さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



ブログだけが不調なんですが、今週のお題「わたし○○部でした」について書きます

ブログを書こうとは思っているんですけど、いざ書こうとすると頭が真っ白になるんです。おかしいのです。「ああ、あれについておもしろブログを書いてウケを狙おう」とか「知性を見せよう」とかはずっと考えているのに、なかなか実行に結びつかないのです。どうしてかはわからないのです。

何かはあったのですが、それはもうどうでもいいのです。困りました。

今、はてなブログでお題の提案みたいなのが目に入りましたので、それについて書きます。

今週のお題「わたし○○部でした」

です。

わたし吹奏楽部でした。中学の時も、高校生の時も。しかし高校の時は「吹奏楽部」ではなくて「吹奏楽班」です。これは長野県の高校だけにある謎の慣例なんです。なぜ「班」なのかを調べたくもないです。かなりどうでもいい。ひとつ言えるのは田舎だから、これが原因だと思います。

しかし田舎らしくなく、市内の高校は私服OKでした。私服はやはりいいです。校風が明るかったのはそのおかげでもあるとは思います。制服だと陰鬱さがありません?中学は制服だったんですけど、やはり陰鬱な感じがありました。

最近は高校の制服がジェンダーフリーがどうこうとか言いますよね。そんなの制服を失くしたら解決すると思いませんか?そもそも義務教育でもないので、高校に制服なんていらないと思うのです。そして厳しすぎる校則もです。自分の高校の校則はアルバイト禁止くらいでした。他にも気にしていなかったので他にあるのかさえわからなかった。

高校を私服にしろと書くと「いや、着るのものに困る」なんて言う人がいますよね。おかしいです。あなたは年がら年中制服を着て過ごしているのかと。そしてこの先は制服を着ない人生なのです。それに困っていることをなんとかするのは、人間の基本ですよね。

ごめんなさい。吹奏楽部だった話しでした。

しかし、吹奏楽部には本気で青春をかけていたのです。こんな「今日のお題」ごときで書けるようなものではありません。本当です。どれだけ本気だったのか。

自分は高校1年と2年の時に、全日本吹奏楽コンクールの全国大会を一人で東京杉並区まで聴きにいったのです。長野から!なんて情熱…素晴らしいと思います過去の自分が。それは「吹奏楽コンクールマニア」だったというのもありますが。

当時は携帯電話も無いなかで、たった一人、全国大会の会場の普門館まで行った。東京に来て、丸ノ内線にのって、中野坂上で乗り換えて、方南町駅まで行ったのですよ。なんて凄いのだろう。「中野坂上丸ノ内線内の支線に乗り換え」ということが、スマートフォンも何もない長野県の高校生ができたんですよ!すごくないですか?

やっぱり、僕には東京で暮らす才能があったんだなって、思ってしまいました。

「東京で暮らす才能」とか大げさじゃないプププなんて思うかもしれない。実際に無い人もいるんですよ。僕の家族のことなんですけどね><

また話しがそれました。。

つまり、それだけ語り尽くせないのです。吹奏楽部だったことに関しては。

思い出の普門館が解体されるときの写真です。今はなんもない公園風の広場になっています。なぜこんな写真があるのか、、察してくださいね。終わり><