本来であれば、すっきり東京への引越しとなるはずでした。まるで逃げ出すように。
しかし上田市で自分の居場所や理解者を見つけられてしまい、気がつけば東京でひとりぼっち。友人たちはネットなど本来やっている暇などない人たちでした。
誘う勇気も気力も財力もありません。
今の仕事も割当が少なく、その分当然やる気も少なくなってきます。定時の時間のある仕事が羨ましいです。なので、次を決めてサッサと離れることにしました。長野でできる仕事だから選んだ、ということを忘れていました。
お金が稼げないのであれば、仕事としての価値は無いでしょう。そうです。そうでした。自分はもっと稼げていたのです東京で。そうです。そうでした。
忘れてしまっていました。こんな貧しい毎日ではなかった。そうでした。そうでした。そうだったのに、すっかり貧乏が日常になってしまっていました。
つまり、貧乏であっても、金がそこそこあっても、自分はいつも変わらなかった。
だったら、元の金がそこそこある方に戻ればいいのです。サッサと戻ればいい。
なぜ、こうなってしまったのか、それを二度と繰り替えなさいようにすればいいのです。
もっと欲深く、人生を楽しみたい。それが元にあります。快楽を求めて何が悪いのでしょう。「人生をすばらしく有意義なものに」なんて、おこがましい考え方です。もっとどうどうと「人生をなるべくラクにたのしく」と考えてはいけないのでしょうか。そのような事は法律で禁じられているのでしょうか。
なぜ、人はみな同じような考え方をしているような素振りをしなければいけないのでしょうか。なぜ人はみな「ゆず」のような世界観を持っている素振りをしなければならないのでしょうか。みんなで手を取り合って、笑いあって、アハッハアハッハ。
くだらないです。
だから、気づけば斎藤工や高橋一生と広瀬すずばかり出ているテレビなんて、見ている暇なんてないのです。だったら、高嶋ちさ子の「氏ね豚やろう!」とかを延々流せばいいのです。
もっと自分の個性を、認めてほしいのです。そういうところに行きたいのです。
そんな2月でした。東京は厳しいところです。わかってはいました。数々の試練が更にあばら骨が連続して折れるように襲ってきます。そういう時は人と笑いあって、あはははみんなでアハハ俺た地元じゃ負け知らず
なんてことは自分にはないのです。自分にはもう「地元」がないのです。名古屋にもない長門町は町もうない、上田にもない。佐久市なんて鯉しかないとこはよくしらない。どこにも居場所がないのです。
どこにいったらいいのでしょうか。どこにも行きたくなんかないのです。
自分の心の中にある、ほんとうの居場所に早くいきたいのです。実体や現実にはもう夢を持てなくなった。そんな自分が愚かしいとも思わないのです。
どこにもいきたくないし、ここにもいたくない。どこにも居場所がないし、どこにも居場所もほしくない
誰にも会いたくないし、みんなにあいたい
孤独じゃないけど、すごく孤独
僕って誰なんだろう。
こんなことばかり、いつも考えています。寒の戻りの所為でしょうかわかりません。
ほんとうに、わからなくなっています。何がしたいのかどこにいきたいのか。
誰に僕は操られているのか。わからないのです。僕が今、どこにいるのか。
たまにわからなくなってしまう。
とにかく、明日も明後日も休みたい。それだけです。
これを会社のメーリングリストに送りつけてやろうかと思うのです。
うそですよそんなことはしません。
でも、僕はまだお面をかむっています。今までは出せていたものが出せない。
それは対面していないからです。当たり前です。ポロっと顔を合せただけの人に心なんて許せません。当たり前です。インターネットなんて、どうでもいいもの。その先にあるものが本来は重要なのです。
ほんとうに、インターネットはこわいです。
僕の家の無線LANはまだつながりません。
すべての不機嫌不調の原因はこれです。困りました。全員タヒね!
owari