戦争が終わり時代が過ぎて、人々は豊かな生活を手に入れた。そして庶民達もそれまでに手に入れられなかったもの、科学の進化によって手に入れられるものも増えた。人間の欲求に則して、それまでには見られなかった、人類には見ることができなかったものを、見られるようになった。その風景を、感性の鋭い者達は、何かに残そうとした。または酩酊のままにそれらを描いた。数々の作品、文学、絵画、映像、そして音楽などにそれらの状態を残そうとした、または酩酊のままにそれらを描いた。
しかし、それは当然のように粛清をされ、後塵達は残されたそのものから、もう体験が出来ないものに対して疑似体験をしようとした。それが本当の風景なのかはわからない、またはわからない振りをしてるのかも、わからず、作品から理解をし想像をしようとし、そして創作をした。
そうした疑似のものは、時代を経て悲しい程に薄まっていく、そして消滅をしていく。忘れられてしまう。もう理解できないものになってしまう。
SPEED-iDの「Inner Dimension」自分はリリースされた当時に聴いたわけではありません。ヴィジュアル系の名門レーベルとなったフリーウィルからのリリースということもあり、当然にそのようなもの、まあ当時のフリーウィルのレーベルスタイルはその名の通り「フリーウィル」だったから、当然にそのようなものではないという期待もあった。
でも、僕はわからなかった。最初はわけがわからなかった。素直に「自分にはまだ早い」と感じたことは確かだった。
わかった、わからないなんて、どうでもいいことだ、と気づいたのはもう大人になったくらいだった。冒頭の文章のことは、要するに自分なりの「サイケデリック」の解釈です。
そして、もうひとつ大人になって気づいたことがあった。
このアルバムがリリースされるたった3年前に、ロック界を揺るがすようなアルバムがリリースされていたということ。それがMy Bloody Valentine「Loveless」だった。時代が過ぎて、散漫になっていたものを、彼らがとり纏めて、パッケージにしたものだった。その独自の音像と、耽美ともいえる世界観に触れた者は、見られなかった既視感を得ることができたのだと思う。
SPEED-iDの「Inner Dimension」はこの時期における、ロック・シーンのトレンドを取り込んだもの、もちろんそのままだけではなく、日本の他のバンドには無い、彼らのルーツも取り入れたものだった。
それは、The Doorsであり、Jim morrisonだった。1971年にヘロイン中毒で死んだ伝説のロックスター。生粋(という言い方は間違っているような気がするが)のジャンキーだった彼の音楽を聴いてみたのも、SPEED-iDを理解したかったからだと思う「Break on Through (To the Other Side)」という曲から、彼らの前進バンド「The Other Side」も来ているのだと勉強をした。素直に勉強をしてよかったと思う。このような70年代以前の音楽に触れる機会になったからだ。ドアーズはひたすらに僕にとっては聴きやすく、わかりやすい音楽のように聴こえてしまった。オルガンの音が新鮮に聴こえてしまった。ロックオルガンというものは、現代ではほとんど見なくなってしまったから。
しかし、SPEED-iDの音楽がドアーズのコピーかというと、そのようなことは全く無い。現にSPEED-iDは今現在ではゴシックを基調としているということもある。オルタナティブなバンドであったという証拠なのだと思う。
話を「Inner Dimension」に残すと、これは前述の通りフリーウィルからのリリースということもあり、もしかしたら元祖ヴィジュアル系のようなものかと、期待をする人たちもいるだろう。が、全くそのような物ではない。
ひたすらに夜、暗闇と地下室と毒に満ちて、聴くものを悪夢に連れ去ってくれる危険な音楽、というとやはりそのようなものだと勘違いをしてしまうかもしれない。
貴重なヴィデオがアップロードされていたので貼ってみます。「Inner Dimension」の1曲めを飾る「Moon Shine」に独自のintroが付随されたPV。かつて、ボーカルの優郎の声をAUTO-MODのジュネが「近所迷惑な低音」と評していたけれども、言い得て妙とはこの事だと思う。そしてこのアルバムのもうひとりの主役である、ギターのIPPEIの恐ろしいエフェクトと地底を這いずる蛇のようなフレーズは圧巻である。
2曲め「Mad House Freaks」も凄い。このアルバムで僕はこの曲が一番好き。日本のバンド的な構築性と、UKバンドのようなフリーダムとUSの狂気が結合をしていると感じた。この曲のIPPEIのギターも凄い。ひたすらにワウを歪ませた生物的なギターが幻覚的である。
また、3曲めのダンスサウンドを導入した「Drive With Speed Slave」のように、ロックだけに傾倒をしていないのも、当時としては斬新であったと思う。優郎は、昔の雑誌のインタビューにて、ロックシーンの限界、やがてクラブシーンに追い抜かれるのではないかと言及をしていた。それは20年以上前の発言だった。そして、その通りの未来になってしまった、のではないか。
代表曲ともいえる「薔薇と摩天楼」は、彼らなりの、歌モノの楽曲なのだろう。美しいコードワークと、16ビートが無限的な都会の風景を感じさせる。しかし、普通の「日本のロック」と大きく異なる部分がある。
「ボーカルはトランス状態なのか不安定」
かつて、雑誌「ロッキンf」の増刊のレビュー欄にてこのように書かれていた。確かに高音部分は不安定にも聞こえる。これは優郎氏も認めていた。
けれども、僕はこれでよかったと思う。もし、普通に歌えていたら、まるでカラオケのように歌っていたら、普通の人たち、本質を理解できない人たちに消費をされてしまうかもしれなかった。だからこのボーカルは踏み絵のようなものになった。聞きやすいボーカルだけが、ロックではない。ロックで大事なものは、それだけではないということ。僕はそう思う。
でも、消毒をされてしまった人たちには、わからないかもしれない。みんなで楽しく運動大会、合唱コーラス隊、エアロビクス大会、野外でタオル振り回し大会のようなものをロックに求める、消毒された人たちには。
しかし、このアルバムを再録音をする企画もあるかもしれないという。先日はこのアルバムの曲で構成されたライブも開催された。新しい「Inner Dimension」を是非聴きたいと思う。
SPEED-iD - Across the Twilight PV
優しい感情に満ちあふれているかのようなアルバムのラスト・ソング「Across The Twilight」に加えて、最後に、1994年の「SHOXX」優郎のインタビューから、一部の発言を引用します。
もう押し付けがましい感情が溢れてくるような”俺たちにどこまでもついてきて、一緒に成功していこう”みたいな。大きなお世話だっていうの(笑)。一般人にはくそったれミュージシャンの人生なんかとは比べ物にならないもっと大変な生活が実際にあるわけじゃない。女の金で遊んでいるような俺たちに”俺達について来い”なんて言われたくないじゃない
「共同幻想を叩き潰せ」がこの頃のテーマだったよう。このアルバムとインタビューから25年。すっかり消毒をされてしまった平和な世界に、彼らのような毒と、精神的な自立が必要ではないかと、自戒もこめてこのレビューを終わりにします。