YouTubeに1年前にSCARE CROWの貴重なデモテープ「My Home and Mother」がアップロードされていました。これは1992年7月にリリースされたものです。
彼らの唯一の公式のアルバム「立春」は1994年11月にリリースされました。このデモテープがリリースされたのは、おおよそ二年前になりますね。SCARE CROWならびに「立春」については、下記の記事を参照ください。
デモテープなので、A面とB面に分かれていたようです。Scare Crowについて非常にお詳しいブログ「ロック名盤レビュー【音楽ぶらり旅】」さんに詳細が書かれていましたので、収録曲について引用いたします。
(side A)
He stood in a field where barley grows
蜃気楼 02:40〜
Race Dance 5:19〜(side B)
Concrete hole 12:05〜
鎖のついた銀のスプーン17:27〜
No imagination 19:47〜
次作である「立春」と構成はとてもよく似ていました。美しいピアノのフレーズが使われるなどのインストを挟み、それぞれに個性のある曲が並べられていました。
が、その世界は全く異なるものです。「立春」が光、自然、のようなイメージがありました。イメージビデオも山と森林、などが主なモティーフのものでした。
「My Home and Mother」は、意図をしたのかはわからないけど、全く逆の世界です。ひたすらに闇の中だけを突き進んで、頓挫をして、それでもまだ闇へと落ちていくかのような作品だと感じました。
そして「立春」と「My Home and Mother」に共通をして言えることは、一回だけ聴いただけではわからないのではないか、という感想を聴き終えた後に思えたことです。
実際に、曲は複雑で、「立春」にはある、少しばかりの聴きやすさや美しさは、ここにはありません。あるのかもしれないけれども、あそこにはあった迷宮感が、今度は洞窟のような闇の中のようになっています。
1曲目「He stood in a field where barley grows」はサイコスリラー映画のオープニングのOSTが、エンディングでも流されるような、存在感のあるインストゥルメンタルの曲。ピアノが淡々と冷たさを表現して、美しい曲
2曲目「蜃気楼」はタイトルがそのままのような、まさにという曲なのかもしれない。ジャズ風味のイントロに惑わされて、このデモテープでは常にカオティックで宗教的な声をあげるヴォーカルいずみの声がおそろしくも美しい。
3曲目「Race Dance」は6分近い大作。一応の展開はあるのだが、ひたすらに同じメロディとバックが繰り返されるやはり儀式的な曲のように思える。反復されて行く中でもちろん展開はある。リズムを変えて、ギターも変えて。手練のギターとベースとドラムが、何かをどこかに引っ張っていく。ブレイクを挟んで、破壊的な間奏の後に、テンポを速めて、やはり同じフレーズが繰り返される。これをポストロックと表現したら良いのかもしれないけれども、おそらく1992年の当時には無かったからその形容は相応しくないのかもしれない。
4曲目「Concrete hole」は基幹となる部分のコード進行がどこかおかしくて、何度も繰り返されるけれども、実体がつかめない印象が面白い曲。ここでも呪術的ないずみのボーカルが響き渡る。そしてギターのフレーズのバリエーションの豊かさがさらなる彩りを添えていって凄い。どこまでも続いていく暗闇、だけど広い空間を感じてしまう。
5曲目「錆のついた銀のスプーン」は公園の子どもたちが遊んでいるようなサウンドスケープをモチーフにした、インストゥルメンタル。まるで坂本龍一のような抑制されたピアノのフレーズも出てくる。次作「立春」と同じような流れになっている。
6曲目ラスト「No imagination」疾走感を持ち、ディレイのかかったギターが続いていくのは、次作のラスト「美娼」と同じかもしれないが、今作らしく闇の中で光輝くような個性がある曲だと思う。途中、4分の4だったのが、3連符を用いた拍子に変わったりするのが面白い。この曲だけではなく、彼らの曲は、1度聞いただけではわからないものが多いと思う。ブレイクを挟んで、シークレットトラックのようなものもある。ここではスクリームでプログレッシブ、コンテンポラリーの風味の混沌を思わせて、作品は終わる。
「立春」もそうだった。彼らの音楽は、何回聴いても、そこに新しい発見がある。入り組んでいる構成だからというわけではない。その音自体に、何らかの意味がそこに感じられるからだ。「立春」を聴いたのが、おおよそ20年以上前のことになるけれども、僕はSCARE CORWのような音楽が他に無いのだろうかとずっと探して続けていた。
それは見つからなかった。彼らが日本のバンドだということもあるのだろう。日本のバンドは総じてカッチリキッチリしている傾向があるのだと感じている。要するに、日本人らしいきめ細かな演出がそこにあるのだと思う。SCARE CROWはそのような日本人の体質が、本人たちが狙ってはいないのかもしれないけど、うまく表れていたバンドだと思う。なので、外国のバンドでは見つけられなかった。そして日本のバンドでも。
この日本ではこのようなバンドは出てこないのかもしれない。いや、自分が知らないだけなのかもしれない。確実に言えることは「ヴィジュアル系」の範疇では、もう出てこないです。
彼らの音楽からは、売れるとか、この作品を売ってメジャーにとか、大衆に受け入れられたいとかカラオケで歌ってほしいとか、ライブで皆で合唱をしたいとか、動員を上げたいとか、そのような物がまったく感じられないです。要するに、プロ意識というもに欠けてしまっているのです。そして、さっさと解散をして、二度と再結成なども無いのでしょう。
もうスケアクロウは幻です。とうに無くなってしまった。
幻のバンドという言葉がふさわしいバンドに出会えてほんとうによかったと思います。
おわり