さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


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カジュアルでもOK!クラシック鑑賞に相応しい服装とは「何でもいい!」【クラシック音楽】

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 ポイントは、ほかのお客さまに不快感を与えない格好であること。女性の場合、洋装であれば、ワンピースやデザイン性のあるスーツなど、ドレッシーなものを選びます。また、靴はミュールではなく、かかとの覆われたパンプスを履くのが正式スタイルだそうです。靴のヒールが細いと足音が響くため、要注意です。

 男性は、スーツが無難とのこと。

 Twitte上でクラシック音楽ファン間で話題になっているこの記事についてですが、大いに異論があります。この「マナーコンサルタント」という、都会の匂いがプンプンするのに実は徳島在住という実はのほほーんカツオおいしそう〜僕も同じ田舎でも海無し田舎だからうらやましい〜!のですが。

 

この件に関して、沢山の意見が述べられておりますが、自分が一番共感したのはこちらのTweetです。

 

森山広さんという「ツィンク」という楽器のプロの奏者の方です。

この方は、おそらく筆者が超絶地方に在住だとは、まさか思わなかったのでしょう。仕方ないです。サントリーホールや、NHKホール、オペラシティ、東京文化会館、そんなそんなところに気軽に行けないところに、住んでいるなんて、思わなかったのでしょう。

仕方ないのです。今、東京から離れてしまって、地方に住むいま、「文化の格差」を日々ひしひしと感じています。まあ島を離れているほど隔ててはいないからか、私のところでは、定期的に文化的なコンサートは開催されています。

 

地方を差別しているわけではありません。しかし、はたして「正装でいくべきというマナー」と「マナーコンサルタント」さまが表しているのであれば、「それは違うよ」とはっきり申し上げるのが正しいマナーだと私は思うのです。実態を知らなさすぎる

 

クラシック音楽は高尚で上品であるべき」とは、それは演者にとってそうなのかもしれません。試験や演奏会の際は、ピアノ奏者は女性は白いシャツ(ドレッシーw)黒の衣装(スカートに限定はされていませんでした)男性は、黒の礼服のスーツに、蝶ネクタイと規定されていました。ドレッシーです。

 

しかし、聴く方に関してはそのような規定はもちろんありません。どこにもありません。ないのです。なぜ、ないのか。

高尚な音楽である、かもしれないクラシック音楽ですが、その歴史を辿ると、たしかにクラシック音楽は「貴族のために作られた神イエス・キリストのため」の音楽でした。

ほんとうにそのためだけ。そしてそれを作曲することで生活の糧としていた人たちも沢山いました。

 

彼らは、「神のため」「貴族のため」「お金のため」それらに支配された音楽を作り続けていることに、苦悩を感じていたのでしょう。口にはできません。殺されますから。そして曲の中に、音楽のことなど知りもしない人にはわからないように、本当の気持ちを込めたのです。

有名なのがヨハン・セバスチャン・バッハです。

バロック音楽時代の最後に、それまでの音楽の理論体系をまとめ上げた偉大な人です。バッハは「宮廷音楽家」でした。要するに、貴族のために音楽を作っていた。それは神のため、そしてお金のためでもありました。

しかし、彼が作った作品は後の作曲家達に大きな影響を与えました。音楽を自由に表現する、出来ることを彼の作品から学び取ったからです。続いての古典派においては、一部の作曲家、モーツァルトベートーヴェンなどが筆頭に値するのかもしれませんが、ほとんど作曲家がその影響にありました。その彼らは、「自分のため」の音楽を作った最初の人たちだった。バッハが作り上げた音楽を元にして音楽を作った結果、大衆に大きく支持されてそれだけでお金を得られるようになったからなのです!つまり、現代の音楽と同じになったのです。

そして、クラシック音楽には、それまでにあまりなかったもの、だけれども重要な「音楽」が加えられるようになりました。それは「民族音楽」です。古より伝える伝説や民謡など、聖書など、イエス・キリストの発祥のもの、聖書からのものだけではないものが、取り入れられるようになりました。

それが、どんなに大きいことなのか、キリスト教徒ではない自分にでも理解できます。音楽だけではありません。西洋美術でも同じだったと思います。

 

19世紀後半にあった「ロシア5人組」(リムスキー=コルサコフムソルグスキーボロディンなど)がその筆頭です。彼らはそれまでになかった民族的なものを彼らの作品に取り込むことによって、新しい、しかし大衆にとっては馴染み深い音楽を想像しました。その結果、大きく支持されました。ロシアという特殊な状況によって迫害を受けることもありましたが、彼らは貫いて、そして後輩にもそれは引き継がれて、チャイコフスキーラフマニノフスクリャービンなど、クラシック音楽の歴史にはかかせない音楽を作る結果になったのです。

 

つまり、「クラシック音楽」は「貴族的」なものとの戦いであり、本日、わたくしども平民がそれらを聴けるようになったのは、先輩方の努力のおかげなのです。

 

「クラシック鑑賞に相応しい服装」が、「貴族的な正装」でなければいけないなんて!笑止千万なのです!バカげたマナー違反です。わかってほしいです。それを。

 

EUの国家をご存知でしょうか。

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ベートーヴェン作曲「交響曲第9番」です。第4楽章が歓喜の歌(An die Freude)として、1985年に「欧州の歌」として制定されました。そして1987年に東西ドイツの「ベルリンの壁」が崩壊しました。その直後にヘルベルト・フォン・カラヤンによる指揮によってこの曲は演奏され、その後のEU発足時にも自然と国歌となったのです。この曲は、それぞれの国歌の歴史の大事な端境期に演奏されてきた曲です。

 

つまり、ベートーヴェンは大衆のための音楽であり、クラシック音楽の代表ともいえるこの曲を聴く時に、服装なんて気にしなくていいのですから、クラシック音楽自体にもそういえます。格好はごく平凡、一般大衆の格好で問題ないのです。

 

私事ですが、イタリアのローマにてクラシック音楽を鑑賞する機会がありました。その滞在で2度だけでしたが、1度目のオペラ座でのバレエ公演には「相応しいかもしれない服装」でこわごわと現地に行きましたが、現地の方たちは普通の格好でした。

そして、数日後のオーケストラのコンサートは、よりどりみどり、色んな服装の方がいました。日本でも実はそうなのです。サントリーホールポリーニのコンサートでもそうでした。正装ではなくてもいいのです。

 

間違っていることを間違っていると伝えるということが「大人のマナー」だと思いましたので、書いた次第でございますが、「マナーコンサルタント」という大変すんばらしいご職業であられますから、失礼が何かございましたら、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。

  

最後に、「マナー」に最も程遠いかもしれないけれども、人間にとっては大事な部分を表現してしまった曲を紹介いたしますね。

それはロシアのアレクサンドル・スクリャービン作曲「Le Poème de l'extase」です。

日本語では「法悦の詩」とされていますが、英語タイトルだとわかりやすいのです。

The Poem of Ecstasy

ポエム・オブ・エクスタシーー!!


A. Scriabin : The Poem of Ecstasy - Le Poème de l'Extase op. 54 (Boulez)

エクスタシーだなんて、まるで小泉元首相がバラードだけお好きなことで有名な「X Japan」さまを彷彿させるような言葉です。極めて非PTA的であり、非マナーな曲です。それは音を通して伝わってくるのです!でもそれは避けては通れない道なのです。無いと人類は途絶えてしまう。神に向けてのメッセージの曲でもあるのです。

猥雑なもの、下品なものこと、それは人間の本質であります。それを前にして正装を気にするだなんて、大衆は気にしなくてもよいのです。そうするために先達は苦労してきた。それをわかってくださいね!わからないだろうなあ〜

 

おわり