なんだか壮大な60分間でした。
メンツは公式でも見ていただければと思いますが、小沢健二と自分としては「X Japan」が気になりましたが、前に聴いたことのある曲だったので、少したのしみくらいでした。
他は、大人数系、普通系、そして平井堅。平井堅は、映画「ドラえもん」のタイアップということで、映画に声優として出演したプロ・フィギュアスケーターの織田信成と浅田舞が、スケート靴無しダンスをするという試みだった。
スケート靴なし、でしたがさすがに素晴らしい舞でした。ダンスとはまた違う優雅さに溢れていました。特に織田くんのしなやかさは「ダンサー」には無いものです。
僕は男子フィギュアスケーターでは織田くんが一番好きでした。面白いから。今日は面白いだけじゃない、優雅な織田くんが見れられたので嬉しかったです。
「でも高橋大輔くんだったら、もっと映えたかなあ」と思ってしまったのも事実です。ごめんね織田くん。
話がずれました。小沢健二がチラチラ写ります。さすがに年齢を重ねて変わった印象はありますが、先日見かけた某小山田さんよりは「だいぶマシ」だと言ってもいいかもしれません。むしろ変わってないです。某小山田さんよりは・・・あれは見間違いだったのかもしれません。
Xジャパンの番になって、小沢さんがニコニコ笑っているのが見えました。この中で「知っている人」はエックスだけだったのかもしれないと思っていたら、やはりそのようで、タモリに指摘されてました。小沢健二に「今」の人たちがどのように移ったのか、感想を聴いてみたいですが、かつてのように雑誌で何万文字インタビューなんかをしなければ、聴けないでしょう。たぶん眼中にないと思います。僕もそうでしたから。「ししゃも」という若い女の子バンドが「働く人に向けて」と歌を披露していました。すごく前向きでさわやか。さわやかまえむきの僕にはぴったりです。なぜならば僕は「働いてない人」「働けない人」だからです。だから「明日もがんばれがんばれ」と連呼されても、困るのです。傷つくのです。無垢な女の子達のようですから、悪気はもちろんない、と思います。しかし、善意の先に、哀しい人達がいる、ということをわかってほしいという気もあります。
小沢健二の番になりました。曲は「僕らが旅に出る理由」と「流動体について」です。
「僕ら」は「LIFE」に入っていて、何回も押し寄せる何かに絶えつつも、聴きました。都庁の展望台で聴いた覚えがあります。「東京でキラキラしたような曲が聴きたい」と思っての選曲だった気がします。
そういう思い入れが、今日見ている人達に、どれだけあるんだろうか。
もしかしたら、いや確実に、小沢健二を知らない人たち、または名前だけは知っていてもよく知らない人たちが殆どだと思います。
きっとみんなには彼らの魅力は伝わらないのかも、と思いました。
「僕らが旅に出る理由」に関しては、「ああ」と思うくらいで、特に感慨はありませんでした。「イントロが長い曲」という選曲理由とのことでした。歌唱力に関して、なんか言われるのかもと思いました。僕は気にしないタイプです。外れててもいい。クラシックのピアノはミスしたらだめだけど、歌は気にしない
そうこう思っていると「流動体について」が始まりました。
「イントロが短い曲」ということで、ほんとうに1小節もなく、2拍くらいだったかも。そして「羽田沖 街の灯が揺れる 東京に着くことが告げられると 甘美な曲がながれ、しばし窓の外を見る」ときます。羽田に到着した便。国際線でしょうか。小沢健二が活躍してたころには羽田の国際便はなかったかもしれません。空港がどこにしても、夜の着立の風景というものは美しいものです。
その後も「神」とか「宇宙」とか、「もしも間違いに気づくことができなかったのなら」など、なんだか気になる言葉がでてきて、そして美しいストリングスに気づきます。すごく力強い音。今までになかった。
そして「ほんの甘いカルピスの味が 不思議を問いかける」とありました。
僕はびっくりしました。この曲を聴いたのは今日初めてでした。
その時は僕はカルピスを飲んでいたのです。
小沢健二が歌うと告げられた時に「せっかくの小沢くんだからカルピスのおかわりだー」と思って、お代りをしたのです。冷蔵庫からカルピスの原液のペットボトルを出して。氷を入れて、水道水をそのまま。
カルピスは大事なのです。コンビニにも、どこにも歩いていけないから。
「冷たい飲み物」が、飲みたくなったときにのめないと辛いのです。
家にはインスタントコーヒーや紅茶のティーパックはあります。でも、ジュースは飲むとすぐなくなるから、カルピスはなくならないから。
ほんの甘いカルピスの味。
曲はそのまま、偉大さ、尊大さをそのままに終わっていきます。
今日、Twitterをみていたら、久しく見ていなかった「オザケン」という言葉をよく見ました。それは「オザケンひさしぶり」「オザケンよくしらないJUMPのほうがいい」「オザケンやっぱ歌下手だ」とか。そういう普通の意見でした。
久々に見ました。「オザケン」という言葉を。
コンサート活動や音源の配信などで、ぼちぼち名前を見かけることはありましたが、やはり大きな話題になることはない、興味のない人に名前があがることはなかったです。なので、「オザケン」という言葉は、ファンだったら使わない言葉だと僕は認識しております。木村拓哉を「キムタク」と呼ぶのを憚るとのと同じです。
でも、「オザケン」が地上に降りてきたんだ。と思いました。
小沢健二は、NYで暮らして結婚をして、幸せになって、なんだかよくわからない活動をして、仙人のような人だったけど、「オザケン」と呼ばれてしまうところに出てきてくれた。「流動体について」流れやすいもの。それは、僕たち傍観者のことではないでしょうか。カルピスを飲んで、「歌の中にカルピスってあるー」なんて喜んでいる、普通の人たち。それこそが素晴らしいと問うているような、気がするのです。
僕も人から離れて、仙人のような生活をしていますが
いつか地上におりて、生きていると実感したいです。
オザケン、ありがとう。
ここまでよんでくれてありがとう