- アーティスト: 高橋徹也,加納直喜,竹上良成,上田禎,菊地成孔
- 出版社/メーカー: キューンミュージック
- 発売日: 1998/05/02
- メディア: CD
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先日、東京にてライブハウスに出演し、そこでひさびさに友人と再会をしました。
ほんとうに久々に会うのに、3人。3人で会った瞬間にあの頃、もう10年以上前に、彼らと仲良くしていた頃にすぐに戻れました。みんな変わっていない。僕は太った、それも言われましたが、みんなは変わっていなかった。
話しても、それは感じました。ほんとうに変わっていないのです。僕はどうなんだろう、そんなことばかり気にしてしまいましたが、やはり相手は変わっていないので、僕も変わらずに話せたと思います。
自分のことも話したりしました。なるべく変なことを言わないように。心配をかけないように。でも多少おおげさに言ったり、核心にはあんまり触れないように。
他の人とはできない話もしました。当時自分達が好きだったアーティストや、ライブ活動で会ったひとたち、そしてバンド活動で会ったひとたちの話。
沢山の人たちがいました。「仲間」と呼べるようなつながりは一瞬だけだったけど、ずっと僕と同じように、あの頃を考えていたんだ、と感じました。
僕たちは、ある人が出した楽器屋のバンドメンバー募集のチラシを介して、知り合った仲間たちでした。実際に、そのメンバーでバンドを組み、ライブをやったりしたのですが、それも1回だけ。それでも今でも話題につきない。不思議ですね。バンド活動とういうものは、そういうものなのかもしれない。
懐かしい名前の人、久しぶりに聞く名前、近況をあくまで知っている範囲でお互いに共有をしたりしました。
あとは好きだったアーティストの近況。「小沢くん」「小山田くん」なんて言葉が飛び交って、僕は嬉しかった。「小沢くん」「小山田くん」なんていう呼称は、あの頃に彼らが好きだった人なら当然の呼称です。「オザケン」なんて間違っても言いません。
当時、バンド活動以外のこともやっていたよね。なんて思い出話もしました。
「クラブになんて行ってたよね」「ああなつかしい」「高円寺の」「そうそう」
僕たちは、「ボーイ・ミーツ・ガール」というベタなイベント名のギターポップやソフトロックなどのオシャレな音楽をかけるクラブイベントによく行っていたのです。高円寺のぼろいビルの狭いところ。後にも先にも「クラブ」になんて僕は行ったことなかった。「わたし、本当にあれ以来クラブになんて行かないよ」なんて話も。
もう一人いた、友だちがその時に話だしました。
「あの時、よくかかっていた曲、覚えてる?たかはしてつやの。あれさあApple Musicに入ってたんだよお」と言いました。
その前に、僕たち三人はApple Musicを使っている共通点があり、その話をしていたのです。
「たかはしてつや」という名前は知りませんでした。が、その曲は覚えていました。
僕が「最後のほうにかかってた、なんか熱い感じの曲だよね?最後にサビを繰り返すやつ」「そうそう」「たかはしてつや…」もう一人の子が、iPhoneで探し出しました。
「曲名は”新しい世界”だよお」と教えてくれました。入っていました。iPhoneから流れてきた曲は、確かにあの時に聴いたその曲でした。
それから、暖かい気持ちのまま、僕は歌舞伎町のカプセルホテルに泊まりました。正直、お酒を飲んだためか足がフラフラで、1回転倒してしまいました。そしてかつて住んでいたはずなのに、初めて泊まるところだったからか、少し迷ってしまいました。それでもなんとかたどり着き、そのまま寝ました。が、眠れずに、朝、早く、バスで帰りました。翌日は早朝から仕事だったから、早く帰らなければならなかった。
それから、帰ってなんとか眠り、朝、起きて仕事に入り、そしてまた寝て、そして翌日、仕事のMTGでまた東京に行きました。そしてMTGが終わり、またスグに帰りました。とてもつかれていたような気がしました。朝もバスで、つかれてしまった。だから帰りは新幹線で帰りました。駅まで自転車で来て、駐輪場が22時でしまってしまう。翌日にまた取りに歩いて駅までこなくてはいけない。駐輪場が22時までなんて、田舎はつらいです。
家にたどりつき、眠ろうとしたとき、「たかはしてつや」のことを思い出しました。
あの曲を聴いてみよう。ここ数日は、音楽は人前で演奏したけれど、正直それどころではなかった。「たかはしてつや」「高橋徹也」の「新しい世界」を聴こう。
ああ、あの時。もう20年近く前かもしれない。そんな時。夜。真夜中。朝方の狭い汚い高円寺のクラブで、眠気と戦いながら聴いたあの曲です。これだった。これだ。
僕はこの当時、この曲の入ったCDは買わなかった。アーティスト名も知らなかった。高橋徹也のことも、知らなかった。ソニーからデビューしていたメジャーアーティストだなんて、知らなかった。
他の曲も全く知りませんでした。でも、この曲は知っていた。
そして、この曲の歌詞が読みたくなり、ネットで探しました。
こんなことってあるのでしょうか。
この曲の歌詞は、今の僕そのままだったのです。
あの頃の自分のようではなく、今の僕の状況と気持ちそのままだった。
そんなこと。ないのかもしれないけれども。
しばらくぶりに君に電話して
夢中になって過ごす
お互いの知らない時間を
少しオーバーに話してる
楽しかったひとときが過ぎて
それが何だったのかも今は
覚えていないけど
動かなくなった時計台は
その全ての役目を果たして
おだやかな日々を 紡ぎ出してる
それなのに この場所が なぜか
好きになれないのさ
強い力で俺を導く世界
なんて、どこにもないのさ
僕はあの素晴らしい一時を過ごせた場所から、遠いところ、あの頃ではない
「新しい世界」にいます。
望む望まないではなく「新しい世界」であることは事実です。
そして彼らも、その時とは違う「新しい世界」にいる。時間がたったから当たり前です。
しかし僕だけは、違う場所にいる。
僕の時間、僕の中の人生の時計は完全に止まっていました。僕はそれを感じていた。
東京のグランドピアノのあるライブハウスに簡単にでる方法をみつけて、それに出ようと思い、まず一人、近くに住んでいて仕事も都合がつきそうな人を誘って来てくれた。
そして、あまり反応が無いSNSにてその出演を書いたところ、来てくれる、という人が、昔ながらのバンド活動でしりあったけれども一緒に活動はしなかったけれど、仲の良い人。2人はもう10年以上会っていない。でも、大丈夫だろうと思っていたら、大丈夫だった。
そんな世界、そんな世界があるのに、僕は「新しい世界」にまた戻らなくてはいけない。
この場所が、好きではないこと。好きにはなれないこと。
それは、他人にはわからないと思います。ほんとうにそうです。
好きにならなくてはいけない。そう言い聞かせてもいます。
でも、好きになる理由が、どこにもないのです。ここには無い。
いま、しばらくはここで過ごさなくてはいけない。
この曲の聞きどころは、やはりラストのサビの連続のところです。
同じフレーズをなんと4回も1回づつ半音上げで繰り返すのです。
「強い光で俺を導く世界なんてここにもないのさ」
「目の前にある君の新しい世界俺はもう後がないのさ」
「手が届かない 俺の新しい世界」
「なんてどこにも見えやしない」
「新しい世界」
「どこにもないのさ」
物語には、かならず終わりがあります。
そして音楽にも終止符がある。たとえ半音上げで四回くりかえしても、フェードアウトで消えていく。
人間は儚いものです。いつかは絶対に死ぬ。
だから、僕は「新しい、新しい世界」へ移るべく、生きていこうと思います。
今回の状況は僕にとって、単に友人との再会だけではなく、大きな発見もありました。
それは、出演したライブハウスです。来月そこで行われる「即興イベント」に参加することにしました。
僕にとって「即興」は全てのはじまりであり、今も全てかもしれません。自分の真価が発揮できる場所がみつかった、と感じています。
僕は、明日、その次、その次も休みです。どうしようという感じですが、ひたすら電子ピアノを弾いて、すごそうと思います。それしか「ここ」にはないから。
おわり