僕は運動が苦手です。
それは僕のアイデンティティ、逆アイデンティティと言っても良いかもしれないです。なので学校の体育の時間が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
まずは、小さい頃、名古屋に住んでいた時に、強制的に野球をやらされた時のことです。すぐに顔にボールが当たりました。痛くて痛くて。。あのグローブとやらも嫌いでした。なんでこんなに面倒くさいものを。そして、その後に、ローソンで買ったおにぎりが当たってしまって、ゲボ(名古屋ではそう言っていました)を吐いてしまった記憶もあります。
特に球技が嫌い。と気づいたのは、名古屋から長野に引っ越しをして、小学校の最初の日でした。休み時間にいきなり「サッカーやろうぜ!」と強制的に誘われて校庭に連れだされました。名古屋では校庭はあったけどサッカーなんてやらなかった、というよりそもそもできそうにもなかったのです。パスがまわされてもどうしたらいいのかわからなかった。だから、なので「こいつは使えない」と叫ばれて、いきなりクラスのヒエラルキーの最底辺になってしまいました。名古屋訛りをいじられたり、通学バス、名古屋ではもちろん徒歩通学でしたが、通学バスが片道2時間になったりして、ほんとうにいやな思い出がすべて体育、運動に結実していると言ってもいいかもしれません。
そして「最大の誤ちだこれは」と思ったのが、高校の時です。勉強をなまけてしまって、一つランクの下の高校に入ってしまいました。その高校、上田東高校は、僕が入学をする前の日に、甲子園に長野県代表で出ました。サッカーはお正月の全国高校サッカー選手権大会に長野県代表で出場しました。そうです。運動が盛んな高校だったのです。当然、入学する前からわかっていました。「もっと勉強を頑張れば染谷に行けたのに。。」と激しく後悔していました。ワンランク上の上田染谷丘高等学校は、どちらかというと文化部が盛んな学校だったのです。
体育の水泳の時間も、名古屋では通っていた、長野のど田舎では当然に無いスイミングスクールに通っていて泳げたけど、飛び込みは習わなかった、というか飛び込みは禁止ですよね?のでしなかったら、体育の担任にチクチク言われました。「クラスで体育が”2”はお前だけだよ!!」なんてみんなの前で言われてしまったりしました。
ここにも書きましたね。ちなみにこの記事中の「水泳部の部室に"生きていた中絶児"とかが書いてあった」は事実なのです。当時の同級生に確認をしました!!なんだったんだろう。当然、デビュー前ですよ。。どうでもいいですね。
体育の時間はほんとうにいつも憂鬱でした。なんせ運動部員が多いので、体育の時間中の何らかのゲーム、球技でミスをすると「あにやってんだよ!!」なんて責められたりします。ほんとうにこわいです。当然、彼ら、運動部員とは距離ができてしまいました。
吹奏楽部に入部をして、そこでは活躍大活躍をすることができた(文化部が盛んではないので)のですが、クラスでは形見が狭かったです。くそ教師にも文化部を理由に校庭マラソンを多く走らされたり・・あいつめ!!
高校3年生の時。「いよいよ体育ともお別れあと1年」と嬉々に新学期に望んだのですが、そこで衝撃の発表がありました。体育が週4日になったのです。信じられない。確か土曜日にもあったような気がします。当時は土曜日は3時限だけだったのですが、ありました。。
そんな日々ももう終わるかな?という3年の3学期くらいだったかな?ものすごい変化があったのです。
それは、内心苦手だった、運動部員のグループと仲良くなったのです。運動部が強い学校の花形ともいえる野球部バスケットボール部サッカー部の人達です。きっかけはわからないけど、突然に仲良くなれました。まあそれまでも個別に教室でダラダラ話したりはしていたのですが。
当時の高校の前には、運動部員しか立ち入れないような雰囲気を醸し出した、ちょっとした店「パンとケーキ」通称「パンケー」とよばれる所がありました。横を通るたびに「パンケーなんて僕にはほどとおい」「僕には音楽室がある」なんて思っていたところにも、行くようになったのです。パンケーで何を話したのかわからないけど。僕にとっては大きな出来事だったのです。
今まで仲良くしていた人に「どうしたの」「なにがあったの」と遠巻きに言われてしまうほどでした。僕もみんなも部活動を引退した事があったのかな?あともうすぐ終わりだというのもあったのかもしれない。
そして、きわめつけが、その運動部員達が、当時に僕が住んでいた家に遊びに来たのです。一戸建てで、ちょっと変わったところに建っている家だという事がわかってしまったので、みんなが週末の夜に自転車でやってきました。
モツ鍋なんかをつつきつつ、宴もたけなわの中、こんな時に、サッカー部の人がこんなことを言いました。
「おめー、なんで今までオレたちと仲良くしてくんなかったの???」
・・・そんなことを言われるなんて。僕は驚きました。
「・・僕は運動が苦手だから、、、なんか悪いと思って。。」
と僕が言うと
「んなこと気にしゃいねーーよ!!」
身体から力が抜け落ちるのを感じました。ホロホロと。。
そうなんだ。気にしてなかったんだ!
そうだったんだ。。
そういえば、僕は運動も勉強もできないけど、音楽だけはできました。音楽の時間にできない人がもしいたら、、、全く気にしないです。見下さないです。それと同じだったんだ。。。
「アハハハ」僕はこころの中で笑いながら泣きました。これまでの小学校から続いてきた大きな苦しみが、すべて解決されたような気がしたのですアハハハ・・・。
この事は「他人は自分のことなんてそんなに気にしていない」という大きな発見となりました。
これはまさに人生訓です。おかげで地獄の高校生活が良い思い出として終わることができました!!終わり!