さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


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言葉も、声も無い歌 Jaga Jazzist 「What We Must」

NHKの朝の連族テレビ小説「あまちゃん」がヒットしてますね。

僕は朝にドラマを見るという習慣が無いので、見たり見なかったりテキトーな感じですが、基本ラインは踏襲しています。「潮騒のメロディー」とか…。それに気になっているのはオープニングのインストゥメンタルのテーマ音楽。

スカのリズムに弾けるような裏打ちのシンプルなメロディをブラスが奏でて、朝から明るい気持ちになれる良い曲ですよね。この朝ドラマの主題歌の尺はとても短くて、毎回歌が入ると無理なカットで、ちょっと変な感じに(最近だとSMAPの歌)なってしまうので、そういう意味でも自由なインストゥメンタルがこの場には相応しいかと思うのです。

それに、もしも「あまちゃん」のテーマ音楽に歌が付いていたら…。

「あまっちゃっんだよ!そーらじぇじぇじぇじぇ!」みたいな歌詞に歌声が載っていたらと考えると、とても滑稽で思わずズコーって感じですよね。裏打ちのリズムに声が入ると重く感じるし、何よりどんな歌詞も合わなさそう。原曲の魅力も台無しになると僕は思います。

まあもし歌入りテーマにするんだったら別のメロディになるとは思うのですが、なんでも歌があればいいってわけではない!ということで「インストゥメンタルの有用性」に関してはここで十分に証明されたといえるでしょう。

 

 

常日頃思っているのですが、音楽、特に人間が主体的に好いて好む音楽の殆どは「歌入り」です。大勢の人が「音楽」と聴いて思い浮かぶのはほとんどの人が声が入った歌入りの音楽のこと。

僕はそれが不満なんです。

音楽の主役は声だけなの?

「歌」じゃないと音楽じゃないの?

楽器は歌のためにある?違うでしょう。

 

しかし、ここ最近は「歌」の世界、いわゆる「一般的なポピュラーミュージック」のマーケットとしての存在感が失われつつあります。

違法ダウンロードだ、メロディの限界だなんだと言われています。しかし僕から言わせていただくと、その原因は「言葉に甘え過ぎてる」のだと思います。

「私はあなたが好き~」「夢を叶えよう~」「約束のあの場所でいつか~」

耳障りが良いだけの安っぽい言葉で繰り返される、安直な「歌」のコミュニケーション。飽きられてお金を落とす価値も無いとされるのは当然だと思います。

作り手も「言葉」に甘えているし、何より聴き手も「言葉」に甘えている。寄り添って依存してそして疲弊して離れていく。虚しく安っぽい何も残らない世界。

 

音楽の主役は「言葉」またはその言葉に伝えるための「歌」でもありません。「音」です。

いまこそ「音」に回帰すべきだと思うのです。

と、そんな事をJaga Jazzsitの素晴らしい音楽を聴きながら考えたりしています。

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Jaga Jazzist(ジャガ・ジャジスト)はノルウェーのバンド。一般的にはジャズ、として取り扱われるようですが、エレクトロニカやら、ポストロックなどと言われたりもしています。

しかしジャンルなんてどうでもいいんです。決してシーケンスだけに頼らず、そして生音だけにも頼らない。既存のフォーマットは参考にせず、自らの形を作っている、という感じです。

そして「声」には全く頼っていない。インストゥメンタルが中心というかそれらが彼の全てで、人の声によるは全く入っていない。

インストゥメンタル系の音楽というと、延々延々延々とギターがバッキングしたり、いつが歌が始まるの?みたいな退屈な(というと乱暴だけど)イメージを持つ人もいると思う。

しかしJaga Jazzistの音楽は、かならずメロディが存在する。どの曲も、音楽の進行に寄り添うようなにぶく輝く宝石のようなメロディがそこにある。そのメロディも大きく主張はせず、しかし存在感のメロディ。まるでここの奥底にある自分の感情のような存在感だ。

素晴らしいのはそのメロディは多種多様な楽器、多くは管楽器で(クラリネットやサックス)まるで心情吐露を行うような濃密であり、とても「近い」ところからそれらは響いてくる。

これはまさしく「歌」である。しかし何も語らない。言葉を超えた音楽でそれらは雄弁に語りかけてくる。

言葉というのは想像力を許さない。

「私はあなた好きです」という言葉があれば、それは「私」が「あなた」を「好き」というものを想像させるだけだ。そこから広がるものも勿論あるだろう。しかし「私はあなたが好きです」という言葉がそこにもし無かったら、無限の想像が広がるだろう。

言葉による喚起がもし無かったとしても、「音」があれば無限の想像が広がるのだ。

 

自分のおすすめは4枚目のアルバム「What We Must」

先ほどから言葉氏ね使えないと書いておいてちょっと矛盾してるけど、この「What We Must」というタイトル、言葉がとても好き。観念的でどこかから見下されているからのような感覚がある。この言葉の周りに、自分も含めた人間達がぐるぐるぐるぐるそれぞれ回っているようなイメージを受ける。そしてもちろんアルバムの内容も素晴らしい。

曲の展開がとても自然。それに寄り添うメロディは、どこか冷めているけれども、誰にも明かさない心の内で感情の激流が渦巻いているようである。

過度な主張もしない、ただただ流れとしてそこに存在する。音楽に身を任せていると、白い部屋に置かれた椅子に座っている感覚に襲われる。もしかしたらここが自分の居場所なのではと思ったりする。

 

最近の彼らはオーケストラの共演のコンサートに力を入れている。ノルウェーを中心に、オランダやベルギーなどでオーケストラとの共演のコンサートも行なっている。

その模様を収録したライブ・アルバム「Live With Britten Sinfonia」を今年の5月リリースした。

今までの名曲(最新アルバム”One-Armed Bandit”の曲が中心)が華麗なオーケストラと、そして生演奏で再現されている。信じられない程のクオリティで、どこか控えめだった攻撃性がここでは牙をむいて襲ってくる。それらは言葉を超えて僕に衝撃を与える。


Jaga Jazzist - 'One-Armed Bandit' (Live with ...

 

 

何回か来日しているようだが、一回も見にいけてない。いつかライブを見たい。

できればノルウェーで見たい。

僕の大好きなエドヴァルド・ムンクの国、ノルウェーオスロ

ふらりと入ったライブハウスでもしJaga Jazzistが演奏していたら、そこが僕の人生のピークだろう。そしてそんな日は決して来ないに違いない。