さわやかトラウマ日記

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【読書感想文】稲垣吾郎「馬耳東風」ついに現れたニュー・ダンディズム!

 

馬耳東風

馬耳東風

 

 この本を買ったのは、個人的な思い、もうそう、好奇心により、買ってみた。

それはミーハーな心だった。最近話題だから。「ブログをスタートさせる」ということもあった。

「彼のブログがあったら、なんて面白いんだろう」と思った。だからこの記事を書いた。

maemuki.hatenablog.com

そして、改めて気づいた。僕は彼の文章を未だかつて読んだことがない!当たり前だ。今まではブログなどは、許されなかった。しかし、「新しい地図」となって、彼は「ブロガー」になることを選んだ。この本の存在を知って、早速Amazonマーケットプレイスにて注文をした。

しかし、この本を受け取る前に、あることに気づいてしまった。この本は2001年刊行。もうかなり前だ。なんともう16年前の本。彼はこの本が出た時には、27歳だ。

もうかなり時間は経ってしまった。もう自分が内心に期待をしているようなことは、この本には書いていないのかもしれない。

「タレント本」というものは、大体がそういうもの。ファンが買うものだから。プロの編集者が付くのだから、最低限のクオリティは保証されているだろう。

 

その内に本は届いた。読み始めた。最初は、稲垣吾郎からのこの本にあたっての書き下ろしの文章が載っている。いきなり出だしから「基本的に書くことは苦手だった」とはじまる。エッセイ集の出だしなのに。なんて軽い絶望を楽しむと、その後そのフォローの文章が続く。そして文章を書くことは、演技やいつものSMAPの活動と変わらない、だからファンとの共有が自分が書くことによってできれば、とあった。「ファンが読んでくれる」ということが、当然であること。そして「ファンしか読まない」ともあったのだが、この本が寄せられた連載の雑誌は「週刊プレイボーイ」と「COSMOPOLITAN」ファン以外でも目に入るものだった。けれども、この本は、ファンだけが読むもの、だということも考えていたのではないのだろうか。

 

その後「生まれて初めて書いたエッセイ」の項目がはじまる。最初は「新宿アルタ前」という題のもの。「仕事の帰りに車で移動中に新宿アルタ前の信号が赤信号で止まった、その時の車窓の風景」という、内容なのだが。それだけの内容なのに、非常に情景の描写は見事であり、そこで見ていたものを、鮮やかに文章へ書き写していることがわかった。

その後のエッセイも、彼がいかに自分が見てきたもの、そして感じたことが、よくわかる。こんな事を考えていた人だったなんて。しかし、彼が「普通の人」ではない、こともよくわかる。「思い出の街」という題にて、かつてジャニーズの合宿所で過ごした「原宿」を通りがかり、行き交う人々をみて、なんともいえない気持ちになったりしている。原宿に住んで、原宿に住んでいる人にしか行けない真夜中に、ネマ着同様の格好で自転車をこいでファミリーレストランで「メキシカンドリア」おそらくデニーズ、を食べたりしていた。

そのようなことが、普通だった、ということ。大したことではないけど、僕は経験をしたことはない。

また、「南青山 自由時間」という題の文中にこうある。「南青山……いい響きの地名。僕はここには何も求めてはいない」という文章に衝撃を覚えた。そしてある一つの言葉が浮かんだ。「メトロセクシャル」都会を好み、外見を意識して、多額の投資を自分につぎ込むような男。彼のことなのではないか。と思ったが、それは違った。「メトロセクシャル」は、「そのようになろうとして無理をしている男」であり、彼は何も無理をしていない、そのままに過ごしていたら、そうなっていたんだと。

 

そして、特筆すべきこと。それは

「とても女性が好き。”キレイな女性”が好き」だということ。本の中でも何回も何回も「キレイな女性」に対する言及がでてくる。正直、それをファンの人が受け止められないようなことが、そこには書いてある。けれどもそれが本当の気持ちだということの、現れなのかもしれないけど。

また、「SMAP」に関して、この時点で重要だったこと、「木村拓哉の結婚」そして「森且行の脱退」に関してもこの本では触れている。森くんに関して、例えばお酒に関しての話題にて「メンバーたち1人1人に合う酒を選ぶとしたら」ということに、当然のように森且行も出していた。ちなみに森くんは日本酒です。

「これがテレビだったら、そのまま流されることはないんだろうな」と思った。今でこそ、最後の方には普通に話しに出てきたけど、この頃には、「もう存在しなかったもの」という扱いだったとおもう。テレビでは!

 

そして、みなさんに取ってはどうでもいいことかもしれないですが、僕が大好きなイギリスのアーティスト「momus」に関しても聴いているという事が本に書いてあった。しかしそれは「音楽を聴くと、一緒にいた女の人を思い出す。例えば…」という内容のものだった。そんな奔放な面が、この本にはたくさん出てくる。でもそういう人生だから、当然なのだろう。

 

僕は…この本を読んでいるとある本を思い出した。 

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

 

 亡くなられた映画監督で俳優の伊丹十三が1965年に発表した随筆集。映画の撮影で、ヨーロッパ各地を訪れたときの体験を印したもの。父が映画監督ということもあり、人よりも豊かな人生を過ごしてきたこと、が存分に知ることができる名著である。彼は別にひけらかしをしたいわけではない、とは感じていた。オシャレをしたかった。格好よくなりたかった。ヨーロッパ人と対等に渡り合えるように、というのもあったのだと思う。

 

稲垣吾郎の本の中で「ヨーロッパは僕に合っている」とあった。それ「ヨーロッパ退屈日記」を思い出したのかもしれない。しかし、伊丹十三稲垣吾郎に通じるもの。それは「ダンディズム」であるということ。

kotobank.jp

「ダンディズム」という言葉は、日本においては違う意味に捉えられているのかもしれない。「ダンディ」とは中高年男性で男らしいかっこよい人。お髭を蓄えて。そのようなものだと思う。

違うのです。

おしゃれ、なのです。

ただひたすらに、自分の好きなものにこだわる。その正解はわからない。自分の中にあるもの。それを追求していく姿勢が「ダンディズム」で「ダンディ」なのです。

 

そしてもう一つ気になることがあります。間違っている「ダンディズム」の両極の言葉「女子力の高さ」が稲垣吾郎には与えられているのです。「ちょっと女の子っぽい趣味があるんだゴローちゃん」だなんて、思われている。

違います。彼の趣味は少女趣味ではありません。ダンディズムを追求した結果なのです。「彼は女子力が凄くある」と思うのであれば、もしかしたら、あなたに足りない物、それが「彼が女子力がある」と感じた、そのものなのでは?

 

「ダンディズム」という言葉、誤解にて広まっています。僕は稲垣吾郎にダンディズムを期待したい。できるだけ無意識に。そして広めてほしい。新しい、ニュー・ダンディズムを。

 

おわり