いろいろいろいろ大変なことになりました。ほんとうにピンチです。
でもしかし、夜になると、とりあえず大変なことは収まるので、今は安らぎの時です。
…どんなことがあったのか、ここで書くことはやめます。以前だったらタラタラ書いていたのかもしれません。
自分は齢を重ねたのか、人間が変わったような気がします。ほんとうにひどいことにあっても、いいかあ別に、と思えるようになりました。
以前だったら、今の状況であったら追いつめられて思い悩んでいたのだと。今はもう達観しています。成るように成る。どうしてそうなったのか。
それがここ最近に培ってきた死生観があるのだと思います。人間はいつか死ぬ。必ず死ぬ。その時が絶対にやってくる。それを考えたら、全てのことが小さいことに思えてきたのかもしれない。目の前の恐怖や不安よりも大きなこと。それはやがての死。
ここ最近の幼稚くさい「ララロン」もそれです。どうせだったら目の前にあることで、良いものだと感じたら「ララロン」とするのです。そうしたら全てが楽しく思えてくる。楽しくない時は「うつつつ」とか思って茶化せばいい。ちょっとダメだったwなんて感じで軽くするのです。
全てのことは、タイしたものではない。自分なんていうものも、タイしたものではないのです。だから全てを軽く考えて受難だなんて思わない。何か悪いことがあったらそれは全て「うつつつ」として処理をするのです。
夜になったら一旦全てが収まるのです。そうしたら「ララロン」です。ララロンララロン。朝まで何もない。明日は何もなくても「ララロン」はもしかしたらあるかもしれあない。
そしていつか死ぬ。その時はうつつつになるのか、ララロンララロンになるのかわからない。そしたらもう終わり。ジ・エンドです。それでいいのです。タイしたものではない自分なので、生まれ変わりなんてしません。終わったら終わり。それでいいのだと思います。 終わり