さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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先日の出演ライブの動画をアップロードしました。「換羽期とは」

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先日、阿佐ヶ谷ネクストサンデーにてオープンステージのライブに出演するということは、お伝えしました。その動画をアップロードしました。

 

この日演奏したのは2曲で、その1曲です。

タイトルは「換羽期とは」画家のゴッホが実の弟に宛てて書いた手紙の一部です。ほんとうはこの日、1880年10月に書かれた手紙だけでも、もっと長いのです。前に書いたブログに上がっていますが、これでもほんの一部です。

maemuki.hatenablog.com

 

この日、僕を観に来てくれたお客さんはいませんでした。今までは2人いた。今日はひとりになったんだな、と思いましたが、僕はなぜか心の平穏を感じていました。

ずっと、僕はひとりだったから。全然平気でした。孤独が好きというわけでもない、ひとりが好きというわけでもないのに、ずっとひとりだったから、平気になったのかもしれない。

だから、平気でした。全然平気だと思ったのに。

この日の自分の演奏は全く満足がいかなかった。この前の日にも「即興イベント」にて出演をし、のびのび弾けていたようにはいかなかったのです。

でも、それでも僕はがんばろう、がんばろう、この先こんなことがあっても、くじけるわけがない。最悪の時期は超えたんだ。

 

そんな中で、この「換羽期とは」の手紙を読み返すと、自分がなぜこの言葉たちに強い気持ちを覚えたのか、わかりました。

この文章は、ほんとうに僕の心、そのままなのです。

換羽期とは、鳥にとっては羽毛が生え変わる時期のことだが、

人間にとっては逆境や不運、すなわち困難な時期にあたる。人は

この換羽期の只中にとどまることもできるし、生まれ変わったように

抜け出てくることもできる。しかし、そうはいっても、

これは公衆の面前で行うものではなく、決して楽しい物でももない。

だからこそ、隠れて行う必要があるのだ。

それはそれで仕方がない。

 僕はまるで鳥のように、巣に籠もっていました。奇しくも鳥がたくさんいる山の中でした。羽根が生えないかな、なんて思っていました。「翼をください」をいつもくちずさんでいた。公衆の面前でおこなうものでもない、苦しみをずっと味わっていた。

一体何ができるのだろうか。内面に起こるものは、外面に現れてでるものだろうか。

人間の塊には、大きな炎があるのものだ。

しかしながら、そこには誰も暖まりには来ない。

通りがかりの人々は、煙突のてっぺんからわずかな煙が出ているのを見るばかりで、

通り過ぎていってしまう。

 僕がいくら悲鳴のような事を書き綴っても、燃える炎は見逃されて通り過ぎていくひとたちもいた、見てくれる人もいた。しかし、「ここ」には誰も暖まりにはこなかった。羽根がなければ、鳥は餌を得られない。人間の魂には、大きな炎があるのに。

今はさしあたって、万事まったくうまくいっていない。

かなり長い間こんな調子だったし、今後もしばらく間このままかもしれない。

しかしながら、何もかもが間違っているように見えた後に、すべてがうまく運ぶこともあるかもしれない。

そんなことをあてになんかしていないし、おそらくは起こらないだろう。

 僕はずっとずっと長い間、全くうまくいっていません。それは僕の心にできた大きな傷が原因です。もう長い間の前のことなのに。ずっとその事ばかり考えています。

今後もしばらくの間、このままなのでしょう。

よくないです。よくないから、僕はこの言葉と向き合って、自分を変えようとした。

春、籠の中の一羽の鳥は、自分に得意なことが何かあることをよく知っている。やるべき何かがあると痛烈に感じていながら、それを実行することができないのだ。それは何なのか。よく思い出せない。 

そして、それを誰も自分のことを知らない人間たちの前で、ピアノを弾いて、この言葉を読んだのです。

でも、僕の伝え方ではうまく伝わらなかったのかもしれない。わからないです。

この日、僕はこの後、すぐに帰りました。とにかくつかれていた。2泊も東京に泊まるなんて、自分には無理だったのかもしれない。でも僕は東京にいられること、それだけでうれしかった。

ぼくは、また解放されることも知っている。いつかは解放されることを。正当であるにせよ不当であるにせよ失われた評判、貧困、宿命的な状況、不幸、こうしたあらゆる状況が人々を囚われの身とするのだ。自分を監禁するものが何なのか、何が自分を閉じ込めるのか、何が自分を生き埋めにするように思われるのか、どんな場合でも断定することはできない。けれども、やはりある種の障害や籠や壁のようなものがあることを感じるのだ。

 失ったもの、そして得たものが自分にとってはあまりに大きすぎたのだと、思いました。しばらく何も考えずにすごそう、なんて考えたりもしました。

しかし

でも物事が好転した時には、それはとても大きな進歩だと考え、満足することだろう。

そしてこう言うのだ。

「とうとうやったぞ!そうだ、結局のところ何かがあったのだ」

 「何か」があったのです!

何かが何かとは、まだ言えません。言うようなことではないからですここでは。

しかし、それが確定しないから、それはとても大きな進歩だとは考えられないのです。

 

僕は自分の才能に自信を持っているような素振りを見せていましたが、実は…全くありません。もしあったら、もっと早く早く、「見つかって」いたでしょう。

誰も僕のことを見つけてくれなかったんだ、それは…そういうことなんだと思います。

僕はまだ一歩を踏み出したばかりです。誰に笑われても、理解されなくてもいい。

 

もうすぐ僕の羽根が生え変わる時期が来ます。春です。春にはきっとそうなると信じたい。どのみち、茨の道です。僕のやりたい音楽は、ピアノを使った音楽。

しかし、現状の「ピアノを使った音楽」と自分のやりたい音楽は、全く異なるものだということにも、気づいてしまいました

でも、僕は迎合しません。誰にもできるような音楽は僕の好きな音楽ではないからです。

 

まるで…ゴッホの手紙のようなことを書いていますが、それは意識してのことではありません。

ゴッホは生涯、一枚しか絵が売れなかった。僕もそうなるかもしれない。いいのです。それでも、自分が死んだ後のことなんて、考えても仕方ない。でも「生きた証」を残しておけたら、良いと思うのです。彼の手紙も弟が大事に保管をして、ドイツから遠くはなれたこの地の僕にも届いた。

 

この「換羽期とは」の演奏はまだ僕の本質を表しきれていません。

でも、上げたのは、もう恥も外聞もない。応援をしてくれた人もいたので、報告のようなものです。

 

どうぞ見てください。拙くても、これが今の僕の姿、そのままです。