、まだインディーズだった頃。Xが最盛期の時だった。クラスで人気で僕も好きだった。でも、それは自分にとって不満だったのかもしれない。雑誌の広告で見たLUNA SEAを見て「これは売れる」と思った。もうアルバムは出ていて、売れていたのだとは思うけれども、雑誌しか情報が無い、メディアでの露出が無い中で、そのような判断をして、エクスタシー・レコードに通販をして、わざわざ彼らのCDをなぜ買ったのか、僕はずっとわからなかった。

「dejavu」どこかで見たような風景が見えてしまうということ。

まだ、子供だったからその時は何も見ていないのだったのだと思う。その時はまだ何も知らない、純粋な子供だった。

だからわからなかったんだろう。

そう気づいた。

未来、過去、今、

人々のドラマ

シナリオはいつもdejavu

傷つく事も できない私が

繰り返す

 26年経って、この曲を聞いた時、あの時の自分の気持ちをこの曲に見ることができた。

未来、過去、そして今。僕はずっと自分を繰り返してきた。きてしまった。傷つくことはできたけれども、本当は傷なんてついていないかもしれない。

そうして、僕はまた繰り返していく。それは、自分だけではない。自分を取り巻く人々たちも、そうなのだろう。

僕は、確実に歳を重ねた。見えることは多くなった。そして見えないことも増えてしまったように感じる。それも、dejavu。また傷つくことも、繰り返してしまう。傷ついていないから。ほんとうは。

 

この曲は、ラブソングのように聞こえるかもしれないけれども、そうではないのだろう。

人間。

人間が人間としてただ生きる様を描いた、それだけ。何の主張も無い。

人間って何だろう。僕は最近、ずっとこんな事を考えてしまっています。

人間とは何か。それは人間にとっての命題であり、己を鑑みることができるというのは、人類の特権の一つであると思うのです。

そして、「人間とは」とは、芸術や、表現活動の根源たるものだと考えさせられます。

 

1992年5月21日。「IMAGE」の発売日、この日、当然だけど自分は生きていたんだ。発売日にCDを買うことってこういう特権もあるんだなあと実感しました。

あれからもう26年。

 

僕は高校1年生の頃から、内面は何も変わっていない、まだ子供なんだろう。聴くたびにそう思います。未来、過去、今、シナリオはいつもdejavu。

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