さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


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Jaga Jazzist「Pyramid」形をつくらない線の中で人間はどう存在しているのか

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 人間とは何なのだろう。それは人間が行う創作の全ての原点であると考えている。世の皆がそう考えるべきだとも考えている。これは独善的ではなく普遍的なものだと言っても良い。

なぜ産まれてきて、そしてなぜ必ず死ぬのか。そしてなぜその2つに対して生を長らえているもの達は、その実感をその時に持てないのか。死ぬのはいつも他人ばかりなのは、いったい何故なのだろうか。

人において、生まれたこと、そして死ぬこと。そして生きていること。その「3つ」が真実なのだと思う。それらは線で繋がれていて、相互を成して形を作っていく。その3つの線が、土台となり、積み重なっていく。その形を具現化をしたかったのが、ピラミッドなのではないのだろうか。ピラミッドが何のために作られたのかわからないという。遺された物からも判別ができない、文字などにもされていないもの。

人は様々な想像を巡らせてきた。そしてそれが栄華にも繋がり、滅亡にもつながったしまった。しまうのだろう。

形をつくらない線。

Jaga Jazzistの「Pyramid」を聞いて、自分をこのような感想を持った。

冒頭の「Tomita」

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でも存在している彼らの特徴である複数の楽器による、スラーなメロディが終始において漂うのは、規則的なリズムによって構成がされた、ある種のプリミティブな音楽ともいえるものへの答えなのだろう。総じてインストゥルメンタルであり、余計な言葉はここには想像しない。だからこそ、そこに出来た隙間にメロディの群がうごめき、変容をし、また漂っては散っていき、別の生き物になったかのようである。

今までのJaga Jazzistはある程度の構築がされていたと思う。それはリズムも、そして楽器の配置箇所とその配分も含めて。それは他との同調というのもあったのかもしれない。エレクトロニカのように、はたまたJAZZのように。しかしその「しがらみ」は悪いものではないのは確かだった。どこかにいるようなもの、というのはインストゥルメンタル音楽には必要だと思うから。

自分が書いていることは、もしかしたらとても抽象的なことなのかもしれない。けれども、決してこのアルバムの抽象性を説いているわけではないと言っておく。

例として2曲目の「Spiral Era」を挙げよう。

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これは3連符のフレーズが土台となっていて、その上に空気の層が構築されているような音楽だ。わからないのだろうか。イメージが見えませんか。このイメージが。曲の意味は「らせん」と「時代」だと解釈している。とてもわかりやすい。螺旋となり人はいつの間にかその「三角」の中にいるということ。人とはそのようなものである、という冒頭に挙げた創作の原点も表しているのだろう。しかし、この無常感はなんだろう。人はしょせん螺旋の中に取り込まれている卑小な人間なのだという絶望すら感じさせるではないか。なんということなんだろう。Covid-19も当然の結果なのかもしれない。そう、人間は弱い、だから神が必要なのかもしれない。

3曲め「The Shrine」はそのタイトルの通りに「儀礼の場」を表すもの。確かに秘境の極匠民族が密林の中で時刻などは気にせずに、太陽の光の定めのままに火を見つめて執り行われるよう時に流れているかのような音楽である。確かにそうである。

しかし、宗教というものの主役は神ではない。決して神ではないとノーレリジョンな自分は思ってしまう。宗教の主役は信じるその人間たち。信じる人間たちが作り出した願望と妄想の結実であるのだと考える。そして、その歴史は人類の歴史とは決して重ならない。人類が生み出したものだからだ!

その証拠にこの曲には、原始的なものは排除されている。構築をするということを編み出してしまった人類の狡猾さが表れている。もし神がいるとすれば、それらを俯瞰をする立場でそれらを観察するということ。それができるのは神しかいないのだから。そんな距離感が、この「The Shrine」には表れている。

しょせん、人類は誰にも勝てない、人類の敵も理解者も他にはいないという諦めの舞踊なのかもしれない。

そして、新しい時代になった。その象徴がたった全4曲のこのアルバムのラスト「Apex」なのだと思う。20世紀に表れた新しい「神」の姿がここにある。それはコンピューターでありプログラミングでありインターネットである。それ以前とそれ以降で全てが変わってしまったことは、皆も認めることであろう。

コンピューターはプログラミングを通して、より人間に近づこうとしている。人工知能という、実は人間の手と脳が頼りであるteaching dataの積み重ねにしかすぎないものに、越されようとしている。超える超えない。資本主義社会経済においても欠かせないものになってしまった。そんな人間が作り出した愚かな輪の中に、この「Apex」は放り出されている「さま」を表現しているかのうようだ。でも、この音楽には言葉はありません。だから何が正解はわからない。プログラミングには必ず正解があるか、どうかはわからないけれど、時折バグを起こしたりして、重篤なインシデントは修正される。人間のような不能なものとは大違いなのだ。だから、人間は生と死とその間の、頼りない線、その3つの三角形の中で生きるしか無いのかもしれない。何も無くなっても、かならずあるもの。死。それはかならずあるのだ。輪廻転生も無い。輪が途切れたら、そこから外れてしまう。だから今はその輪の中を形成する一員として、入ればよいだけ。なのかもしれない。

終わり