さわやかトラウマ日記

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【映画の感想】映画「HER MOTHER 娘を殺した死刑囚との対話」を観ました 理由は、わかりません。

https://www.hermother-movie.com/

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『娘を殺害した加害者の死刑を止めようとする母。一体なぜ…』

 

43歳のビジネスウーマン・晴美。2年前に1人娘のみちよが嫁ぎ、現在は夫と2人で平凡に暮らしている。そんなある日、みちよが婿(むこ)の孝司に殺されてしまう。孝司は死刑判決を受ける。当初は死刑判決を当然の事と考えていた晴美だが、ある時から孝司の死刑を止めようと考え始める。そこには、晴美しか知らないみちよのある秘密があった。(公式HPより)

今日は朝から仕事で、正午で終わり、その後、昼食を取りに街へ出て、家へ帰り、そのまま昼寝をしました。

今日はこの映画「HER MOTHER」を観に行こうとは決めていました。この映画の公開は本日まで。1日2回上映されるのですが、1回目は午前中で、2回目は16時半、くらいから…と思っていたのですが寝てしまい、ハッっと目覚めたら、16時を過ぎていました。

今日、自分は仕事に遅刻をしてしまいました。自宅作業なのに、遅刻をしてしまう。しかもこれで3ヶ月連続になってしまいました。原因はスマートフォンの目覚ましの音量がオフになっていた。目覚めたきっかけは、その日、同じ時間に勤務をしている方からの電話によるものでした。電話はなったのに、目覚ましはならなかった。そういう設定になっていたのですが、どうにもこうにも。あーあ。

 

そんなことを思いながら、僕はいつもの「上田映劇」へ向いました。自転車だったら、本当にすぐのところにあります。かつては、同じような距離、だったかもしれない所に、たくさん映画館がありました。しかし、全く行かなかった。

今は、こんな田舎でこんなに近く映画館があり、観る時間もある。他に行くところがないからです。そんな生活でも、映画をたくさんたくさん観ることができるようになりました。ほんとうによかった、と思いながら、上映を待ちました。

この日のお客さんは、自分を含めて3人でした。 

 

映画「HER MOTHER 娘を殺した死刑囚との対話」は、日本の映画で、佐藤慶紀監督脚本制作、2016年公開の作品です。主演は西山諒、西山由希宏。やはり全く存じ上げない方たちです。

 

eiga.com

犯罪の被害者と加害者の問題。ありきたりなテーマなのかもしれません。娘を殺した死刑囚と、その娘の母親との対峙の物語。ありきたりなテーマなのかもしれません。

 その設定どおりに、物語は始まります。殺されると思しき娘さん、結婚をして他の家がある娘さんが、久々に帰ってきます。お母さんとが迎えます。お父さんは最初寝ていて、仕事なのでそのうちにスーツに着替えて会社に行きます。娘さんが久々に帰ってきた理由をお母さんが問いただします。どうやら夫婦はうまくいっていないようです。

理由は…わかりません。が、うまくいっていないようでした。

 

そのまま、お母さんは会議ということで、家を出ていきました。しかしすぐに帰ってきて娘さんに「食事にでも行こう、話をもっと聞きたいから」といって、娘も笑顔で快諾します。

その時、とつぜんに、男が家にやってきます。娘の主人です。明らかに表情がおかしいです。死んでいます。娘は2階にいますよ、と一戸建のマイホームの2階を案内します。

その後、2階から叫び声が聞こえてきます。お母さんが駆け寄っていくと、男は血だらけのナイフを持っていて、お母さんの右腕を刺しました。男は特に言葉を発せず、二人を刺しました。何故そうしたのか理由は、わかりません。

 

この後に男は逮捕されて、勾留をされました。更に、その前に何人かを殺していた。連続殺人犯だった。待っているのは「死刑」だけということも、刑事によって告げられました。

 

ここまでが、序章です。普通なのかもしれません。

お母さんは、娘さんが持っていたiPhoneを発見します。しかし、その存在は隠したままでした。パスコードがかかっていて、お母さんはそれがわからず、中身はわかりません。が、その存在は、警察や夫などの関係者には、ずっと隠したまま、でした。

その理由は…わかりません。

 

その後は、娘を亡くしてしまったことに対して、夫婦の意見の対立が始まりました。当然です。男を安易に家に入れてしまったことを夫は責めます。しかし、男はあくまで嫁の旦那だったのに、そのような言い訳はいいませんでした。そして、2人ともわからないことがあった。それは「男がなぜ娘を殺したのか、理由がわからない」ということです。そのうちに二人は別離となりました。

男は、取り調べでも、その事は話さず、「娘さんに申し訳ない」ということだけを口にします。そのままで行くと、裁判では不利になる。

そうすると、男の専任弁護士が妻を訪ねます。彼の様子を伝えること、そして彼と面会をしてほしい、と伝えたのです。その理由は「彼があなたに会いたがっている」ということでした。

 

普通だったら、はいそうですか会いましょうとはならないはずです。しかし、母は自分を殺した男と面会に行きます。理由はただひとつ「娘を殺した理由知りたかったから」です。

そして、面会に行きます。男は深々と頭を下げて、謝罪の言葉を言いました。弁護士が話していた通りに反省をしているのかもしれません。しかし、母そこで、彼の顔を見て、逃げてしまいました。理由は、後であかされました。怖かった。娘を殺した後に自分を刺した男の顔など、普通は見たくはない、普通だと思います。

 

しかし、この後、「娘を殺した理由を知りたい」という理由のために彼にまた会おうとします。しかし再度面会に行くことはできませんでした。初回の面会の際に、男との関係を「義理の息子」と書いた、2回めは「被害者の母」と書いて、断られた。死刑囚は1回以降の面会は肉親しかできないという法律のためです。

その為に、通い、ある日彼の専任弁護士に「死刑判決を取り下げるための署名」に協力してくれ、と頼まれました。彼女はそれに署名をすることにしました。「娘を殺した理由を知りたい」からです。

 

この映画は「娘を殺した理由を知りたい」ということでした。理由がわからないからです。いろんな「殺した理由かもしれない」ということが、明かされていきました。

しかし、それが理由だということは、最後までわかりませんでした。

 

人を殺す理由がわからない。そうでした。人を殺してはいけない理由はわかる。でも人を殺す理由なんて、そもそもわからないのです。どんな理由があっても。

 

この映画の主人公たちは「被害者の家族」でした。「被害者」と「加害者」と「加害者の家族」に関しては、社会的なケアがあり、それぞれに何かの救いが用意されています。世間からの目、同情。同情は「被害者の家族」にも当然向けられます。「かわいそう」「残念」そういう言葉はかけられます。

しかし、この主人公は孤立をしてしまいました。一人だけになってしまった。夫とも、離れてしまった。夫は離れて、よくわからない新興宗教を信じるようになり「すべての理由がわかった」かのような素振りをみせるようになった。

そこで彼女が求めたのは「娘を殺した死刑囚の対話」でした。「自分の気持ちがわかるのは、彼だけ」という叫び、心に響きました。なぜそうなってしまったのか、わからないのですが、わかったふりをしようとしている自分、にも気づいてしまいました。

 

そしてラストのシーンがやってきます。

嘘くさい新興宗教と対立して、目が醒めた夫が、彼の死刑を判決を未だに支持しつづける彼女に包丁を振りかざし、そして、彼女の弟が、3人が過ごしたマイホームを売りとばし自分の利益としたいのかどうかはわかりませんが、姉を精神病ときめつけて、友人の精神科医から特別に譲ってもらった薬を強引に飲ませようとした瞬間に、

死刑が執行されたことが、わかったのです。

「もう全部終わったんだ」と、夫は叫びました。

 

そのあと、娘が残したiPhone、パスコードは死刑囚の男が知っていて、中身はわかったようですが、それで何かがわかったようなことはありませんでした。最後まで。

何故そうしたのか、理由は、わかりません。

 

結局、他人には何もわからないんだ。という現実をこの映画で知ることができました。

この作品は「実話に基づいたもの」というような記載は今のところ見かけたことはありません。フィクションだと思われます。映画はドキュメンタリーではない限り、フィクションなのです。フィクションだから、それを利用して、わかりやすいような「理由」を見せなかった。ほんとうに言いたいことは、「被害者の母が死刑囚との対話を望む」ということに対しての問い、だと感じました。

「理由無く、人を殺してしまう」ということもある。「理解できない理由で人を殺してしまう」こともある。どちらにしても理由はなく、なぜ無いのかというその理由も、わかりません。わかりやすい「オチ」はこの映画にはありませんでした。が、言いたいことはよくわかった、つもりです。

 

僕はこの「上田映劇」で数か月で今までの人生の自分比において、たくさんたくさんの映画を観ることができました。

ここで見る映画は、自分が「全く知らないひとたち」が作っているものでした。監督は知らない。俳優も知らない。原作があれば、それも知らない。今回も、知らなかった。

それでも、足を何度も運んでしまった。そしてまた行きます。何故行くのか。

その理由は、映画とは決して、娯楽だけではない、考えさせてくれるものだということ、ここで学んだことによるものです。

理由は、あります!

 

おわり

 

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