かなり運動不足になっていて、外出をしても自転車を使っている事が多く、これはよくないよくないと思いつめて…。今日は歩いて散歩に行くことにしました。
風は強めだけれども、今日はひたすらに青い空に、暑くなく寒くなく、絶好の散歩日和でした。マスクもして。。自分はマスクがとても嫌いなのです。メガネをしているので曇ってしまったり。呼吸もつらくなってしまう。ああ嫌だ。
自分の家の周りは、ここで何度も何度も書いているように何もなく、人口密度も低いです。なので、周りに人がいないときは、マスクを口からずらすようにしていました。人が横を通る時には、サッと戻して。やはり良い気持ちはしないですよね。
仕方が無いので、Covid-19が無い世界を想像しながら歩いてみたりしました。
「想像しながら歩いた」というのは、最近見ているアニメ「赤毛のアン」の影響です。TOKYO MX TVで月曜日の夜7時から再放送で二話連続で放送されているのです。録画もして見返したりします。
この記事でもおなじみの素晴らしい主題歌「きこえるかしら」とエンディングテーマ「さめないゆめ」もちゃんと放送されています。音楽だけではなくて、アニメーションも当然に素晴らしい出来栄えです。歌詞に添って、物語に合わせて嗚呼!
なんて素晴らしいのだろう。本編の内容も勿論、素晴らしい。アン・シャーリー、綴りはAnn Shirleyだけど、本人は「Annには最後にeを付けて!」いつも懇願をしている女の子。草木花湖を愛し、それぞれに名前をつけて大事に思う。それは、みなし子で孤児院で育ったという孤独な背景もある。つらいときには、想像の世界に耽り、そこを心から愛している。
こんな事を思いながら、青い空と、心地良い時折強い風とお話をしながら、歩いたのです。乾いたこの街を!
「・・ああ、乾いたこの街だなんて、心が乾いている証拠なのかもしれない。ほんとうにこの街が乾いていたとしたら、軒先のピンクの小さな木の花も、マーガレットも、生茂る青い枝の葉のささやきも無いのに!」
自分ってほんとうに、アン・シャーリーに近い人間なのかもしれない。それも想像してみたりした。
しかし、なかなか老いさらばえたこの心に、アン・シャーリーの心が宿ることは難いのであった。悲しいな。
その後、名も知らない小さな公園、ほとんど誰もいない公園で、ひっそりと木のささやき声をききながら、買ったパンを食べた。
帰ろう、もう十分に歩いた。その道の中で、白い像が植栽の中にあった。これは…
名前を付けなければいけない。もしアン・シャーリーだったそうするだろう。
白い、白いミヒャエル?いや、TOKYOミケランジェリ?エンジェル・トウシカ?
やはり思いつかなかった。次の角をまがればもうすぐ家につく。さよならアン。
その時、ふと通りすがった道の端に、広場のようなところがあった!
高い樹木を取り囲んで、ベンチがたくさんある。木陰が大きくて、木のささやきが大音響、とまではいかないけれども、メゾフォルテくらいの音量が、ダイナミズムとともに保たれている!なんて素敵な空間なんだろう!
家の近くにこんな場所があったなんて。驚きとともに、幸福感を感じた。
ここで、しばらく「無」の時間をすごした。いや、無ではない。風と枝がこすれるハーモニーとともに、過ごしたんだ。
僕は、赤毛のアン。アン・シャーリー、Anne Shirleyになれたのかもしれない。きっとそうなのだろう。明日もここに行って、想像を巡らそうと思う。もっとアン・シャーリーに近づけるように。おわり