首都は美しい街並みで知られるプラハです。
長い歴史のある国で、ヨーロッパらしく、民族が複数あり、ロシア、ソ連に苦しめられ、ドイツとも対立をし、そしてナチスにも在住のユダヤ人が大量殺戮された、そんな歴史もある国です。
僕が「チェコ」を初めて知った時の国名は「チェコスロバキア共和国」でした。
そして「プラハ」を知ったのは、吹奏楽の曲、カレル・フーサの「プラハ1968年のための音楽」でした。
この曲は、それまでに自分が聴いていたクラシックの音楽とは全く異なる曲でした。全体的に怒りと悲しみに満ちた現代音楽だったのです。これは「プラハの春」という1968年にチェコで起こった「チェコ事件」ソ連率いるワルシャワ条約機構の軍事介入があった日のこと、その日のチェコ国民の怒りと悲しみをテーマに作曲された曲です。DDDECCEのテーマが使われ、それは国民の嘆きと怒りを表した、民族に古くかた伝わるテーマだった、ということも知りました。すごい曲です。
「チェコスロバキア」はその後、「チェコ人」と「スロバキア人」のアイデンティティの対立や政治的な思想の違いと、世界的な流れもあり「チェコスロバキア社会主義共和国」から「チェコおよびスロバキア共和国」という変な国名に一旦なり、現在の「チェコ共和国」と「スロバキア共和国」に分かれました。
そして、「チェコ共和国」には他にも素晴らしい作曲家がいることも知りました。最初は音楽の授業で歌ったスメタナ作曲の「モルダウ」です。そしてドヴォルザーク。交響曲第9番「新世界より」が有名ですよね。実はチェコではない「スロバキア国立管弦楽団」の演奏をサントリーホールで見たこともあります。演奏曲にチェコ人ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」がありました。まだ見ぬチェコ、そしてスロバキアの風景を見たような気持ちになれる、素晴らしい演奏でした。もう違う国になったのに、この曲を演奏した、この極東にて演奏してくれたことに感銘を覚えました。美しいけれど祖国達への悲壮な思いが、ドヴォルザークの曲には感じられます。それはアメリカに渡って作曲した「新世界より」にもあらわれています。タイトルだけでも。
Czecho No Republicというバンド名を見た時は、誤植かと思いました。何かの間違いかと。しかし、そうではありませんでした。Apple Musicにも入っていました。日本コロムビアからメジャーデビューもしていました。そして、バンド名の由来は「Czechoという響きが可愛かったから」というものだったようです。
間に「no」を付けたのは「自分らはRepublicではないからnoを付けましたぁへへへ」みたいな事をインタビューで言っている記事をみました。
「Czecho No Republic 」という言葉は「チェコだけど共和国じゃないよー」という意味を取ってほしいのかもしれません。しかし事情を知らない傍から見たら「チェコは共和国ではない」と、読めます。
Czecho(チェコ) Republic(共和国)となるまでに、数々の苦難の歴史があった。前半にいろいろ書いたのは自分でもそれを再確認したかったからです。
その2つの言葉の間に「No」を入れるだなんて。
すごく哀しいです。そして恥ずかしい。これは、日本の恥です。
Champagneという名の「バンド」がいました。これは日本では「シャンパン」の通称で通っている、フランスのシャンパーニュ地名で、そこで作られるシャンパーニュという酒の名前でもあり、その名前は品質を保つために、許可を得たものし使ってはいけないものです。それをバンド名にして、抗議がされて、変更になった。
今回は、もっと大きな問題になるかもしれまません。彼ら、チェコ国民がいかに自分の国に誇りをもっているかということを、音楽から感じていたからです。それも前半に書きました。
日本人は自分を含め、愛国心と言うものが欠けている、それは自国への愛国心だけではなく、他国の方々が自分の国に持つ愛国心というものも、あまり感じることはないのではないか、と思っています。
おそらくこのバンドはONEOKROCKのように海外には行かないバンドだと思います。だから問題ない、なんて思いません。やはり日本の恥です!「NO」という言葉の意味を軽く感じすぎている、だから僕は「NO」と言います!
どうせだったら「No Republic」に改名したらいいのに、と思いました。無理でしょうけど!