先日、帰り道、新宿の地下街を歩いているときに、僕のiPhoneから、懐かしい曲がかかりました。彩冷える、アヤビエ名義だったときに「戴冠式前夜」という曲です。
Aメロの歌い出しのメロディと歌詞にハッとしました。
彩冷える 時刻に 街角は 美しい
こんな歌詞だったんだ。「彩冷える」という言葉が、歌詞に入ったのは、この曲だけだったのかな。そうなのかな。彩冷える 時刻に、街角は美しい。とても透明で繊細な表現で、わかりづらいけれども、そこに照らし出されるなにかを的確に表現をしている詩だなあ、と感じました。
「戴冠式前夜」は僕の中では「メジャーデビューを果たしたとき」を想定したような曲だと感じていました。その時アヤビエはインディーズだったけれども。
しかし、この曲をうみだした「彼」はいなくなった。
それから、起こったこと。たくさんのことがあった。今の「彩冷える」がまた、また再結成のようなものをして、来年にライブを行う。もちろん「彼」はもうそこにはいない。「彩冷える」という「彼」以外が考えもつきもしない言葉だけを残して。
その後、彩冷えるは「会いたくて」という曲でメジャーデビューをした。「会いたくて」「会いたくて」「会いたくて」
凡人しか思いつかないようなタイトルだと思う。しかし僕はこの曲を聴いたことはないから。「会いたくて」なんて曲は別に聴かなくてもいいと考えている。比較してしまう。「彩冷える 時刻に 街角は美しい」なんて言葉が入っていた、アノ曲と比べてしまうこと、何が悪いのだろう。「戴冠式前夜」に込められた、力強い、そして独特な言葉たちと比較をしてしまって何が悪いのだろう。
ライブのタイトルにもなっている新しい「「Virgin Snow Color」は聴いた。1曲めなんかはいいかなーと思ったけど、それだけだった。その後は知らなかった。「あやびえ」という言葉をひきずったまま、活動を続けているのが理解できなかった。他のバンド名でもよかったはずなのに。名付け親以外が考え付きもしない言葉を、誰もが考えつくような音楽を続けるなんて、理解できなかった。
その後、また違うメンバーが一人を残し、全員脱退、そしてその脱退したメンバーらが「AYABIE」が始動をし、また一人を残し、全員脱退。そして「彩冷える」の5人で再結成ライブを経て、また再結成ライブ。
わかってるよ わかってるよ もう わかってるよ
都合の良い 終わり方
葵が去年出した「MUSIC」にて彼が書いた歌詞の中にこうあった。のに。また「都合の良い終わり方」が繰り返されるのだろうか。
都合の良い終わり方を止めてほしい、と考えるのは、傍観者の方じゃないだろうか。
僕は「彩冷える」のファンではないけれども、引きずられてしまった「彩冷える」ファン。しかしとてもこの状況 を説明できない。この界隈をよく知る人以外には難しい、と感じることがありました。
先日メガマソが解散したとき、ニュースにもなりました。
僕は、その時ネットにニュースを配信する仕事をやっておりました。メガマソの解散は、別の人が見だしを付け、ニュースとして取り上げていました。解散の報は知っていたのですが、僕はびっくりして、その方に伺いました「メガマソというバンドはご存知ですか?」と。
そうすると「知らないです」と言いました。
メガマソ、というヴィジュアル系バンドが解散した。そんなニュースはありきたりです。しかし、メガマソが解散したということ。その言葉だけでは、他の人にはわからないものが、たくさんあります。それには「彩冷える」も関わってくる。ほんとうはただひとりだけ。直接的に関係するのは、ただひとりだけ。
他の界隈のひとからみたら、わけのわからないことだと思います。僕も説明するのが面倒臭すぎる。でも、わかるのは、こんな変遷をたどったバンドは、稀有だということ。
だから、残してほしいのです。
これまでのこと。すべて。映像に。何があったのか。どう思っていたのか。終わりにして、全てを残してほしい。もちろん、音楽を添えて。すべての関係者、できる限りのステークホルダーらの証言も添えて。
そして、その映像のタイトルは
その言葉を作り出した人、その言葉に踊らされた人、これまでの軌跡を残してほしい。彩冷えるが、ヴィジュアル系の歴史のみならず、日本のロックシーンに、いろんな意味で名前を残すものに、してほしいから。
終わり