さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
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どうなんだろう、こんな毎日

毎日があっという間に過ぎるようになってしまった。抗えない流れに乗せられているような気がしてしまう。別に悪いことが何もない、いろいろ問題はあるけど別にいいや、そうだ別になんでもいいんだ、という楽観に満ちすぎている自分を少し、恥じてしまっている。

恥じというか、迷いもあるのかもしれない。文章を綴るということをあまりしなくなったのは、迷いというものが無くなったからなのかもしれない。

 

最近の自分は、発見をするということが無くなってしまったように感じる。音楽もあまり聴かなくなってしまった。もう自分の好きなものというものが、わからなくなってしまった。恥の上塗りで正直に書けば「何が好き」というより「何が嫌いで許せないか」という事を考えてしまっていることを告白する。いったい何がそんなに嫌いなのか、わからないけど、そんな事ばかり考えているような気がする。気がするだけなのだろうけど、その感情を打ち消すことはできない。

それは、懐古趣味にも起因するのだと思う。そして他人のレビューブログが新譜に満ちているという常識に、ついていけない自分を、やはり恥じているということもある。しかし、しかしときてしまう。自分はあまり音楽を知らない。聴いていない音楽がこの世にたくさんあるというのに、なぜ、大したことのない新譜を我慢して聴かなくてはいけないのだろうか。フレデリック・ショパンも、全曲把握をしていない。バラード4曲、スケルツォ4曲は特別に把握したけれども。それは「弾くのに挑戦したけどだめだった」という経験に基づくものがあるから。まだまだ、まだまだたくさんある。

最近は、ジャズ喫茶に通っていて、よく通っている。ジャズを聴くのがただ楽しくて週3くらいは行っている。この前はそこの帰り際に「いつもありがとうございます。」なんて言われてしまったほどに通っている。。しかし、自分はジャズというものを全く知らない。「何か好きなものをかけますか」なんて言われても、答えられなかった。

しかし、それは恥ではないとも感じている。知らないことは恥ではない。全く恥ずかしくないし、だったら、だったら新譜に興味が無くても問題ないと、思いませんか?自分はそう思いました。

 

ここで持ち出したらいけないことかもしれないけど、最近はヴィジュアル系バンドというものを、よく考えるようになってしまった。言いたいことは自分はリスナーとして超絶ラッキーだったと主張をしたいということ。ほんとうにラッキーだった。自分の人生の中でラッキーだったことが「ヴィジュアル系がはじまるまえからそっち系のリスナーだった」なんて、バカらしいことになってしまったことがかなしい。と告白をしたことが、過去に炎上をしてしまったけど。今に思うと「僕が思った」と書いて、何が悪いのだろう??ほんとうに不思議だ。自分がそう思うことさえだめなのだろうか?おそろしいおそろしい。だからまた主張をします「僕はヴィジュアル系リスナーとして超絶ラッキーだったと思います」だから満たされた!もー満足!ヴィジュアル系最高!だった!それは絶対に確か!

 

確かな事といえば、ドラマーさんとのセッションがとても楽しいということ。かけがえのないもの。他の誰にもできないことを2人でやっているということ。そして、2度と同じ曲が演奏ができないという即興ロマンス。でもそこに甘えず、もっと向上していこう!という共有もありました。なんて素晴らしいのだろう。この情熱の常識力を仕事とかで活かせないものだろうか。・・まあ、もう会社はいいです。そっちは達成感に満ちてしまいました!ほんとうに。日々楽しかった会社での日々を思い返せる。それだけでもう十分なのです。楽しかった楽しかった。ほんとうに。今は、別の場所で何かが楽しいそれでいいんだ。

迷いはなくなりました。来週は、このタイミングで息抜きに行ってきます!楽しみ!

おわり