さわやかトラウマ日記

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長谷川白紙「草木萌動」これは、新しい音楽


長谷川白紙 - 草木

 

草木萌動

草木萌動

 

 

長谷川白紙の「草木萌動」を見つけたのは、Applemusicの「新着ミュージック」だった。そこには毎週、新しい作品、そして自分にとっては殆どが聞いたことがない、名前も知らない、知っていても、聞く気にはなれない新着ミュージックが山ほどに溢れている。ジャケットと作品名とアーティスト名だけ、それだけで大体どのような内容かわかったような降りをすることにもう慣れてしまっている自分に気づいた。バンドは必ず4で、おそらく想像通りの使い古されたギターサウンドなんだろう、髪が長い男がボーカルですってんきょうな高音金切り声を張り上げてるに違いない、強そうなヒップホップ・アーティストはそのまま強そうな感じ、跋扈するK-POPはそのまま、日本語をとても頑張って覚えようとしている、そんな感じ。

興味がない音楽、知らない音楽が容易にフルレングスで手に入ってしまうのに、そういう決めつけはよくないとは思っているけど、正直これも楽しかったりする。

 

長谷川白紙の作品のジャケットを見た時には、これは「風変わり風」だと決めつけてしまった。自分が変わっている、ということを売りにはしたくないけど、そうなっているようなタイプ。痛い子ちゃん!のような。この手のアーティストはこの世の中にたくさん捨てるほどに溢れて、その殆どが知られることのないままに、消えていくのだろう。そんな中のひとつだと思っていた。

 

Applemusicには、時として、アーティストを紹介するライナーがついている。長谷川白紙にもそれがついていた。その中にあった言葉に注目してしまった。

「現役の音大生」その事だけで興味を持ってしまうような、俗な自分であることは許してほしい。自分自身は短期大学の音楽学科卒だという中途半端な存在によるコンプレックスを抱えている、悲しい人間なのだから。

しかし、世間においてもしかしたら「現役の音大生」であることは、憧れの対象にはならないのかもしれない。それは学歴というものが、もう大したことではない、という風潮と真実もあわせてのことなのかもしれない。

それは、ミュージシャンにおいてもそうなのかもしれない。現在の音楽シーンにおいては、アマチュアリズムが台頭しており、聴く側もそれを嬉々として享受している。しょせん大衆というものは、そういうものなのかもしれないけれども。

それを象徴するわけではないけれども、バンドをやろうとして「雑誌のメン募」にてバンドの相手を探したところ、こんなことを言われたことがある。「音大生は頭が固い」

 

何をいってるんだろう、あの頃のくそバンドマンがもし「草木萌動」の1曲目「草木」を初めて聴いた時に同じ感想を持てるのだろうか?このほんの2小節ほどで、この長谷川白紙という人の、すごさを感じ取れなかったら、それこそ「頭が固い」という言葉がふさわしい、己が石畳のようなど頭だと気づかなければいけないだろう。天衣無縫というありきたりな言葉しか思いつかなくて恥ずかしい、そんな気分になったのはいつぶりなのだろうか。天衣無縫といえばナオト・インティライミ、とかそんなことしか思いつかない旅歌ダイアリーな自分が恥ずかしくなる。

 

2曲め「毒」なんて、驚異のBPM、といってもデスクトップミュージックにおいてBPMは「ほんの小さな勇気」をもって、ちょっと調整したら上げられるから大したことはないんだけど、それにしても混乱をしているようで、統制も取れていて、なんだか腹が立つ。いちばん聞かせどころでは、素人達にもわかりやすいように4分音符にて構成されていて、非常に目まぐるしい。これをアートだ、と感じてしまうことがありきたりのような気がして、恥ずかしくなってくる。どういうことなんだろう。

3曲目「它会消失」はタイトルがなんて読むのかわからないけど、実際に読めなくても社会人的にはなんの問題もないと思う。問題なのは、この複数のシンコペーションが入り組んだ、リズミカルというには、まったくノレない居心地の悪い失敗した地下鉄みたいな曲だということである。反復する主題のベースラインは、重音で2つの一定の和音が上下をして、とても気持ちがわるいけど、統制はとれていてやっぱり腹が立つけど、もしかしたら自分って自分こそ頭が硬いのかも?なんて思ってしまうけど。終盤の分散した和音とメロディの「どうだ見たか」という気概も感じさせる。見ました。7分22秒は、ポップチルドレンの皆様には「長いくそ長い」と思われるかも知れないが、オリヴィエ・メシアンに慣れた自分にとってみたら、ほんの1楽章にすぎない。そういえば長谷川白紙の音楽にはオリヴィエ・メシアンに通じるものがあると思うのだが。もしかしてクリスチャンなのだろうか。または同じく「キノコ好き」なのかもしれない。

4曲目は中国の有名な文章を元にしたもの。関係ないけど、今日中国語が話せるブログの読者の方に、中国語のピンインについて教わった。勉強になった。この話しているのは、翻訳サイトからのものだろうか。どうでもいいな。ピンインは難しいのですよ。

5曲め「キュー」はあのYMOのカバだそうです。YMOといえばそうです。坂本龍一大先生です。東京藝術大学卒業、アカデミー賞のお方です。やはり、意識しているのでしょうか。原曲は不勉強で聴いたことがないのですが、当然のごとく、他のご自身の曲のような、混乱と無秩序を装った、統制のとれた計算高い音楽ではないのです。それはそれで皆さんお好きなのでは?いいと思いますよ。サービスをありがとう。

6曲め「はみだす指」このEPに対して見た評、アップルミュージックにも書いてあったけどCorneliusとの類似性近似性が唱えられているけれども、それはおそらくこのEPの最後のこの曲を聴いて、「よくわからなかったからーなんとなく名前をあげるとしたらコーネリアスかなあ〜」という結論から、コーネリアスが槍玉に上げられてしまったのではないか。実際、コーネリアスが老成となり枯れ果てた今の時期の音楽と似ているかもしれない。しかしコーネリアスと長谷川某との大きな違いそれは句点もいらないほどにはっきりいえるそれは音大生音楽知っている人だということだということなのです。実際に大きな違いがあります。ほんとうに音楽を知っている人がやっている音楽だと思うのです。

 

私は実はそんなにべつにたくさんの音楽を聴いているわけではなくそして、理論派でもありません。しかし、彼の音楽をなんとか人に伝えようとして、おじさん音楽ライターが幾つのもアーティスツをあげていて笑止千万で痛いおれもおじさんだけどそんなものくだらないと思うのです。

これは、新しい音楽だと思うのです。ひじょうにシンプルですがそういう感想でした。頭固いでしょうか???似ているアーティストの音楽が思いつかないし、どの系譜もでもないのです。どのアーティストよりも理知的に計算高くそして本能で壊れている音楽だと思うのです。コーネリアスであえてあえて例えるならば「壊れたFANTASMA」だと思うのですが違うでしょうかやはり違うと思います。彼はまだ学生なのです。生活の事とか売れたいとかプロになって武道館とかそんなくそくだらないことを考えなくてもよいので、自由にもっとあえて頭固くなってつきすすんで、そして本当に壊してほしいです。このクソ日本の音楽シーンを!なんて、そんなこともどうでもいいです。お好きにどうぞ〜!新作があったら楽しみにしますね終わり!