さわやかトラウマ日記

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【レビュー】deadman「SiteOFScafFold」(2001) V系に「オルタナティブロック」をスマートに取り込んだ名盤!

 

Site Of ScafFold

Site Of ScafFold

 

deadmanが復活をするにあたって、前に薄くレビューをしたdeadmanの2001年作「SiteOFScafFold」を再レビューします。

 

僕は下段の過去の記事の通り、彼らに出会ったのは「No Alternative」でした。この作品を聴いたのは、後追いでした。その前のシングル「subliminal effect」を当時聴いて感じた事、そしてその後のすべての作品を含めて、こ「SiteOFScafFold」は彼らの音源の中で、一番良いと感じています。

 

まず、全体的に音のバランスが非常に良いということ。他と比べて、音質も良く、ラウドすぎず、軽すぎもなく、耳馴染みのよい、といって聞きやすいとかポップスというわけではありません。居心地の良い異空間とでも言えばよいのでしょうか。そのような居心地の悪さと良さの共存している音世界のある「ヴィジュアル系」は日本ではあまり無いものだったのかもしれません。

この時期のdeadmanの評価を、当時はたくさんあったレビューサイトなどで確認し、勉強をしたのですが、概して「洋楽みたい」という評があったような気がします。確かにそうです。先程の居心地の良さと悪さが同居をする、というのもはある種のスタンダードに基づくものであるから、と考えます。

Alternativeという言葉は「いままでに無かった、源流に添わないも」という意味になります。彼らの音楽は、この時点で今までにありそうでなかったものだと考えます。

 

そして、全8曲というミニアルバム的な存在でありながら、1曲1曲の意味が明確であり、通して聴くとあっという間にいろいろとりどりの世界を見せてくれます。

謎の赤ん坊の歌声インストを経て続く「Please God」は基本は8ビートに見せかけた16ビートを感じさせる事で、より滑らかにスピードのある狂気を感じさせます。そしてギタリストaieのギターがこのあとは、「基本的にギター1本」だったのが、オーバーダビングにて、収録されています。しかし、やはりライブを貴重しているのか、あまりダビングを感じさせない出来上がりでもあります。

Bメロにおける眞呼さまの、裏声における細かいボーカルのフレーズは彼の真骨頂ともいえるでしょう。カッコいい。バンドとの鬩ぎ合いは見事です。「乳飲み子は屍のボール」というフレーズで始まるフレーズは、メジャーコードに展開をしているような、していないような、怪しさがあり、そういう「感じ」が彼らの真骨頂なのかな、と。

溺れる魚ライブでの風景が蘇る曲です!やはりグルーヴ感のあるバンドなんだな、と音源を聴いても、ライブを思い出せてくれます。現在のヴィジュアル系では「同期」という他でのジャンルではあまり使われない言葉(と思う)のものが使われているおかげか、音色は沢山あるのですが、クリックを聴いて演奏がされているせいか、この曲におけるような絶妙な「間」というものが無いような気がするのです。

眞呼さまの、シアトリカルなボーカルもここでも冴え渡り、ラインを只只に辿るだけがボーカルではない、カラオケのようなものではない、ということも知らしめていただけます。「じっさーいそーうだろマーダー」と吐き捨てるところ、すごくかっこいです。小技を効かせるのがうまいですよね。眞呼さまあ!

「blood」はこれまた愛おしくなってしまった「重すぎないヘヴィ」という曲です。シャッフルリズムに乗り、aieのギターも自由奔放だけれども、何かを的確に描き出しています。それにしてもこれほどポップな曲は無いと自分は思います。そういうのも、Alternativeの精神なのかなとも思います。アンダーグラウンドとポップが共存している、それは今までになかったものだからです。吸血鬼ソングですが、いわゆる西洋ゴシックの吸血鬼ではなく、現代に生きる吸血鬼ソングだと感じました。つまり眞呼さまは吸血鬼であり、本当の意味での「ゴシック」なのだと思います。

「桜と雨」先程書いた「昔は沢山あったレビューサイトたち」において、このような発言がありました。「桜」とついた曲には駄曲は無し、ということです。この曲もその筆頭だと感じます。噂によると…結成時のベーシスト ゆきのが作ったとかいうのもありました。そんな噂はいいとして。

ミディアムテンポで、切々と歌われる悲しい別れの曲なのですが、この曲には他の「桜ソング」にあるものがありません。しかしそんなものがなくても、日本人なら誰でも感じる「桜」の風景がそこに見えてきます。そうです。桜ソングなのに、歌詞には一切「桜」が無いのです。さくらーさくらーSAKURAーと繰り返しに歌われる「桜ソング」は凡百ありますが、ここには無い。もちろん、ここにも想起をさせるものはありますが、直接的に言及はされていないのです。そしてそんな言葉がなくても、伝わってくるもの。悲しい冷たい涙のような雨に、落ちて散っていく美しい「桜」が、切ないメロディと、珍しいとてもめずらしいaieのギター・ソロに彩られる素晴らしい曲です。

いわゆる”暴れ曲”のような立ち位置の「Re:Make」ですが、これは彼らに運命づけられた「名古屋系」における「暴れ曲」とは全く性質が異なるものです。まあこういうものはわかりやすく黒夢「親愛なるDEATH MASK」Laputa「奈落の底」のような感じ、というのが定番ではありますが、この曲にはそのようなテンプレートに縛られない、もっと現実と交差をしたヤヴァイ世界観が繰り広げられています。テンポも無闇に早くない、ツタツタも無し。この感覚こそAlternative、源流に添わないもの、だと僕は思います。しかし歌詞は「I LOVE it's ヘロイン(LSD」などと「キマった感じ」であります。その後に続く「君が気掛かり 君が気掛かり」という節にそれが表れていると僕は感じました。そういう感じなんだと思います。僕はわからないですよ!でもきっとそうなのだと思います。誰かが気掛かりになってしまうのだと!きっとそうです。そして「神経はバター」と来ました。さすがです。

「色別の無い空虚」は後期deadmanにも引き継がれた「ドローン系」の曲です。こういう曲も彼らの真骨頂なのだと思います。ひたすらに、何も起きない、起きそうにもない、しかし心中は破裂寸前、全てが崩壊していくのをただ眺めているだけ。こういう深みのある曲ができるバンドが、また復活してくれて嬉しいなと思います。

 

deadmanのライブを初めて見た時、僕はヴィジュアル系のライブは久しぶりだったのですが、驚いたのは観客がとても静かだったことです。曲間の静けさでは、空調の音が聞こえるほどでした。もちろんずっと静かだったのではありません。しかしこの「色別の無い空虚」などでは、ほんとうに静まり返っていました。ただ圧倒されていたのかはわかりません。でも誰もが感じていたはずです。この時間は貴重だということ。こういう曲では、振りも無く、定番の振り付けもありません。ただ見ているだけ。でも、聴いているのです。その事に誰もが集中できていたのだと、僕は思いました。ライブは、みんなでワイワイ楽しむだけのものではないんだ、と改めて気づきました。聴くものでもあるのだと。

ラスト「 Site of Scaffold 」は1曲め「Dlof Facs」のリプライズかと思いきや、一時の狂気を見せてくれます。このフレーズには何かの意味があるのかな、なんて考えたりしている間に、曲は終わります。

 

このアルバムは、スマートにオルタナティブ・ロック、当時に流行をしていたものをヴィジュアル系に取り込んだものだったのだと思われます。あまりにもスマートすぎて、そのイメージが強くなってしまった、のかはわかりませんが、「オルタナ」のイメージが強くなったことで、次のアルバムが「no Alternative」になった、と当時aieがインタビューで答えたことを良く覚えています。その姿勢はとても良いと思います。それこそがオルタナティブの精神だと思うからです。新しいものを追求していく、それは時代に添わずに、己を貫くこと、それはロックの基本的精神、なんてオッサンくさい><ですが、許してください。が、そういうものだと、わ私は素直に思いました!

 

今後deadmanがパーマネントな活動を再開するのかはわかりませんが、ひとまず一時だとしても蘇生をしたということを祝いたいと思いました。終わり。

 

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