さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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自由ボーナス

今日は給料日。明細はWEBで見られるけど、毎月変わらない額なので振込額のみ確認している。その口座の残高確認もWEBから。便利な時代になったものだ。便利な時代なので、そのまま家賃の引き落としのある自分の口座にも振り込んだ。もちろん便利なので、口座の残高も確認できる。いつでもできる。できてしまうのだ。

ほんの少し前はこれらの作業は全てどこかに行ってする必要があった。銀行のATMがある窓口まで行ったりしていた。埼玉県富士見市にあるふじみ野駅にある富士銀行?だったかのATMまで自転車を飛ばしてよく行っていた覚えがある。それがいつしかコンビニエンスストアにあるATMになった。いつからなんだろう。今では当たり前のものだけど、自分が20代になりたてのころには、まだコンビニエンスストアにATMはなかった気がするけど。

今でも変わらないのは、僕が貧乏だということ。埼玉の頃はほんとうに貧乏で、埼玉住み後期のころには自分的なバブルが来て脱埼玉を果たせたのだけど、その後はあっという間にまた貧乏になってしまった。そしてそれはずっと、今日の今日まで続いているのである、と確認した給料日だった。

 

埼玉時代と全く異なること。それは安定した貧乏だということ。そして安定した貧乏で更に自由だということ。よくわからないけど、人生で一番安定して貧乏な時代には違いない。ただの貧乏ではない、と自分に言い聞かせている毎日なのだ。こうなったのは、自分の無能のせいだとしても、正直に「無能でよかったな」と思わざるをえない。それほどまでに今の生活には満足してしまっているけど、やはり貧乏という現実もある。

 

「ぼろは着てても心は錦」という言葉がある。

これには「着ているものはみすぼらしくても、心の中は豊かですぐれた徳を備えている」という意味が含まれている。長い貧乏生活の中でも、この精神を大事にしたいと考えるようになった。

実際に着るものはとても安いものだけ、古着ばかりだけれどあまり安っぽく見えないものを身につけようとはしている。たまに着ている服の値段を告白すると驚かれることもある。「3ケタですよウヒヒ」なんて言ってみたり。なんて情けない男なのだろうとは思うけど。

要するに、貧乏だけれど貧乏くさいのは嫌だということ。

精神の貴族でありたい。これは澁澤龍彦氏からの教えなのであるけれども。せめてもの抵抗であり、これは自分の中で宗教的に存在している概念なのである。

 

自分はボーナス、賞与を与えて頂いたことがもう十年くらい全くない。某m社でもボーナスは安くてロクな額が出なかった。ニュースだと平均賞与額がいくらというのを確認するたびに、いつも絶望していた。それは同僚も同じことを思っていたので、みんな安かったのだろう。

ボーナスが出るなんて、なんて素晴らしいのだろう。今の会社でも自分は一切もらったことがない。。実は賞与は出たけど、その額は2万円だった。税金も引かれたら無いのと同じ。無いのだボーナスなんて!

 

しかし世間でボーナスを貰っている人達が得ていないものが自分にはある。

それは自由だということ。自由は何物にも変え難いものだ。こんなボーナスは無い。得るものはないけど、失うものはなにもない。得ていないから無くならないのだ。素晴らしいなあ。自由ボーナス。

終わり